2003年12月のこびん

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<第0052号 2003年12月28日(日) 本日のこびん>

      わけのわからない

子どもが泣く
眠いのでも
おなかがすいたのでも
甘えたいのでもないの

ただ
わけのわからない不安が恐ろしいのだ


   * 挿一輪 *
 わけのわからない不安があります。子どもはストレートに、泣くという行動で表現します。泣いて泣きつかれて、眠り込んで。
 大人にはそれができません。
 分別だの、恥だの、外から自分を見てしまいます。
 不安をじっと中にため続けます。たまるとどんどん膨らんできます。
 見て見ぬ振りをしてとりつくろいます。
 他人からだけでなく、自分自身からも隠そうとします。見るのが辛い、怖い。不安が恐ろしいのではないのです。わけのわからないことが嫌なのです。
 ほんとうは、わけのわからないことは山のようにあるというのに、認めてしまうと自分が限りなく小さく弱いように思えてくるからです。でもわからないことは、当たり前のことです。まわりのことはともかく、自分の体の中のことすら神秘的なのですから。
 子どものほうがもっと知らないことだらけです。でも泣きつかれて眠った後、なにもなかったように遊びだします。泣くということで不安を発散するからかもしれません。ただ忘れているだけで、もっと楽しいことがあるのなら、そちらに気をとられているだけかもしれません。
 大人も見習えばいいのかもしれません。そうは泣けないでしょうから、一時的になにかに発散することです。なにか大好きなことに夢中になることです。
 でも。
 そう子どもは遊びの途中でも、ふとまわりを見回してまた急に泣き出します。繰り返しです。
 解決の方法は、わけのわからないことを、じっと見つめることです。見つめて、寄り添って、そのまま並んで座っていることです。家の中でもかまいませんが、できたら公園とか、野外をおすすめします。
 いつか横に、きのおけない友人や、ペットや、本がそばにいるような気になってきます。わけのわからないことの中身はそのままでかまいません。そんな自分をそのまま受け入れることです。落ち着いてきましたか?
 あなたには、わけのわからない不安ありますか?


<第0051号 2003年12月25日(木) 本日のこびん>

      魔法使い

子どもはみんな魔法使い
寝ても起きてもこころのままに
なんでも魔法をかけまくる

大人になると魔法を忘れ
魔法を見ると軽蔑したり
信じられないと頭ごなしに否定する


   * 挿一輪 *
 でも、大人になっても魔法を思い出すときがあります。夢の中と、子どもと一緒に遊ぶときです。なにかの拍子に、魔法が再び使えるようになるかもしれません。
 でも、もっと簡単な方法があります。実は、大人になっても、子どものときからずっと魔法使いのままの人がたまにいます。その人と仲間になることです。
 本来、生きているものは、木でも虫でも魚でも、魔法を自由に使えます。だから、同じ生きている人間だって、魔法を使うことはできるはずです。生きている〜いのち、のいちばん自然な形、のびのびと生きる、ことは自然にそなわっています。夢中になっている子どもと同じです。
 小細工はいりません。魔法が小細工だと思っているあなた、それは分別という黒い衣を頭からかぶされているようなものです。
 悪い魔法をかけられたって?自分で勝手にそう思い込んでいるだけです。だって魔法はとっても自然なものです。ね、いのちは魔法使い、だって。
 ほら、早く、あなたの周りから魔法使いの仲間を見つけて、あなたも子どものころの魔法を思い出してください。きっと、自由奔放なあの頃に帰れますよ。今の、かちかちの自分が、いかに自分自身をつまらなくしているか!
 別に杖だとか、フクロウだとかはいりません。ゆめと、信じることと、すぐに飛び出してやってみることと、ほかにアイテムはいりません。
 さあ、あなたの周りの魔法使い見つかりましたか。ところで魔法ってなに?と聞くあなた。それが分かるともう仲間が見えてきますよ。
 あなたにとっての魔法ってなんですか?


<第0050号 2003年12月21日(日) 本日のこびん>

      息

わたしは凍える手をすり合わせ
呪文のような息をはいている
大気が
おろしたてのノートのページのように
わたしの息をゆっくりと記憶する


   * 挿一輪 *
 冬の朝は冷えます。手はかじかんで、顔は痛みを感じます。
 息は真っ白です。思いっきり大きく息をはいて、もっと大きな白い息を作ろうとします。ふだん息をしていることは、けっこうすごいことなんだなと、息が見えてあらためて驚きます。
 言葉を話すときも息をはきます。でもどんなに寒くても、白い息が見えるだけで、言葉は見えません。誰かの耳に到達して初めて言葉として認識されます。
 息の強さ大きさは、白い息の大きさで見ることができます。でも言葉の強さ大きさは見ることが出来ません。時には自分ではっと気がつくことがありますが、たいていは相手の反応によって気がつくことが多いようです。話した意図と別のとらえられかたをされたとき、思った以上に相手の心をとらえたときです。後悔することもあります。
 白い息が、しばらく残っているのと同じように、目の前に白いノートのページがあって、そこに言葉が自然に書かれたら、面白いなと思います。自分の話した言葉をもう一度見て確認する、それから、相手に向かってその言葉を渡せたら、誤解や傷つけることが、ずいぶん減るのではないかと思います。
 はく息は、大気と混ざって、また自分の中にいつか戻ってきます。まわりの大気も、自分の体の中も、同じ一つにつながっているからです。
 同じように言葉もいつか自分に戻ってきます。大気と同じように共有しているからです。言葉の呪文は自分の内なる世界も含めて、全世界に広がります。だから、少しでも澄んだ、暖かな、優しい言葉をはきたいものです。
 環境問題では規制が厳しくなっています。排気ガスを吸うのはいやですね。どんなに冷たくても、澄んだ冬の大気を吸い込むほうがさわやかです。
 あなたも真っ白な息と一緒に、澄んだ自分の言葉を、冬の大気の中に溶かし込んでみませんか?
 みんなが少しずつでも実行したら、もしかしたらいちばん有効な環境浄化になるかもしれませんね。


<第0049号 2003年12月18日(木) 本日のこびん>

      うけいれる

何にもしないで
じっと生きていることが
おそろしく不器用にできない

うけいれることのできるものを
じっと見て考えてしまうのは
人間だけだろうか


   * 挿一輪 *
 人間はさまざまな道具を使いこなします。手先も思考も発達してとても器用です。でも、こと生きることに関しては、動物よりも不器用な気がします。
 何かしていないと不安でたまらないことってありませんか。性格ですか?でも、与えられた中で生きる、というと、消極的だと自分で思ってしまいませんか?
 ついには、まだ起こってもいない事象を、想像の中でふくらましてしまうと、たとえ、ささいなことだとしても、それが少しずつたまり、ストレスになり、ついには自分を追い込んでしまいます。じっとしていれば何ともなかったのに、ちょこちょこと動き回ったおかげで、もっと悪い状況に自分を追い込んでしまうことすらあります。
 最初から何もしないでいたほうが、物事はいつのまにか収まっていることがけっこうあるものです。器用不器用も、動けるから器用、とも限らず、じっと待っているから不器用、とも解釈できません。自然に呼吸をするように、生きていければいちばんいいのでしょうが、せちがらい世の中、そんなことでは生きていけないと、ほらやっぱりあおられます。
 ほんとうにくつろげるのは眠っているあいだだけですか?でも最近は不眠や熟眠ができないのを訴える人が増えてきているそうです。気分転換といっても、短期の休みでは疲れてしまうことがあるし、帰ってからの日常がなおさらいやになります。
 いちばんいいことは、自分のいちばん好きなことを徹底的にやることか、もっといいのは、自分のいちばん好きなこと、好きなものを、目の前にしてぼーっとしていることです。こつはその「ぼーっと」していることです。まるで目の前のものからオーラが出て、癒されているような。
 ね、好きなことは無条件で受け入れられるじゃないですか?その時のあなたの顔、とってもすてきだと思いますよ。その時のあなたの気持ち、とっても穏やかではないですか?
 ところで、あなたにとって、いちばん好きなことって何ですか?


<第0048号 2003年12月14日(日) 本日のこびん>

      すすき

ささくれた
今日一日の哀しみを
細い一本一本の指のあいだから
目に見えない言葉のように
風に乗せてこぼしている


   * 挿一輪 *
 日が短くなってきました。
 まだ5時にもならないうちに光は斜めになり、ススキの穂が逆光に輝いています。白い炎のようなその風貌は、冷たい季節風に揺すられると、色彩の乏しくなった空き地にもいっそう映えています。
 何かを訴えるようなその白い房からは、絶え間なく透明な言葉を生み出しているように思えます。
 今日一日あなたはどんな一日でしたか?
 気持ちよく自分の力を出し切れましたか?
 ささいなことが、だんだん悩みの形に広がって、重い気持ちのまま次の日を待っていませんか?
 まるで哀しみを味わいつくした翁のように、光る一本一本の穂が話しかけてくるようです。風に乗ってくるのは、すすきの穂の言葉です。でも聞こえてくるのは、あなたの内側から話しかけるあなたの言葉です。
 外に広がる様々なものを通して、あなたのこころはあなた自身に話しかけようとしています。あ、すすきだと思ったら、すすきを通して、あなたは自分を見ています。白い穂から、揺れる穂から、輝く穂から、あなた自身を受け取ろうとしています。まるで一本一本の穂がファイバースコープの細い管のように、あなたのこころの中からあなたの思いを引き出してきます。
 毎日誰でもいいから話を聞いてもらうと少しでもストレスはなくなるといいます。 あなたも光るすすきの無数の管に乗せて、今日の哀しみを、短くなった光の中に一つ残らず放ってみませんか。


<第0047号 2003年12月11日(木) 本日のこびん>

      いのこずち

みんなに嫌われながら
みょうに憎めない

これから冷たい冬の中で
ひっそりとすごす仮の家をみつける
いのこずち
夢見るタイムカプセル


   * 挿一輪 *
 秋の終わりから冬にかけて、草むらを歩くと、衣服のどこかに必ず何種類ものお土産がついてきます。いのこずちはその代表です。ソックスやシューズ、散歩をしていたらその犬の背中まで。
 その正体は草の種です。種には生命が眠っています。眠っているものは起きる日を待っています。どこか別の場所ではらわれて落ちて、新しい住みかを見つけて暖かな春を待っています。発芽を待つ、生命のタイムカプセルです。
 夢もそんな硬い種に似ています。今は仮の宿としてあなたのこころを借りています。暖かな春を待つ−そう、あなたが熱くなって夢を暖めるのを待っているのです。
 夢の種は生命の数だけあります。でも知らん振りしていると、誰かがいのこずちの種のように、ひょいとくっつけて持って行ってしまいます。
 仮の宿の夢の種は、早く芽を出す場所を喜びます。あなたがもし、あなたの所で夢の種を発芽させるつもりなら、あなたは熱くならなくてはなりません。
 さあ、夢の種を発芽させることができますか。熱くなるには、そう思いっきり動くことです。冬のおしくらまんじゅう、マラソン、みんな暖かく湯気が出るほど熱くなります。
 あなたも夢の種をいっぱいくっつけて、大きな芽を育てる手伝いをしてみませんか?まるで春の暖かさのように。


<第0046号 2003年12月7日(日) 本日のこびん>

      さざんか

さざんかが散った
みんなと同じように
咲いているうちは通り過ぎていったのに
こんなに一面に散りしだいて
道につもるほどになって
気がついた


   * 挿一輪 *
 意外とまっすぐ前を向いて歩いていません。まして左右の物はよほど目を引くものしか目に留まりません。そう歩いていると視野が狭くなるのです。考え事をしていなくても、携帯の画面に夢中になっていなくても、ただぼーっとしているだけでも、周りを見ていないのです。
 前から知り合いが来て、こちらが気がついて手を振っても、すれ違っても、知らぬ振りをして通り過ぎることがあります。私も時々、すれ違いざまに声をかけられてやっと気がつくことがあるのですが、目の良い悪いを別にしても、見てない結果だと思います(ちなみに私は目が悪い)。
 さざんかの花は白にしろ赤にしろわりと目立つ花です。でも花が咲いているのは、葉が密に茂っているせいか気がつきません。ちょうど視線の高さにあっても分かりません。散って足元一面に広がってやっと気がつきます。「あ、さざんかだ」と思ったときは、花の時期はほとんど終わっています。
 足元だから見えたのでしょうか?いえ、それだって数日前から散っていたはずです。誰もが見ようと思っていないと、真正面でも無視することができます。
 でも逆のこともあります。とんでもない場所の、例えば後で、何であんな場所にあるものに気がついたと、不思議に思うことがあります。何かを探してきょろきょろしている時はもとより、心にいつもそのテーマを気にかけていて、目が無意識に検索して止まったときが多いようです。
 あなたも何を見つけようと思った時には、そのテーマを心の片隅にいつでも置いておくと、見つかるかもしれません。目的地に急がなくても、少し寄り道してきょろきょろするのもいいのかもしれませんね。


<第0045号 2003年12月4日(木) 本日のこびん>

      犬

雨があがって
急に冷え込んだ夜
犬は
どこに眠っているのだろうか


   * 挿一輪 *
 眠りかけた時に犬の吠える声を聞きました。それは妙に長く哀しげで、まるで誰かと連絡を取るような遠吠えでした。最近の犬は大切にされて、人間と同じように家の中で暖かく眠っている犬が増えたのでしょうが、外の犬小屋で丸まっている番犬も、まだまだ多いのではないのでしょうか。
 犬の祖先の狼は、夜行動していたのですから、犬が夜の闇の中で何かを思い出して、もしかしたら、ふと昔の仲間と、連絡を取ろうとしたのかもしれません。
 急に温度が下がり、思わずふとんの中にもぐりこんだ後、吠える声を聞くと外の犬のことを思うことがあります。犬はどこに眠っているのでしょうか?そう思わせておいて、実はらんらんと目を光らせて、遠い昔の狼の血を思い出しているのでしょうか?
 人間にも、遠い祖先からの受け継いだ血を思い出すときがあるのでしょうか?夜、犬の吠える声を聞いた時、あなたはいったい何を思いますか?

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