2004年7月のこびん

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<第0113号 2004年7月29日(木)>

      再び 虹

虹のふもとを探しにゆこう
ぼくはひとことつぶやいた

虹のふもとはここですか
ぼくをたずねてやってきた

はるか遠くからみていたら
ぼくの背中から虹が立っていた

ぼくは虹を背負ったままで
ぼくの虹を探そうとしていた


   * 挿一輪 *

 山の天気は変わりやすい。
 さっきまで雲ひとつない青空だったのが、小さな入道雲が湧いたなと思ったら、いきなり雨が降ってきます。

 それでも今回の雨は、通り雨でした。すぐに陽がさしてきて、くっきりとした陽の光のなかに、通り雨が置いてきぼりにされています。
 狐の嫁入り、ともいわれますが、こんなときは、太陽を背にして、反対の空を見上げてみてください。

 ほら、虹。
 みごとな七色のアーチです。

 その虹のふもと、虹が始まるところはどこでしょうか。あの山すその、銀色に輝く鉄塔のあたりです。虹のふもとに行けたなら、幸福になれるといわれます。
 鉄塔のそばにいる人は、きっと幸運に恵まれていますね。だって足もとから立ち上る虹が見られるのですから。

 そのとき、下のほうから誰かが上がってきました。やはり、虹のふもとを探してきたとのことでした。

 幸運でしたね。あなたの足もとから虹が立ち上っていたでしょう。

 いいえ、虹は、ほら、あそこです。

 不思議ですね、遠くから見ていたら、あなたのすぐそばから、虹が立ち上って見えたのです。あなたは、てっきり、虹を背負っていたのかと思っていました。

 虹のふもとはここにあったのですね。自分の虹に気がつかないまま、他の虹を追いかけていました。
 青い鳥を探す話に似ていますが、雨が降り、その後に陽がさしてきたならば、だれの背中にも虹が立つのかもしれませんね。

 目の前に広がる大きな虹を見つめながら、自分の背中からも虹が立っているのを感じてみたいですね。


<第0112号 2004年7月25日(日)>

      渡したいもの

あなたに渡したいもの
いまの気持ち

ほらあの空の積乱雲
みるみるうちに
大きくなってゆく


   * 挿一輪 *

 どうしても伝えたい気持ちがあります。
 向かい合って話すこと、電話で話すこと、手紙で伝えること、メールで伝えること。
 手段は異なっても、どうしても話しておきたい。

 あなたともう一度会いたい。
 あなたといつも一緒にいたい。
 あなたが好き。
 ほんとうはあなたにこうしてほしい。
 もう我慢ができなくなってきた。
 やり直せるかな、それとも、これでさよなら。

 これから始まる新しい関係、これで終わりの最後忠告、そのひとつ手前のぎりぎりのサイン。男と女の恋愛関係にしろ、友達同士のつきあいにしろ、人と人とが出会い、まじわる以上、そこに様々な感情が交錯します。

 その関係が濃密になればなるほど、実は、本当に伝えたいものが、伝えにくくなるのではないでしょうか。
 気軽に伝えさえすれば、少し気持ちが動いた段階での、こまめな修正ができます。

 このくらい、もう少したってから、今度同じ場面に遭遇したら。
 渡したいものを、目の前に出せるくせに、まあいいや、と引っ込めてしまいます。一度ならずも、迷ったものは、次のチャンスにもまた見送られます。

 さりげない一言ですんでしまうことが、どんどん大きくふくらんで重くなってゆく。慎重に検討する場合はいいのでしょうが、たいていの場合、大きくなればなるほど、冷静さにかけて判断ができなくなります。

 でも、その気持ちを死ぬ気になってぶつければいいのでは、そう思うかもしれません。
 ただ、そこまでゆくと、確かにあなたの気持ちは最大になるかもしれませんが、それと同時に一番大切なものを見失う可能性が大きいのです。

 それは相手の気持ちをおもんばかることです。
 あなたの体の何倍もの思いを、どっこらしょと、不用意に相手に背負わせたならば、それだけでつぶれてしまうかもしれません。

 夏の空にお似合いの入道雲、巨大な積乱雲は、最後には自分の重さに耐えかねてつぶれてしまいます。そう、大きな雷鳴と稲妻を撒き散らしながら。

 伝えたい気持ち、渡したいもの、相手がおびえるほど巨大にならない前に、そっと差し出すのがすてきだと思いませんか。その心づくしを感じることのできる相手なら、きっとおなじようにそっと、優しいこころを返してくれるような気がします。

 渡したいもの、思いついたら、さりげなく、すっと、手渡したいと思いませんか?


<第0111号 2004年7月22日(木)>

      光の道

海の上には
一本の光の道が伸びている
水平線
ゆっくりと昇る満月の中から


   * 挿一輪 *

 もう何年も前になります。旅行に行った海岸でのこと。
 食事を早めに済ませて、砂浜で花火をやろうと場所を探していました。夜の砂浜は暗く、海には明かりがありません。でも、しばらく歩いているうちに、海の先のほうがぼーっと明るくなっていることに気がつきました。

 船の灯りにしては、ぼんやりと明るいものです。不思議に思って見ているうちに、明るさは増してきます。もしかしたらUFO?
 でも、次の瞬間わかりました。水平線から月が昇ってきたのです。まるで線香花火の光の玉のような、満月です。

 満月からは、海岸に向かって、光の道がまっすぐに伸びてきました。それは、月が水平線を離れるまでの、ほんのわずかのあいだつながり、溶けるように消えてゆきました。花火をするのも忘れて、みんなじっと見ていました。

 偶然のできごととは言え、とても神秘的で、大きな力をもらったような気持ちでした。
 満月が出始めてから、水平線を離れる、ほんのわずかなあいだだけの光の道、もしかしたら、そのあいだだけ、光の道を、海の上を歩いてゆけるのかもしれない、そう考えただけで、とてもステキな気持ちになりました。

 偶然のできごとに出会っただけで、ひとつ夢がうかびます。
 たとえば、海の上の、一筋の光の道を歩いて、水平線まで行ってみたい。

 あなたは笑いますか。わたしもたぶん笑うと思います、その時の実際の光景を体験しなければ。
 聞いたり、思っただけでは、絵空事のように思えても、目の前で起こったならば、決して頭ごなしに否定できません。それは、思い描いた、空想上の夢が、目の前の小さな事実によって、かなえる手がかりを見つけられることに似ています。

 だれもが夢をもっています。
 でも、思いついても、夢だからと、笑って済ませていないでしょうか。どんな形でも、目の前の小さな事実として表してみる。それだけで、ぐっと、近づいてくるのではないでしょうか。かなえられない夢なら、はじめから思いもしないのではないですか。

 さあ、光の道を探してみましょう。
 偶然でもかまいません。
 いえ、偶然を呼んでしまうのかもしれません。

 でも、気をつけてください。チャンスは一瞬です。
 光の道は、見とれているあいだにすぐに消えてしまいました。
 いざというときに、駆け抜けて渡れるように、いつでも準備はしていてくださいね。

 あなたの夢をかなえるために。


<第0110号 2004年7月18日(日)>

      写真

本のページにはさんだまま
忘れられた写真
そこだけ時が止まっている
そこだけ微笑が続いている


   * 挿一輪 *

 部屋のかたづけを始めると、思わぬものが出てきます。書棚に入りきれなくなった本の間や、古いノートの間から、はさんだままの昔の写真が出てくることがあります。
 自分の写真が出てくれば、あの時はこんなことをしていたっけ、などと、写真の時の自分に戻れます。

 ところで、自分のではない写真、たとえば家族の写真、友だちの写真、何かの記念の写真、自分の周りの写真が見つかると、少し気分が違ってきます。その時点から、ゆっくりと時が動き出すのです。

 その時、という、点ではなく、その時から、という、線を引き始めます。線は、たどってゆくうちに、あやふやなところが鮮明になって、忘れていたことが思い出されたり、急に途切れて、その後の消息を知りたくなったりします。
 そしてもうひとつ、別の物語ができることがあります。

 それぞれの生き様を、一本の道に例えることがよくあります。
 道は一本道ではありません。たくさんの分かれ道を通ってきています。岐路に立ったとき、迷わずにこちらと決めるときと、いつまでもそこにたたずんで悩み続けることがあります。
 結局はどちらかをいつかは決めなくてはいけないのでしょうが、確実にいるであろう自分を掌で隠してみると、周りの影響が見えてきます。

 自分の写っていないその時の写真、でも、確かに自分はその周りにいます。そのことが分かっていても、その時点から別の線を引いてみたくなるのかもしれません。

 戻ることはできません。現在を変えることもできません。ただ、別の線を引くことによって、気がつくことがあります。
 そう、道は一本だけではないということです。そして、どの道も選ぶことができるということです。

 でも、と言われるかもしれません。その道しかなかったんだと。
 それは他の道を選ばなかった言い訳ではないのでしょうか。
 その道を自ら選んだ証にはなっていないのではないでしょうか。

 もう一度、戻ることはできません。でも、これから無数にある分かれ道での考え方に少し役立ってくると思いませんか。
 過去は、未来を生かすために必要です。写真の中の微笑は続いています。今度こそは自分の思い描くとおりに進んでみてね、そう語りかけているように思います。

 止まっている時の記録は、動いている時があるからこそ、そのために必要なものなのかもしれませんね。
 あなたは見つけた写真、これからのあなたのために使うことができますか?


<第0109号 2004年7月15日(木)>

      南風

見るんじゃないんだ
体で感じることさ
汗のふきだした小さな穴から
熱い風を招き入れるのさ


   * 挿一輪 *

 南風は熱く湿った風です。
 肌にまとわりついて汗を出させ、隙を見て体の中に入り込みます。南風のにおいを感じると、脳が汗腺に命じます、「開け」と。
 夏はそんなにおいが満ち溢れた空間です。

 考えたり、理解したりするまえに、直感的に体が動くことがあります。瞬時の動きです。
 なぜあのときに、体が動いたのか、あとで不思議に思うことがあります。別にふだんから用意していたわけでもないのに、あたかも予定された行動のように動いてしまう。
 危険に対しての反射神経もそのひとつでしょうが、そうでないときにも、体験しているのではないでしょうか。

 たとえば、昔好きだった人と、同じ名前を聞いたときの、何気なくとってしまう行動やくせ。
 たとえば、大嫌いな昆虫、クモににた影が片隅を横切ったときに、背中を走る寒気。
 たとえば、投げかけられて、深い傷を負った、二度と忘れないことばを、会話の中でふと使われたとき。

 抑えようと思うまもなく、反応は起きてしまっています。そのときの自分って、どこにいるのでしょうか。きっと時間を通り越して、何度も何度も、悪夢のように繰り返し、その場所を、訪れているのかもしれません。

 ふとわれに返ったとき、とても疲れていませんか。
 消したい過去、戻りたい過去、あるようで、もう実体はありません。済んだことを、再構成して、幻を作り出しているだけです。忌まわしいものでも、楽しくて仕方ないものでも、幻はつかめません。

 できることなら、その力を、今現在や、明日のために使うことができたらステキですね。自分で生み出すエネルギーは、何に使おうと自由ですが、その結果、疲れきってしまうのなら、何のメリットもありません。

 熱い南風を導きいれて、新しい力が湧き出すのならいいのですが、夏バテで倒れそうな体には逆効果です。
 大きなエネルギーがやってきたとき、それを自分の明日のために使えるように、しっかりと前を向いていたいものです。

 あなたは、大きなエネルギーを、あなたの明日のために使えますか?


<第0108号 2004年7月11日(日)>

      たったひとつの

たったひとつのことでいい
これと決めたら
よそ見をするな
ひたすらひとつを追ってゆけ


   * 挿一輪 *

 たったひとつ。
 これほど難しいことはありません。

 あなただって迷うはずです。
 探すことができません。
 絞ることができません。

 何もないとあきらめる人、どれにするか迷う人。
 たとえば、あなたが大好きなものを挙げてください。そう言えば、たいていひとつは浮かびます。ひとつ浮かぶと次々と浮かびます。だんだん、大好き、が、あいまいになってきます。

 好きなものをたくさん挙げるほうが、はるかに簡単です。
 大好きなものは、ひとつかふたつのはずです。
 よく、無人島に持ってゆけるたったひとつのもの、という質問があります。それに似ています。

 大好きで、これからも大好きで、ずっと大好きでいられるもの。
 あなたは答えられますか。
 答えられたものは、たぶん今までずっとやり続けてきたものでしょう。これからも続いてゆくはずです。知らず知らずに、そのことにいちばん時間を費やして、気がつけば、あなたほどそのことについて詳しい人は、他にいなくなるほどのレベルになります。

 その第一歩は、どんなことでも、ひとつのことを決めて、始めることです。大きいこととか、小さいこととか、価値で決まるものではありません。
 ものさしの基準はあなたです。あなたが、これ、と決めたら、後は時間をかけてやってゆくことのみです。大変そうに思いますが、大好きなこと、です、決して嫌々やらされるものではありません。

 さあ、あなたはどうですか?
 まず、ひとつのことを決めましたか?
 決まったなら、あとはそれを黙々とやり続けることです。

 まだ、決まっていませんか?
 それなら、じっくりとあなたの中で探してください。あわてる必要はありませんが、時間に限りがないわけではありません。それに、決めるのに長い時間を費やすくらいなら、その分、大好きなことを早くやり始めることのほうが、よほどいいではありませんか。

 さ、たったひとつ。
 この難関を解決したら、あなたはもう迷うことはないと思います。だって、わからなくなったら、あなたが決めた、その、ひとつ、に戻ってくればいいのですから。


<第0107号 2004年7月7日(木)>

      観覧車

空のまんなかにゆくには
少し高いところから
もう少し高いところをめざすのが
いちばんの近道かもしれない


   * 挿一輪 *

 デパートの屋上に観覧車がありました。
 子どもの頃の話です。いまはほとんどありません。

 観覧車というと、高さ日本一とか、東洋一とか、大きさで比べられますが、地上からの高さで、それほど怖いと思ったことはありません。むしろ、デパートの屋上の観覧車のほうが、怖かった思い出があります。

 乗ってすぐに、ゴンドラが建物からはみ出すとき、道路がはるか下に見えて、車や人が豆粒ほどに見えるとき、いちばん怖いですね。いきなり、デパートの屋上の高さですから(あたりまえですが)。

 登山で岩場を歩き、○○の覗き、なんて名前がついてるような、切り立ったがけから覗くように、足元から寒気が背中を駆け上る感じです。

 中空に放り出された感じでしょうか、確かにそこは、空なのです。地上からだと、ゆっくりと上がってゆくので、到達点がどんなに高いところでも、こころに余裕ができます。でも、いきなり頂上近くの高さから入ったら、やはり怖いでしょうね。

 ものごとは、ひとつひとつ堅実に上ってゆくのが確実なのでしょうが、時には、大きな飛躍がプレゼントされることがあります。偶然や運が重なるのかもしれませんが、だれにも訪れるチャンスはあります。そのときは、「ラッキー」と、ちゃっかりいただいてしまいましょう。

 なにか、後ろめたさや、罪悪感を感じることがあるかもしれませんが、チャンスは平等にやってくるもの。そのひとつだと思えば、喜んでもらえると思います。案外、ふだんの行いに対してのごほうびかもしれません。

 いちばんいけないのは、せっかくのチャンスを、怖がって、自分からキャンセルしてしまうこと。「あ、いらないのかな」と思われて、次のチャンスが遠ざかってしまうかもしれません。
 いただけるものは、素直にいただいて、その代わり、そのお礼に、いただいたチャンスをせいいっぱいに生かして使い切る。そんな姿勢がステキですね。

 地上から、空のまんなかにゆくには、遠い行程になりますが、少し高いところに上げてもらえたら、近道になります。
 その方法を、待つも良し、自分で工夫して引き寄せるも良し。

 どちらにしろ、そのきっかけを逃さないように、いきなり高いところに連れてこられても、目をつぶらないようにしたいものですね。


<第0106号 2004年7月4日(日)>

      はじめよう

はじめよう
はじめよう
何でもはじめよう
だれよりも先に
あなたがはじめよう


   * 挿一輪 *

 どうしようかな。
 そう迷っていることありませんか?すぐに始めたいのだけれど、躊躇していること。

 なぜでしょうか。きっと理由があるはずですね。
 そうでなければ、やりたいと思っていることは、すぐに始めたいはずです。制約がなければ、すぐに行動するはずです。
 だって、やりたいのですから。始めたいのですから。
 いますぐにでも。

 理由は何でしょうか。
 まず、失敗しそうだから。前にもあまり考えないでやり始めたら、とんでもない失敗をしましたね。だから、もう少し、慎重に考えてから。
 次に、そんなこと、うまくゆくはずがないから。始めようと思ったときは、とてもステキな経路や結末が見えているはずです。でも、よく考えてみたら、そんなにうまくゆくはずがない。
 そして、もっと他にいいことがあるはずだから。欲張りで、もっといいことを見つけたら、その時こそはじめよう、って。

 理由は、もっと見つかりましたか?
 考え付く理由を、すべてあげて見てください。気が済むまで、始めたいけれど、始めない理由を。
 どうです。始めないためには、これだけの理由を挙げることができます。すごい、エネルギーを使っていますね。

 では、始めるには、どうすればいいか?
 何も理由はいりませんね。そう、とても単純なことです。たった一つの行動だけ。
 始める。

 どちらが簡単ですか。どちらが省エネですか。
 別にエネルギーを節約するのがいいとはいっていません。限られたエネルギーを、出来るなら、あなたが始めることに使ったほうがいいではないですか。始めるかどうか、悩むために使うエネルギーは、それこそ無駄遣いです。

 ね、まず始めましょう。
 思ったときに始めましょう。

 みんな、だれでも、そこで悩みます。だったら、そこを悩まずに始めてしまえば、一歩早く始めることができます。
 気持ちいいでしょう?

 早朝のだれもいない道。朝一番で入る本屋。通勤ラッシュ前の駅のホーム。同じです。
 気持ちよければ、始めてよかったなと思います。
 くせになります。
 ね、思ったらすぐに始めましょう。ステキな道がきっと見つかりますよ。


<第0105号 2004年7月1日(木)>

      グラジオラス

その名は恐竜
大きく
強く
夏の太陽に輝いている


   * 挿一輪 *

 グラジオラスが恐竜の名前?
 いいえ、グラジオラスはとても可憐な花の名です。初夏から夏にかけ、農家の庭先や、畑の端になどよくみかけられます。

 縦一列につく花は、キリンの背中を思い出させます。もし、グラジオラスという名の恐竜がいたら、きっと首長竜のように長い首を風になびかせていたかもしれません。
 何も知らずに、いきなり、グラジオラスってなあに?と聞かれたら、そんな古代の生物に思いをはせても不思議ではありません。

 耳から入った音というものは、書かれた文字を目で判断するよりも、より直感的なものがあります。ことばの音の感覚、音感が、瞬時に、好き嫌いや、快感不快感を感じるのは、脳内で一度咀嚼してから理解する文字とは、格段に伝わる速さが違うからだと思います。

 たとえば、好きです、と告白されたとき。
 面と向かってでなくても、電話の声で聞くのと、手紙の文面で見るのでは、最初に、好きです、に触れた瞬間が、やはり、耳から入ったほうがインパクトが強いはずです。

 暗記をする場合でも、ただ見ているよりは、ぶつぶつと独り言のように繰り返して、それを自分の耳で聞いているほうが、数段速く、頭の中に取り入れられます。

 大きな決断をしようとしているとき、右か左か迷っているとき、自分の考えを確認するとき、その望む結果を、口にしてつぶやくことで、映像がしっかりと、現れてくるのではないでしょうか。

 自分のことばを、たとえば、ボイスレコーダーに吹き込んでもいいでしょう。メモに字で残すよりは、たぶんそのときの気持ちのこもり方まで、しっかりと残すことができます。
 頭の中の、ボイスレコーダーにも、きっとしっかり刻み込まれるに違いありません。

 字を書いたり、目で追うだけでなく、ここ一番というときは、ぜひ、声に出して体に染み込ませてみてください。

 グラジオラスの音が、あまりに恐竜のように口から出てきてのなら、もしかしたら、あなたにとっての、グラジオラスは、花でなくて、恐竜なのかもしれません。それでもいいと思います。

 音の力、とても強いメッセージを含んでいます。ぜひ、あなたの力にして、有効に使ってみてください。

 あなたにとっての、グラジオラスは、どんな思いをかきたてますか?





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