2004年3月のこびん

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<第0078号 2004年3月28日(日) 本日のこびん>

      擬態

枯れた枝に
黄色い羽のちょうが二匹
まだ彼岸過ぎなのに
いや
よく見れば
黄色いレンギョウ


   * 挿一輪 *
 錯覚と言えばそれだけのことです。枝に初めて開いたレンギョウの花。風にゆれて、まるで二匹の黄色い羽のちょうがくっついているように見えます。
 昆虫と花は同じように見えることがあります。擬態で餌をとるために積極的に利用しているものから、敵から身を守るためのものまで、つい見誤ることが多いのかもしれません。色彩の乏しい冬の間はとにかく、様々な花が咲き乱れるこれからの季節は、そばに行って確かめないと、まんまといっぱいくわされるかもしれません。
 それにしても、思い込みというものは結構やっかいなものです。これだけ情報がはんらんしていると、どこかで見たり聞いたりした情報が頭のどこかに残り、新しい状況に触れても、その瞬間に今までの情報とすぐ照らし合わせてしまいます。照合はかまわないのですが、自分の情報や経験の中から、あ、これか、と既成のものにあてはめてしまいがちです。
 何か違う、今まで感じたことのない何かがある、そう感じても、詳しく調べたり観察しようとしてみる前に、きっとあれだろう、と勝手に決着をつけてしまいます。
 忙しすぎるのでしょうか?面倒だからでしょうか?そうして通り過ぎてしまったために、案外重要な発見や出会いをふいにしてしまうことがきっとあるはずです。
 まず疑って、じっと観察する。ほんの数分立ち止まるだけでもそれができることがあります。
 どうですか?一歩立ち止まって、一歩前に出て、じっと見る。その行為だけでも、習慣にすれば、自然の中の発見だけではなく、普段の生活の中でも、様々なアイデアの元になるのではないでしょうか?
 あれ?と思ったときに通り過ぎると、忙しい現代ではもう二度と戻ったり出会ったりはできません。時間のあるときになどと言っていないで、ぜひ、あれ?と思ったときに立ち止まって、観察してみてください。自然界でも、社会の中でも、そしてあなたのこころの中でも。
 あの時もう少しじっとみていれば、そう後悔したこと、あなたにはありませんか?


<第0077号 2004年3月25日(木) 本日のこびん>

      いま

いまのわたしを大切に
いまのわたしをいつくしみ

いまのわたしは動いている
いまのわたしは続いている


   * 挿一輪 *
 精神的な谷間があります。
 どうしようもないとき、何もかもがいやになるとき、どこかで自分を裏切っているようなとき。
 こんなわたしを消してしまいたい。消し去ってやり直したい。
 パソコンなら簡単ですね「元に戻す」。でも時間軸が前にしか進まないわたしには、前の時間を消し去ることはできません。消し去るには、すべての時間軸の中で、わたしそのものを消し去るしかありません。
 少なくても、わたしは生きていなければなりません。生きていたいから、より良く生きていたいから、現実とのギャップからストレスがたまります。決してわたしを消したくないのです。
 どんなにひどい状態のわたしでも、それがわたしである以上、あしたのわたしにつながります。つながれば、新しい展開も見つけられます。
 失敗は、その時点で撤退すれば、敗北につながりますが、再挑戦で、成功すれば、決して敗北にならないのと同じことです。動いている限り、生きている限り、何回でもトライできます。それはいまのわたしがここにいるからです。
 敗北は、その時点で終わったという、一つの事実が決定したときに認定されます。動いていれば、挑戦が続いていれば、どんなにいまの状態が悪くても、決して終わりではありません。
 だから、そんなわたしを、見捨てたり、卑下したりしてはいけません。
 わたしが率先して、支持し、助けてあげなければいけません。甘やかすことではありません。
 生きている事実を、明日につながるいま、という事実を、はっきりと確認する行動をとるのです。
 決して無駄にはならない。決して無用なことではない。わたしは、しっかりと、この瞬間も、わたしを生きている、そう声に出して、確認してください。
 そして、わたしをしっかりと応援してあげてください。一人芝居のように見えて、じつは一番ひいきの観客が応援していると思ってください。もうわたしは人の批評に左右されずに、わたしの道を自信をもってゆくことができるようになります。
 さあ、あなたは、どんなことでも明日につながる「わたし」を、見つけることができますか?


<第0076号 2004年3月21日(日) 本日のこびん>

      メモ

メモは
たとえば種
どんな芽が出て
どんな花になるのか

毎日ひとつでも
まいてみよう


   * 挿一輪 *
 毎日いろいろなことを考えます。
 ぼーっとしていても、ふと小さなアイデアが浮かびます。アイデアは次から次へとおもしろいように湧いてきて、前のアイデアを消してゆきます。
 もっといないですね。すぐにメモをしないと忘れてしまいます。
 いやー、つまらない思いつきで、メモにするなんて、自分で見ても笑っちゃいますよ、ですか?
 でも、メモに残してみてください。そう、文字に残してください。それは確実に種になります。
 種から芽が出て草や木になり、花が咲くのはごくわずかかもしれません。それが百に一つか、千に一つか、万に一つか。でも、種はまかなければ芽は出ません。
 同じようにメモをとって文字に残さなければ、それを大きくふくらませてはゆけません。暗記力が並外れていれば別ですが、ほとんどの人はすぐに忘れてしまいます。
 よく、お風呂に入ってリラックスしているときに、良いアイデアが浮かびませんか?トイレに入っているとき、夜中にふと目が覚めたとき、人によってさまざまですが、突然アイデアが浮かびます。でも、たいていしばらくすると忘れてしまいます。とってもステキなことを考えていたのに、思いついたのに、さて、内容は何だっただろうか?よくあることですね。
 家中あちこちにメモを置いておいて、アイデアが浮かんだらすぐにメモにするという人のことを聞きました。そこまでいかなくても、手帳やノートに一つでも二つでも、その日に考えたことを書いておくと、必ずあとでプラスになります。
 そのメモの文字を見ることによって、また新しいアイデアがそこから展開することが多いのです。まいた種から芽が出ました。文字に残すことで、芽が出る率が高くなります。
 何かに役立つと思いますが、それ以上に大きな効果があります。
 メモを見ていると、それだけで想像力が発達して、その結果、楽しい空想ができるようになることです。リラックスしてゆくと、プラス思考になり、新しい考えが浮かびやすくなり、それを積極的に試してみたくなります。どんどんポジティブになります。
 たかがメモを取るだけで?そう、一つの行動が次の行動を呼ぶことになります。でも、何かアクションを起こさないと何も進みません。メモを取るという手軽なこと、あなたが今すぐにでもできるアクションです。
 さあ、はじめてみませんか?


<第0075号 2004年3月18日(木) 本日のこびん>

      ひなた

雨上がりの土の匂い
通り過ぎる靴音
夢の開く予感

てのひらをひなたに広げて
握っているこぶしを開いて
種が割れて芽が出るように


   * 挿一輪 *
 ひなたはもう汗ばむくらいです。太陽の光も強く確かになって、陽炎が立ち昇るときもあります。
 ひなたにたたずむと湿った土と乾いた土の匂いが昇ってきます。ハイヒール、スニーカー、ジョギングシューズ、それぞれの靴の音も昇ってきます。
 ふだん身近に感じる匂いや音も、まるで夢の開く予感のようにうきうきとしてきます。
 あなたのてのひらをひなたに差し出してみてください。
 公園やベンチの上でなくてもかまいません。バス停で時間待ちをしているとき、信号待ちをしているとき、電車のドアで外を眺めているとき、部屋で本を読んでいるとき。
 小さな、そう、てのひらに納まるくらいのひなたでいいのです。開いてそっと差し出してください。
 握っているこぶしを開いてください。開けませんか?悲しみで、悩みで、怒りで、握り締めていないとだめですか?
 ほんのわずかな間でいいのです。こぶしをゆるめて、そのすきまからてのひらに陽が差し込むくらいでもいいのです。
 ほら、暖かくなってきましたね。ゆっくりとこぶしが開いてきましたね。硬い種から、柔らかな緑の芽が出るように、あなたのてのひらを土壌にして、あなたの柔らかな夢の芽が出てきます。
 だれでも手の中に大きな夢の種を持っています。でもそのままでは芽が出ません。あたたかなひなたに、あなたのてのひらをそっと開いて、硬い種に陽の光を与えることが必要なのです。
 だれでも夢を持ち、だれでもそれを開くことができます。
 どれだけ早くそのことに気がつき、どれだけ早くひなたであたためられかの違いで、夢が大きく開くか、じっと待ち続けるか、の分かれ道になります。
 ね、てのひらを開いて、ほら、ひなたに差し出してみてください。
 とってもあたたかでしょう。からだ全体がひなたになったようにポカポカとしてきませんか?
 あとは、そのてのひらを閉じないでください。絶対に閉じないでください。そしてあなたの夢の芽を育ててください。
 でも、もっと大きく育てるためには、今まで以上に大きな大きな陽の光が必要です。
 それは、みんながもっているてのひらのあたたかさの集まりです。
 一人ではなくみんなで寄り合って、てのひらを出し合ってください。芽は、夢の芽は、どんどん成長します。てのひらの数だけ、夢の数だけ、いのちの集まった数だけ、夢は大きくなります。
 さあ、あなたのてのひら、だれとならべて開きますか?


<第0074号 2004年3月14日(日) 本日のこびん>

      ほんもの

ほんとうにすごいものは
さりげないものだ

ほんとうに強いものは
静かにたたずんでいるものだ


   * 挿一輪 *
 何かことが起こるとバタバタします。小さな心配事でもあると、他のことが手につきません。
 自分のことだけではありません。隣で誰かがバタバタしているだけで、水に投げられた小石の波紋が広がるように、すぐに影響を受けてしまいます。
 そういうときに動じないで、じっとしている人がいます。何だ、動けないだけではないか、そう言ってしまうのは簡単ですが、終わってみると、取るに足りないことで、みんながバタバタしているなか、その人だけがゆったりとしているのは、最初から結果を見通しているからのようにさえ思えてきます。でも、緊急を要するときは、逆にすばやく行動を起こします。
 私たちは、いざというときはウロウロするだけで、行動が起こすことができません。どうでもいいこと、放っておいても収まることに、バタバタとして、すぐに対処しなければならないときに考え込んでしまいます。とても情けないものです。
 トラブルのときもしかりです。すぐにけんか腰になったり、自分の力かなわずとみると、負け犬の遠吠えのごとく遠くから嫌がらせや陰でこそこそと中傷すらしてしまう。
 何か起こったときに初めて、その人の心構えや本当の価値が見えるような気がします。
 では、いったいなにが違うというのでしょうか?
 まずは、自分の基準というものをしっかりと持っているということです。人の意見や行動に左右されずに、自分で考え、自分で行動することです。最後には自分ひとりになったとしても、決して自分の考えを変えない。頑固一徹といわんばかりですが、一貫性は崩さない。
 そして、自分の力を誇示しないことです。いかにも見た目に強そうな人なら、周りも遠慮をしましょうが、ごく普通の風貌で特に威圧感もないひとが、自分の意見を通すことはけっこう至難の業です。
 静かな人、目立たない人、だからといって弱い人ではありません。
 ふだん隅に隠れて見えない人が、いざというときに大きく堂々として見えることがありませんか?「能ある鷹は爪を隠す」のことわざにもあるように、ほんものは、実にさりげなく、静かにたたずんでいます。いざというとき、ほんとうに「すごいな」「強いな」と思えるほどの自分がもてるといいですね。


<第0073号 2004年3月11日(木) 本日のこびん>

      主人公

ここにいたら
だれかに会える
ここにいたら
なにかができる

ここにいるのは わたし
物語をつくるのも わたし

だから
わたしが主人公


   * 挿一輪 *
 生まれた以上、生きてゆかなければなりません。
 生きてゆく以上、自分を生かしてゆかなければなりません。
 それはなぜ?いつもは隠れていても、必ず顔を出す疑問です。答えはたぶん生命の数だけあるのかもしれません。
 毎日、だれかに会います。
 知っている人、初対面の人、ただ見かけてすれ違うだけの人。人間でなくても、水槽の金魚、愛犬、ベランダにやってくる鳥、小さな虫、木の芽、つぼみ、香りまで。
 毎日、何かをしています。
 好きなこと、仕事、いいえ、もっと具体的なこと、歩くこと、眠ること、食べること、笑うこと、泣くこと。
 組み合わせで様々な物語ができます。毎日、毎日、同じようで、まったく同じ日はありません。ということは、まったく同じあなたはありません。少しずつ、少しずつ変化してゆきます。
 それがあなたの物語です。
 主人公はあなた自身です。
 なにを遠慮して尻込みしているのです?あなたの作った、いえ、作っている物語の中で、あなた以外にいったいだれが主人公をやるのですか?
 生まれたときからあなたが主人公です。スタッフや、エキストラは日替わりでも、主人公は変わりません。あなたを主役にした映画が上映されているのと同じです。台本はありません。生放送です。
 生の映画?そんなものはありませんが、生の物語、それはだれもが今まさに同時進行で体験して作り出しています。
 主演はあなたです。
 主人公はあなたです。
 降りてしまったら中断してしまいます。せっかくの主役なのですから、降りてしまうのはもったいないことです。 
 毎日、だれかに会います。
 毎日、なにかをしています。
 言い換えれば、だれかに会うことができます。なにかをすることができます。主人公であるあなたは、あらゆる物語を作る可能性を秘めています。そのためにも、まずあなたがあなたの生きているあいだ、一時も離れることなく主人公であることを意識してみてください。一見、複雑そうな人間関係もすっきりとするかもしれません。
 重要な鍵はすべてあなたがにぎっています。それはあなたの物語の中で、あなたが主人公だからです。
 その視点からもう一度、周りを見渡して見ませんか?少し違う風景が見えてくると思いませんか?


<第0072号 2004年3月7日(日) 本日のこびん>

      being

いるということ
あるということ

立っている 座っている 眠っている
笑っている 泣いている 話している
自らの重みとともに

そう重み
影でもない 光でもない
確かにあるもの

いるということ あなたが
あるということ いのちが
being


   * 挿一輪 *
 生きていることは確かなことです。自分の質量があり、自分の生命が管理しています。ふだんなにげなく行動していること、動作、考え、表現、すべては自分自身が作り出しています。自分がいる限りそれは続きます。
 いきなり額に深いしわを作るようなことを言いました。少し忘れてください。
 外を見てください。あなたの部屋の窓から。朝陽が見えますか?それとも曇り空?一面の銀世界?深い闇?住んでいる場所、時間によって、変わりますね。
 わたしは今、東の窓にいっぱいの太陽を受けてこの文章を書いています。
 今朝は気持ちよく起きれましたか?ぐっすり眠れたので気分爽快ですか?それとも徹夜で顔をはらしていますか?昨日けんかした友達のことが気になって、寝覚めが悪いですか?これからの会う人のことを思って、うきうきとしたくをしていますか?置かれた立場、その時の気分によって、あなたのこころも変わりますね。
 わたしは風邪のせいか、昨夜は頭痛がひどく薬を飲んですぐに寝ました。でもそういう時って変な夢を見ます。起き抜けは頭がまだ重かったのですが、今は朝陽のせいか落ち着いています。
 春先は寒暖の差が激しいです。健康状態とともにこころの状態も不安定になりがちです。でも不安定が悪いというわけではありません。安定だけでは変化がありません。次の段階に進めないからです。ただ極端にバランスを崩すとついていけませんね。
 場所、時間、気持ち、気分、季節、バランス、本当にわたしたちはいろいろなことに振り回されます。望んでいることもあるかもしれませんが、多くの場合「そっとしておいてくれないかな」と思うことがありますね。いやになって逃げ出したくなることもあります。この場所から、この気持ちから、この自分から。
 でも環境や気持ちと、自分が存在するということは少し違います。自分からは逃げ出せません。
 いちばんはっきりしているのは「重み」です。自分の重みです。誰かに背負ってもらう重み、ぶつかってあざを作る重み、一歩一歩歩く確実な重み、そして引き継いできたいのちの重み。
 ここに確かにあなたはいます。
 他の誰でもないあなた自身がいます。
 それは作ろうと思ってもできない確かな「being」です。
 大切にしてください。そのたった一つの「being」を守るためにあなたは生きているのですから。
 そしてもうひとつ。隣にいる人、出会う人、みんなそれぞれが、「being」を持っていることを思ってください。人だけではありません。小さないのちたちだって同じです。
 余裕があるときでかまいません。一度そういう視点で周りを見てください。特に今は春先。早春はいのちの芽がいっぱい見られますよ。
 あなたの「being」、確認するときはどんなときですか?


<第0071号 2004年3月4日(木) 本日のこびん>

      弥生

開く白蓮の花
青い空は少し狭くなる

ずっと遠くの山並みは
春がたちこめてよく見えません

どこかで凧のうなるような音はするのだが


   * 挿一輪 *
 3月弥生、弥生3月。
 ひな祭りもすぎて、三寒四温。
 行ったり来たりで、「だるまさんがころんだ」の遊びのように、春が近づいてきます。
 物事は一度には運びません。揺り動きながら、行ったり来たり、それでいて確実に一つの方向に動いてゆきます。
 その方向を望んでいるのは、想いをこめじっと見ているあなたです。あなたの見つめる方向に少しずつ少しずつ動いてゆきます。
 いいことも、悪いことも、ほら、「だるまさんがころんだ」。あなたの思うものがにじり寄ってきます。
 悪いことばかり考えていると悪魔が近づいてくる、良いイメージを持っていれば必ずその良いイメージが近づいてくる。自己啓発の本を見てみると必ず書いてあるフレーズです。
 確かに、美しいもの、あたたかなもの、やさしいもの、春先に開く花を見るように、とても穏やかで、でも力を与えてくれるものがあります。自分の感性のなかに、自分がなりたいイメージを積極的に刷り込むのは、とても効果的なものが期待できます。
 早春はそれにはいちばん適した季節です。何もない大地、凍っていた地表から、新しい芽が出て、伸びて、花が咲く。約束されたこととはいえ、約束されたことだからこそ、そのエネルギーはすさまじいものがあります。その一年でいちばん強い、いのちの伸びを、一緒に味方にしてついてゆけるか、それともその力に押し込められてしまうのか。
 どうです。自分もいつかは開く花。
 それならば、少しでも青空を狭く見せるような大きな白蓮の花のように、咲きたいものです。ずっと遠くの山並みは見えなくても、凧のうなるようないのちの音は聞こえるはずです。
 一緒に行きましょう、春とあなたと大きな夢と一緒に。
 あなたの迎える春、どんなイメージをもっていますか?


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