2004年8月のこびん

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<第0122号 2004年8月29日(日)>

      おにごっこ

夢と
おにごっこ
どこにいるのか
ずっとさがしているのに

見つからない
いつまでたっても
わたしが鬼

みいつけたって
うれしそうにタッチするのは
いつ


   * 挿一輪 *

 鬼ごっこ、覚えていますか。
 かくれ鬼、缶けり。

 鬼になる子は決まっていました。すばしっこくて、賢くて、秘密の隠れ場所を知っている子、そんな子は絶対に見つかりませんでした。
 まったくその逆の、○○ちゃんがいつも鬼でした。最初に他の子が鬼でも、○○ちゃんがすぐに見つかり、鬼は最後まで同じでした。

 すぐそばまで来ているのに、クスクスと笑い声が漏れているのに、わからないで通り過ぎることもありました。あ、見つかったなと思っても、遠くで目が合ってもわかりませんでした。目が悪かったのか、それとも探して走り回っていることだけが好きだったのか。
 鬼ごっこは、○○ちゃんが鬼のまま、夕闇の中で自然解散になりました。

 考えてみると、鬼ごっこに似たシーンによく出会います。
 好きな人ができて、追いかけて、追いかけてタッチしようとしたら、消えてしまったとか。
 そこに背中が見えているのに、どうしてもタッチできないとか。
 欲しくて追いかけるものに限って、逃げ足が速かったり、フェイントが上手なのでしょうか。

 なかでも、夢追いという名の鬼ごっこは、相手が忍者のように変幻自在に逃げ回ります。
 あそこに見つけた、と思ってもダミーだったり、つかんで、何だ違うのか、と離したとたん、アッカンベーをして逃げていったり。一筋縄ではゆきません。

 先ほどの鬼ごっこの○○ちゃんですけれど、一度だけ、みんながつかまったことがありました。秋だったのでしょう。何かの拍子に、○○ちゃんの服にとんぼが止まったことがありました。
 「とんぼが捕まえた」○○ちゃんのうれしそうな声。
 みんなその声に、思わず誘われたところを、「みいつけた」。

 だましたわけでもありません。
 とんぼが止まったのがうれしくてたまらなかったのです。
 無邪気。
 そう、とんぼが大好きな○○ちゃんは、たぶん、たましいでみんなを呼び出したのかもしれません。

 大好きな夢を呼び出す方法。
 鬼になったあなたが夢をつかまえる方法。

 ひたすら無邪気に追いかけるのが、いちばんいいのかもしれません。
 さ、夢をつかまえにゆきましょうか。


<第0121号 2004年8月26日(木)>

      伝えてよ

伝えてよ
あなたのうたを
耳を傾けるものにも
通り過ぎてゆくものにも
ひそかに忍び込むように
こころのなかから湧き上がるように

伝えてよ
いのちのうたを
あなたという
いのちにしかうたえないうたを
いのちがふりむくうたを

お願いだから
あなたのすべてを
包み隠さず次に伝えて
ひとつ残らず次に伝えて

あなただけのゆめではなくなるから
ひとつの星と同じくらいのゆめになるから


   * 挿一輪 *

 どんなゆめでもいい。
 小さいとか大きいとか関係ありません。
 明日かなうゆめであっても、人類が叡智を結集してかなうゆめであっても同じです。

 あなたのゆめを形にして伝えてください。あなたの個性そのままの形で伝えてください。
 ここは見栄えがいいから、ここは見せたくないから、と、取捨選択しないで、ゆめそのままに伝えてください。

 もし、あなたがかなえられなくても、必ずだれかが引き継ぎます。あなただって、だれかのゆめを引き継いでいるはずです。ゆめは、伝えられ、また次に伝えられてゆきます。

 でも、決して難しいことではありません。自分のゆめをもち、かなえるために、せいいっぱい生きてゆく。それがゆめを伝えることになります。

 大変すぎるとか、時間がもうないとか、一人でやりきろうとするから不可能に思えます。
 気を楽に持って、大好きな大きなゆめをもってください。
 世代を受け継いでも、きっとかなえられるはずです。

 なぜなら、それは、あなたがかなえたいゆめだからです。


<第0120号 2004年8月22日(日)>

      待っている秋

秋は待っている
じっと待っている
見知らぬふりをして
路地奥にまで入り込んで待っている

秋は待っている
光る果実で待っている
はじける種子で待っている
茶色のバッタのように待っている

秋は待っている
のぞきこむひとりひとりの
小さなくせまでも知りつくして
寄り添うように待っている


   * 挿一輪 *

 まだ暑い。そう思って、汗を拭きながら歩いていると、角を曲がった拍子に涼しい風を受けました。
 季節はリレーのバトンのように、きっちりと渡すのとは少し違うようです。集団が入り乱れて、いつの間にか入れ替わっている、そのような気がします。

 夏の暑く大きなエネルギーを吸収して、植物は秋の実りを迎えます。気がつくと実がなっている、他のことに気を取られて気づかないのは、忙しい私たちだけではないでしょうか。
 昨日今日の太陽や水で、実りは迎えられません。そこには毎日の小さな積み重ねが欠かせません。途切れたら、実りどころか、自分のいのちすら危うくなります。

 毎日の積み重ねが大切なのは、何も植物だけではありません。私たちも同じです。人間だって、一朝一夕に事が成るわけではありません。

 積み重ねは、はじめのうちは自分ではその成果には気がつきません。ある程度まで続けていると、ある日何かが違っていることが感じられます。知り合いの子どもに、久しぶりに会ったとき、急に大きくなったのに驚くようなものです。いつも一緒にいる親には感じられないわずかずつの変化でも、確実な変化が起こっています。

 季節の微妙な移り変わりに気がつかないのは、身の回りに起こっている小さな変化に気がつかないということです。

 実りをすぐに見てみたいと、誰もが思うでしょうが、実りの秋は急にはやってきません。
 努力という言葉を使うと、いかにもがんばっているように聞こえますが、積み重ねという言葉を使えば、誰でも自然にレベルアップできる可能性を秘めています。

 秋になるには、何も難しい技術はいりません。その時その時にできるものを、ひたすら取り入れてゆけばいいように思います。

 実りの秋は、そんなあなたをじっと待っています。
 秋に大きな実りを結ぶように、あなたはどんなものを積み重ねてゆきますか。


<第0119号 2004年8月19日(木)>

      さなぎ

アゲハの緑のテントには
目覚めを待ち続ける
いのちが入っている

いのちは
地球が自転するように
小さな時間軸を
正確にまわり

大きすぎる羽を
ゆっくりと広げる時を
何度も繰り返し
思い描いている


   * 挿一輪 *

 小さな卵から、芋虫の幼虫。ある日突然動きが止まって、さなぎ。
 あとは蝶になるのを待つばかりです。
 そんなアゲハのさなぎを見ていると、大きな羽を広げて、空に飛び立つ姿を、じっとイメージしているように思えます。

 まるで、ずっと抱き続けてきた夢がかなう、前夜のような感じでしょうか。小さな卵のような夢をみつけ、貪欲に葉を食べながら夢を大きく広げ、ついにはかなえることができるところまで来たのなら、じっと待つ時間も短く感じるのかもしれません。

 夢は受け取ってから、すぐに現実になるわけではありません。他からはうかがい知れない努力が必要です。たとえそれが、導かれたものであっても、本人にその気がなければ何も起こりません。

 いきなり空を飛ぶことはできません。
 空を飛びたいのなら、確かな段階を踏む必要があります。

 一足飛びの夢を思うあなた、地に足をつけて、確実な前身を選んでみませんか。ゆっくりでありながら、その歩みの確かさが、あなたの夢を確実にする源になるのですから。


<第0118号 2004年8月15日(日)>

      エノコログサ

エノコログサの毛が光るのは
朝陽があたっているから

エノコログサの毛が光るのは
今までのいのちをたくわえているから

エノコログサの毛が光るのは
風がからだを揺らすから

答えはひとつではありません
理由はひとつではありません

エノコログサの毛が光るのは
あなたがじっと見ているから


   * 挿一輪 *

 エノコログサ。ネコじゃらし、といえば知っていますね。
 子どもの頃、後ろからそっと忍び寄り、友だちの背中に突っ込んだときに、飛び上がる様を覚えています。

 強い雑草ですので、ちょっとした空き地ならどこでも見かけます。そのふさふさとした穂に、光が当たっていると、きれいです。特に、朝夕の逆光時など、思わず立ち止まるほど、光り輝いていることがあります。

 どうして光るのでしょうか。
 それは、太陽の光があるから。
 エノコログサが生えているから。

 でも、そのエノコログサが、ここに生きているのには、春の種から芽を伸ばし、大きくなって、という流れがあります。その種は、ずっと受け継がれてきたいのちの系譜です。それを見ているわたしも、やはり受け継がれてきたものです。

 エノコログサが光って揺れる。それをじっと見ている。ただそれだけの事象の中に、いかに多くの理由が潜んでいることでしょうか。
 毎日、時間に追われる中で、忙しさのあまり、1対1対応があたりまえになっていませんか。ひとつの事柄に、これだけという答えを出そうとしている。出たらそれで満足して、次の問題を探しにかけてゆく。選択肢の中から、たったひとつの答えが正解、試験の振り分けではありませんね。

 どんなときでも、理由はひとつだけではありません。答えはひとつだけではありません。さまざまなことが、かかわり重なって、ひとつの映像ができてきます。
 これだ、と思ったときに、もう一度まわりを見渡してみませんか。
 視点を変えてみませんか。

 きっとたくさんの答えが見つかってくると思います。その繰り返しが、あなたを豊かにしてゆくに違いありません。


<第0117号 2004年8月12日(木)>

      さるすべり

さるすべりの
赤い花のなかに
小さな星がある

小さな星には
この地球と同じように
たくさんのいのちが住んでいる

そう思えたら
風に揺れるさるすべりの星から
一斉に
何かが聞こえてくる

夏のまんなかで
汗が落ちるのも忘れて

押されるような
せみしぐれに身をまかすように
星の伝言に
じっと耳をかたむけてみた


   * 挿一輪 *

 さるすべり。百日紅。
 夏のあいだ、ずっと咲きつづけます。赤い花が目立ちますが、おしべは鮮やかな黄色です。そのくっきりとしたコントラストが、夏のこれまた、くっきりとした日差しの中、とてもよく似合っています。

 さるすべりを見ていると、いつも揺れています。木がきゃしゃなわりに、茂り放題の葉と、競い合うかのような花と。わずかな風でも揺れるのでしょうね。黄色いおしべたちを星に見立てて、すぐそばでそのおしゃべりに耳を傾けてみましょう。

 地球という星の住人が、それぞれ勝手気ままなおしゃべりをしているのと違って、さるすべりの星は、何かひとつのことを訴えているような気がします。もしかしたら、大切な何かを伝えたいのかもしれません。

 日常の中で、耳をじっと傾けることは、意外と限られた対象にしかないように思います。自分にかかわりあいのある人たち、それもほんの一握りの人たち。だんだん、世界が狭くなって、考え方も固定されてきます。

 ちょっとした気配りでも、新しい言葉が聞けるのです。花なんか、風なんか、と無視していると、大切な伝言を聞き逃してしまうかもしれません。ふっと何かが聞こえたら、立ち止まって、耳を傾けてみてください。

 きっとあなたの新しいアイデアを、引き出してくれる糧になると思います。


<第0116号 2004年8月8日(日)>

      伝えたいもの

伝えたいものがある
親しい人に
好きなあなたに
ふと目をとめた何かに
そして
自分自身に

毎日
見て聞いて話して考えて
ひとつひとつのなかに
自分のわくをとびこえて
どこかに
飛びたい
飛んでゆきたいとうずくものたち

どうにかして伝えたい
そのままにしておけば
いつかは消えてゆくものたちを

どんな小さなことでもいい
小さなと思っていることが
とてつもなく大きいことだってある
だから

伝えたいものがある
大きく大きく深呼吸して
ゆったりと
伝えたいものがある


   * 挿一輪 *

 いつもは気にしないこと。日常の中で意識しないもの。
 でも、たとえば、好きな人ができたとか、自分の考えを分かって欲しいとか、自分のこれからやりたいということを理解して欲しいとか。

 伝えたいことって、いざというときには、あなたを思わぬほど積極的にすることがあります。
 その時の気持ち、真剣さ、高揚感、充実感。
 だからこそ、常に伝えたいことをもって、行動している人はエネルギーに満ち溢れているのかもしれません。

 あなたの、伝えたいことって、何ですか?
 出会ったら、だれにでも、どんなものにでも、伝えたいもの。

 ひとつだけでいいです。
 見つけてください。
 見つけたら、持ち続けてください。

 生き方が変わります、きっと。


<第0115号 2004年8月5日(木)>

      わなげ

輪を投げる
少し離れた目標に向かって

輪を投げる
慎重にはずさないように

輪を投げる
使えるのは5個

だれが決めたルール
だれと競った勝負
にぎりしめた硬貨ひとつの不自由


   * 挿一輪 *

 今はあまりみかけません。輪投げ。
 お祭に縁日が立ち、みんな硬貨一枚にぎりしめて真剣勝負でした。ルールがないようで、しっかりとしたルールがありました。輪が入っても、下の台を少しでもはずしたら、だめ。
 的屋にもより、お兄ちゃんだと厳しくて、おじちゃんだと意外に甘くしてくれるなど。お祭に行くたびに思い出します。

 輪投げは難しいものです。子どもの輪投げセットのおもちゃでも、少し離れたところからでは入りません。すぐそばなら入ります。少しずつ離れていっても、慣れてくると入ります。いきなり難しいことをせずに、手近なところから始めるとうまくいきます。

 縁日でそれをやると、怒鳴られて二度とやらせてもらえませんが、自分でやる分ではどういう方法も自由です。社会の中で生きるうえで、ルールを守るのは当然です。でも、逆に自分で勝手に、小難しいルールを作り出してはいませんか。

 確かに高い目標にチャレンジして、クリアするのはすばらしいことです。でも、目標を身近にもって、達成したらもうひとつレベルを上げてゆくという方法も必要です。
 自分に厳しくするのは大切ですが、ハードルを高くすることだけが、厳しくすることではありません。たとえば、クリアした後の次の目標を、決して見えないほど高いところにおかないということも、自分の現在を把握する上で、とても厳しい設定ということになります。

 にぎりしめた硬貨がなければ、ルールは自分が作れます。どんなに輪投げが下手なわたしでも、少しずつ上達できます。目標を達成することは、だれでも同じことですが、その道筋は千差万別です。それならば、それぞれにあった方法で挑戦することがいちばんのように思いませんか。

 このルールでないと、だめ。そういわれたら、一歩下がって、自分の方法はないだろうか、と考えてみませんか。
 方法は自由です。ルールから発想してゆきたいですね。


<第0114号 2004年8月1日(日)>

      花火

潮のにおいに満ちた空
無数の星がちりばめられたカンバス

ひざを抱いて待ち続けていた
夢の妖精が
いま
変化自在の光を舞い始める


   * 挿一輪 *

 8月。
 打ち上げ花火があちらこちらで見られる季節です。間近で見ると、空いっぱいに広がる光の花。花火は見ている人のこころのなかでも、同時に大きな花を咲かせます。
 熟練の職人さんの手によって、時間をかけて作り出されても、打ち上げるのは一瞬のこと。それだけに、その一瞬にかける夢は大きいものがあると思います。

 夢のかなった人を見かけると、そのときの華やかさだけが印象に残ります。でも、そこにいたるまでの地道な努力は、本人以外には目に触れないのではないでしょうか。
 たとえ、目にしたとしても、温かく見守られることはまれで、どちらかというと、うさんくさい目で見られたり、無視されたりすることが、多いのではないでしょうか。

 くじけそうになりながらも、その夢をかなえるために、何が必要なのか、本人はきっとわかっているはずです。だからこそ、小さな努力の積み重ねを、飽きるほど、習慣のように繰り返しているのに違いありません。

 一見、近道に見える様々なテクニックは、確かに知っておいて損はないかもしれません。でも、人の目はごまかせても、自分の目はごまかせません。

 適当なところで妥協する、それで、かなえられた夢は、満足のできるものですか。
 夏の夜空という、最高のカンバスに、大きな夢の花を開くためには、一点の妥協や手抜きも許されないことでしょう。

 やったことに対する結果は正直です。

 わずかなところで、せっかくの夢を色あせてつまらなくしたら、もったいないと思いませんか。広い空いっぱいの、大きな夢の花を開かせるためにも、ひとつひとつ自分のこころと対話して、作り上げてゆきたいですね。

 あなたの夢にふさわしい、あなたの歩みはできていますか?


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