2003年8月のこびん

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<第0018号 2003年8月31日(日) 本日のこびん>

      信じる

そっと夢を祈ってごらん
あなたの小さな一日に

誰かがそういっていたけれど
願っていることは
必ずかなうことなんだ


   * 挿一輪 *
 自分を信じるってとても難しい。こんな夢がある、信じてやれば必ずかなう、本を読むとそう書いてあります。まあ、突拍子もないことならともかく(もっとも誰がそう判断するかですが)、どこまでが現実でどこからが夢かなんて、分別してしまうのが悲しいサガです。
 でも、たまにはとてつもない夢を考えて、かなうことを信じて行動するのも間違いではないはずです。誰も信じてくれなくてもいい。要は、あなた自身があなたを信じていればいい。信じきるって、それだけで、とても強いことだと思いませんか?


<第0017号 2003年8月28日(木) 本日のこびん>

      むくげの花

しゃがんで下から見てごらん
あなたの顔より大きいよ

ほら遠くに見える山並みの
もう一山高い入道雲
それより
まだまだ大きいよ


   * 挿一輪 *
 むくげの花は夏には良く目につく花です。炎天下でもしっかりと花を開いて、思わず見とれてしまいます。でもあまりに暑いとき、涼みがてら木陰にしゃがんで見上げてみました。大きいのです、むくげの花が。本当に夏空いっぱいに広がるくらいです。むくげの花が好きになりました。
 いつも視点の高さが同じだと、ついそのまま通り過ぎるものでも、少しアングルを変えると、別の魅力を発見できます。といっても、せいぜい、しゃがむか、背伸びするか、何かの上に乗るか。でも、その程度で、ほら、新しい発見があります。あなたもわずかな時間で試せます。いかがですか?


<第0016号 2003年8月24日(日) 本日のこびん>

      夏の背中

帰ることは知っている
また一つ季節が巡れば
会えることも知っている

そうやって生きた年齢だけ
ぼくたちは
出会いと別れを繰り返す


   * 挿一輪 *
 夏祭りも終わり、盆踊りも終わり、北の国ではそろそろ夏休みも終わるようです。今年の夏は雨続きで、だからこそいっそう、花火大会やセミの鳴き声が心に残ります。
 背中というものは去ってゆくというイメージがあるせいか、寂しさを感じます。特に夏の背中は、大きく熱いだけに、いっそう切なさを感じます。子どもの頃は夏休みの終わりとだぶったのでなおさらでしたが、大人になってある程度の年齢になると、巡る季節の積み重ねができてきて、妙に感慨深げになります。
 でも季節は巡ってもそれぞれの夏は違いますよね。あなたの見た夏の背中は、どんな背中でしょうか?忘れてしまいましたか?それなら、今年の夏の背中、じっと見つめて、こころにとめてください。


<第0015号 2003年8月21日(木) 本日のこびん>

      拍動

君は目をつむれ
君は時計を捨てて
君のなかの時間を聞け
与えられた一生という名の時間
その20億分の1の拍動


   * 挿一輪 *
 あなたがもし平均の寿命で生きるのなら、その一生の心臓の拍動は20億回くらいだといわれています。たとえば、何かに集中しているときや、逆にリラックスしているとき、多少の速さの違いはあるにせよ、心臓は片時も止まることもなく動いています。
 意識する、しないにかかわず動いている心臓ですが、その拍動のリズムはそれぞれの個体の時間の中で動いています。20億回、多いですか?少ないですか?でも、他の誰にでもない、あなたのために用意された回数です。かけがえのないもの。ね、大切に、あなたのために使いたいですね。時々、自分の胸に手を当てて、その20億分の1のいのちを、生きているんだと確かめてみてください。


<第0014号 2003年8月17日(日) 本日のこびん>

      うた

鳴き始めた虫たち
わたしはうたを聞いている
湧き上がるうた
共鳴する
わたしの内なるうた


   * 挿一輪 *
 雨の音を聞いていると、ふと別の音が混じっていることに気がつきました。じっと聞いていると、それは虫たちのうた。
 虫たちのうたを追っていると、また別のうたが聞こえてきます。それはわたしの体の中から聞こえてくるようです。生きているもの同士、うたはそれぞれに呼応して、新たなうたを作り出すようです。
 何かうたが聞こえたなら、こころをからっぽにして受け入れてみませんか。あなたの中に自然にうたができてきます。言葉だったり、音楽だったり、体のリズムだったり、人によって様々ですが、耳を傾けてみてください。


<第0013号 2003年8月14日(木) 本日のこびん>

      コスモス

コスモスに聞いてごらん
遠い故郷のことを
熱い草原とテキーラのことを
とげのかたいサボテンのことを
つばびろの帽子をかぶった友達のことを


   * 挿一輪 *
 秋の桜と呼ばれています。少したおやかな花の印象で、強い風にはすぐ倒れてしまいます。でも原産地はメキシコ。そういえば、抜けるような夏の青空にはよく似合います。やはりお国の空が恋しいのでしょうか?
 故郷を忘れるほど遠い異国に来ても、また別の形で愛されている花。それもいいでしょうが、時には声をかけて、故郷のことを聞いてあげてください。きっと、うれしそうに、花を揺らすにちがいありません。まるで、突然どこからか吹いてきた風に、身をまかすようなふりをして。


<第0012号 2003年8月10日(日) 本日のこびん>

      入道雲

木陰の濡れ縁
父が封を切る
ハイライトの匂い

見上げれば
高く大きな入道雲


   * 挿一輪 *
 父はもうタバコを吸いません。でも昔はよくハイライトを吸っていました。私はタバコの煙は嫌いですが、タバコの箱を開けたときの葉の匂いは好きです。父は小指の先だけ爪を伸ばしていて、その爪で箱の封を切っていました。その頃の家には狭い庭と小さいながら木の濡れ縁がありました。何とはなしに父が濡れ縁に座りタバコの箱を開け、何とはなしに子どもの私は横に座ってタバコの葉の匂いをかいでいました。
 見上げると入道雲がわきあがって、じっと見ていると、父のタバコの煙はいつの間にか蚊取り線香の煙に変わっていました。父がタバコを吸わなくなったのは健康にいいことですが、あの葉の匂いがかげなくなったのは少し残念なような気がします。


<第0011号 2003年8月7日(木) 本日のこびん>

      虹の予感

ふりむいたら虹の
虹のうなじが見えた

危ういように見えて
わたしのなかに立ち上る
もう一つの虹の
生きている確かさ


   * 挿一輪 *
 虹を感じることがあります。たとえば雨があがりかけて、一筋の日差しが急激に広がり、雨が帰りそびれてしまった時。「こういう時は振り向くと」、ほら虹!虹はすぐに消えてしまうものから、しばらく見ほれるような堂々としたものまで様々です。
 でもどんなに虹が危うくても、それをとらえ見つめている自分の中に、もう一つの虹が立ち上るような気がしてなりません。その虹は外の虹が消えてしまっても、ずっと残っています。自分が生きているという一つの場面で、確実な証人になってくれそうです。


<第0010号 2003年8月3日(日) 本日のこびん>

      旅

今日の旅はいつでも始められる
早朝でもいい
昼過ぎでもいい
夕暮れになってからでもいい

わずかでもいい
必ず今日の旅をしたい


   * 挿一輪 *
 一日は24時間。時間で区切れば、早朝から始めれば多くのことができます。でも何かをしようと思ったらもう夕暮れ近かった、なら明日にしよう・・・今日がかわいそうですね。
 旅と同じように朝早く出るほうがいいけれど、なにもしないで残りの今日を捨ててしまうのはもったない。たとえ10分間でも毎日の積み重ねは大きいです。
 ゼロはいくつたしてもゼロ。とにかく今日が残っている以上、ショートトリップでもいいから、自分のいちばん好きなところに行きましょう。むろん想像上でもOKです。



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