しんみんさんは、平成18年12月11日97歳にて永眠されました。
でも、きっと、しんみんさんのことですから、鳥の姿になって、より多くの人のしあわせを願い、この澄みきった青い空を休まず飛び回り、鳥のことばで、詩のこころを伝えていることと思います。
どこかで、ふと、語りかけるような鳥の鳴き声を聞いたなら、しんみんさんが何かを伝えたいのだなと、耳をかたむけてくださいね。
また、何かの折に、しんみんさんの、詩や本に出会うことがありましたなら、ぜひ、じっくりと向き合って、そのことばを口ずさんでいただければと思います。
「詩国(しこく)」は、しんみんさんのこころより願ってやまないしあわせの国でしたが、そのこころを引き継いで一人でも多くの方が、みんなのしあわせを実現していって欲しいと願っています。
「詩国」は 坂村真民さん(しんみんさん) の個人詩誌です。 毎月詩誌を出されて、2004年2月で500号になります。 なんと40年以上、一月も欠かさずに出し続けていらっしゃいます。 わたし自身も「詩国」をもう20年送っていただいています。購読料は切手代のみです。本当に頭が下がります。 しんみんさんは酉年生まれです。今年95歳になられます。四国の愛媛県砥部町のタンポポ堂に住んでおられます。 たくさんの詩集や随筆集を出されていますが、 自選 坂村真民詩集 大東出版社 ¥1020(税込み) 随筆集 念ずれば花ひらく サンマーク出版 ¥1890 を、まず最初に読まれると、しんみんさんの世界に入れます。 娘さんご夫妻がホームページをつくられています。「詩国」はそちらでも公開されています。 しんみんさんの今までのご活躍と、本の紹介もあります。 とても雄大な景色の写真が、いつも最初に目にとびこんできます。 ぜひ訪れて見てください。 ところで、500号を一つの区切りにされるとのことです。 しんみんさんからのメッセージです。 * 『詩国』五百号は、この二月号で完遂しました。読者の皆さんに衷心から感謝します。 * * 『詩国』は、『鳩寿』と改名し刊行します。 * 「鳩寿」に改名した最新号が届きました。詩の部分は下に引用させていただいております。 また、新刊も出されました。 「念に生きる」 知致出版 坂村真民著 こちらもお読みください。 |
|||
| こちらの詩はすべて、掲載の許可を得ています。 なお、真民さんの詩が、一人でも多くの方に読んでいただけるよう、こころより願っています。 |
|||
|---|---|---|---|
| 「鳩寿」第15号最終号より 詩を引用させていただきました。 |
川 菊池川は、わたしの少年時代の 思い出の川 五十鈴川は、青年時代 終(つい)の栖(すみか)は、重信川 川はずっとわたしに詩心を 与えてくれた 山は父であり、川は母である 川は、海に達する (平成十七年五月) |
||
| 「鳩寿」第14号5月号より 詩を引用させていただきました。 |
永遠を思い 一瞬を思い 撫林(ぶなばやし)の 中を行く わが生よ 美しくあれ ※ 「撫」は手偏ではなく木偏です 芭蕉のお墓 今年も庭に たんぽぽの花が 群生して 満開に咲いた 去年 芭蕉の墓に お参りをした その時 庭のたんぽぽの種を持っていき 芭蕉のお墓に ふりまいた 今年は その種から 芽が出ているだろうか タンポポ堂 今年もタンポポ堂には タンポポが いっぱい咲き しんみんさん しんみんさんと呼ぶ わたしの何よりの喜びよ |
||
| 「鳩寿」第13号4月号より 詩を引用させていただきました。 |
朴の花の咲く限り 朴(ほお)の花の 咲く限り 稲荷(いなり) 喜久夫(きくお)さんは 生きておられる 砥部に来て よかったのは この人に お会いしたからである 対面五百生 まったくその通りの お方であった 「鳩寿」は小さい誌だが、追悼号を出したい思いに駆られ、 詩と文を書いた。 読者は、わたしの心を知ってもらいたい。 朴から?へ 朴庵例会の会長 稲荷喜久夫さんは 天国に行かれ わたしは 朴(ほお)と別れ ?(ぶな)と共に 旅して行くことになった これはわたしの 新しい出発だ お互い 夢を持とう 古国(ふるぐに)の 阿蘇の幣立(へいたて)神宮には 大宇宙大和神という 神がいられる わたしの余生も 少ないが 夢だけは大きく持とう ※ ? は「木偏に無」と書く 陰徳の人 砥部に来てよかったのは、稲荷喜久夫さん にお会いしたことである。 毎月の朴庵の会が続けられたのも、この方がおられたからである。 人には陰徳というのがある。喜久夫さんは、そういうものを持っておられた。 長い人生の中で、どんな人と会うか。それは天なり、命なりかも知れないが、わたしはこの人を失って、大きな宝をなくした思いがする。 |
||
| 「鳩寿」第12号3月号より 詩を引用させていただきました。 |
夢 百歳をめざせ 百歳を祈れ 人に笑われてもいい 夢は 大きい方がいい 白神山地の ??林(ぶなりん)の なかで わたしは祈った 四国から 青森まで 飛んで行った わたしの夢を わかってくれた ??(ぶな)たちよ ※ ??は「木偏に無」と書く 生きるのだ 生きるのだ 生きるのだ 百歳まで あと四年 生きるのだ しっかりと 生きるのだ 生きるのが わたしの信仰 わたしの念願 鳥たちよ わたしを助けてくれ 霊鳥(れいちょう) カラスよ わたしを救ってくれ 希望と自信 きょうは別人のように 希望と自信ができた 良い医師に出会ったからである 百歳まで生きる夢が 湧いてきた ああ 出会いの不思議よ ありがたさよ 観世音菩薩さまの おかげである 一本の棒 去年(こぞ) 今年(ことし) 貫く棒の如きもの これは高浜虚子の句 芭蕉も そうであった しんみんよ お前の詩も人生も 貫く 一本の棒であれ |
||
| 「鳩寿」第11号2月号より 詩を引用させていただきました。 |
旅烏 宇宙を 平和にする 旅烏(たびがらす)に なる それが わたしの夢 そのために わたしは 一日でも 長く生きたい (九十六歳になった一月六日作る) この一年 平成十六年は 長かった 果して 十七年を 迎えることができるか 不安でならなかった 体の弱りから 心も弱り ひどい乾皮症に 負けそうになった 生きるのが わたしの信仰 生きるのだ しっかと生きるのだと 観音経を唱え 危機を乗り越えた ああ 酉年(とりどし)となり 鳥たちに守られ 生きてゆくわたし 重信川に群れ遊ぶ 鳥たちよ わたしを守ってくれ わたしを励ましてくれ 鳥に守られ 鳥たちに守られ 生きてゆく真民よ チベットから 来られた 鳥たちを守る 菩薩さまよ わたしも 守ってください 一月六日 わたしは 明治四十二年一月六日生まれ その年は酉年(とりどし)だったので 母の話によると 鳥たちが一ばい来たと言う 最初に来たのは みそさざいだったとのこと みそさざいは小さい鳥だ 目だたない鳥だ わたしが詩をかくようになったのも みそさざいに会ったせいかも知れない 鳥との縁 鳥との縁は 人間との縁より 深いものがある 念ずれば花ひらく碑が 建立される時 必ず飛んでくる鳥たちの ありがたさよ うれしさよ |
||
| 9回目の酉年を迎えられる真民さん 「鳩寿」第10号新年月号より 詩を引用させていただきました。 |
鳥になります こんど生れたら 鳥になります なぜなら 鳥には 国境が ないからです 人間では とてもできないから 鳥になります 今年は酉歳(とりどし) しんみんよ しっかりしろと 新年に 誓いました マザー・ツリーのように 九十六歳になった わたしの願いは いつまでも 美しい心でいたい 白神山地の マザー・ツリー(母なる木)のように ああ 愛に輝く 詩人であれ 愛の力 飛び出して行った鳥を 呼び戻すのは 不可能と言う人もいるが 妻は呼び戻した 夕暮れせまる空に向かって 鳥の名を呼ぶ 妻の声よ この人は わたしの知らぬ 愛の力を持っている いま日本は この大切なものを 失おうとしている 宗教と信仰 宗教を持つが故に 戦争が起きる もう宗教はいらぬ 信仰だけでよい たとえば 旅烏(たびがらす)というのがいるが 彼等は人間の持たない 闇(やみ)を知り 地球の片隅に住んでいる ことしはとり歳 いろいろの鳥たちと 語り会いたい 楽しい一年である |
||
| 今回のテーマは「生きること」です。 「鳩寿」第9号11月号より 詩を引用させていただきました。 |
生きること わたしの信仰は 生きることでした 詩をかきながら 懸命に 生きることでした 二度とない人生を どう生きるか これは人間 最大の問題です 男・女の区別は ありません 夢を持ちましょう 小さい夢でいいのです 乾皮症とブナ(ぶな)たち 足の爪先から 頭の髪の毛 一本一本まで 烈しい痒みを越えて 烈しい痛みとなり 毎夜眠れず ヨブ記の ヨブ以上の 苦痛のあけくれ 観音経を 唱えながら わたしが会得(えとく)したものは ブナになることでした しんみんさん 無(む)になれ 無(む)になれと 叫んでくれた ブナたちでした ああ白神(しらかみ)山地の ブナたちよ ふすま一つへだてて ふすま一つへだてて 妻が寝ています 倒れてから何年になるでしょうか 鼻から管(くだ)を通して 栄養を胃に送り 生きています わたしはそれまで二階に 寝起きしていましたが 転倒して階段が上がれなくなり 座敷に寝台を置き ふすま一つへだてて 妻の苦しむ声を聞き 共に生きています 一切物を言えないので どんなにか苦しいでしょう ふすま一つへだてて いろいろ考えます 八十七歳の妻と 九十五歳の私との 長い人生のあけくれ ああ 生きることの実存よ |
||
| 今回のテーマは「 | |||