2004年12月のこびん

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<第0157号 2004年12月30日(木)>

      Alive

Alive
だから聞かせてよ
あなたのうたを

Alive
悲しいことであろうとも
うれしいことであろうとも

Alive
吸って吐いて
息のひとつひとつまで

Alive
何を話してきたの
小さな仲間たちと

Alive
決して捨ててはいけない
あなたの夢を

Alive
泣くのも笑うのも
生きているあいだだけだから

Alive
そうさ生きている限り
まばたきのあいだも生きている

Alive
続けてうたってゆこう
生きているあなたのことを

Alive
あなたにうたえるうたを
明日とともにうたってゆこう


   * 挿一輪 *

 Alive=生きて。
 この一年間、生きてこられたことを感謝して、ありがとう。

 生きていていちばんステキなことは、生きている自分を続けられること。
 そして、生きているたくさんの人やいのちと出会えて、話し合えること。

 生きているもの同士の特権。
 だから、大切にしてゆかないと、もったいない。
 ね、だから、もう一度、生きていることに、ありがとう。


<第0156号 2004年12月26日(日)>

      存在

小さな石が浮かぶ
いつも歩く道
何もないと思っていた

昼の太陽は小さいものを隠す
光に満ち溢れて
けれど光に溶かしてしまう

這うような光は
砂粒にも影を作る
どんなに小さな
喜びだって哀しみだって
夢だって想いだって

かけがえのない存在
ふだん見えなくてもいい
でもどんなときでも
そばにいることだけは
忘れずにいてほしい


   * 挿一輪 *

 夕方。
 ふと足元を見ると、黒い小さなものがたくさん落ちています。昼間は何の変哲もない道路だったのに、いったい何だろうと思いました。

 小石でした。
 今はどこも舗装された道が多いのですが、小さな石はたくさん落ちています。でも何で今まで気がつかなかったのだろうと思いました。

 顔を上げると、夕陽が正面から飛び込んできます。
 そうです。低い日差しが、小さな小石までその影で浮き上がらせたのです。高い位置からまっすぐ降りてくる光では溶けるように消えていたものが、地を這うような低い光で浮き上がる、見回してみると、無数の小さなものたちがその存在を教えてくれます。

 日常のふれあいの中で、あなたを影のようにそっと支えてくれるものがたくさんあります。小さくて目立たず、それこそ、沈む間際の太陽のように、ぎりぎりの低い光ではじめて分かる、砂粒のようなものかもしれません。
 でも、確かにそこにいて、あなたを支えてくれています。

 もし、神様というものがあるのならば、あなたはどこにいると思いますか。高い、思いも及ばない、空の上ですか。
 でも、それでは、小さなものの影を見ることはできません。少なくても、ずっと低い位置で、どんな小さなものにも光を当てて、その影で見落とすことがない位置にいると思いませんか。

 あなたを支える大切な人たちも、そんな低い位置でそっと支えてくれています。ふだん気がつかないのは、あなたの見ている位置が高いからということです。

 同じように人とのふれあいの中で、小さな行き違いから傷つけあうことがあります。
 たとえ相手にその気がなくても、何気なく言ったひとことが、あなたをひどく傷つけたり、逆に、あなたのふとしたひとことが、大きな誤解を招いたり。

 でも、どちらにしろ傷つけたほうは、相手が傷ついたことすら分からないことが多いのです。それはたぶん、高い昼間の太陽のように、上からの視線をもっているからではないでしょうか。

 夕陽のように、低い視点から相手の存在を確かめながら見てみる。相手の気持ちを考えながら見てみる。そうすれば、小さな表情の変化が、小石の影のように、ふと浮き出してくるのに気がつくかもしれません。

 いちばん大切なのは、小さなものにも気がつくということです。
 砂粒のように小さなものでも、それぞれが、かけがえのないひとつのものという意味では、山のように大きなものと価値は同じです。

 光の当て方ひとつで、視線の位置の持ち方で、そのことが分かるのなら、とてもやさしい気持ちになりませんか。
 存在というと、何か哲学めいて難しそうな気がしますが、低い光で浮き出す小石の影、といえば、太陽さえ出ていれば、明日にでも確かめることができます。

 ね、足元からほんの少しだけ、見つめてみませんか。


<第0155号 2004年12月23日(木)>

      アンテナ

いちょうの葉が落ちる
すっかり落ちて
太い幹が残る

幹の先に
たくさんの垂直の枝
葉が茂っていたときには
見えなかった細い枝

太い幹が大地から吸い上げた鼓動を
茂った葉が空から溶かした風を
発信するアンテナ
いのちのアンテナ

冬になると見ることができる
厳しい季節になると見ることができる
遠い春を待つための
あなたへの伝言


   * 挿一輪 *

 イチョウの樹。
 身近にあります。学校の校庭、少し大きな公園、神社の境内。樹齢を重ねて、太い幹のいちょうの樹もよく見かけます。

 この季節、いちょうは葉を落とし、幹と枝だけになります。
 よく見ると、幹は確かに太いのですが、枝先は細く繊細です。太い幹に、たくさんの細い枝が垂直に集まるのは、少しバランスが悪いようにも感じられ、微笑ましい感じもします。まるでたくさんのアンテナを持った発信塔。今まで葉に隠されていたのが、まるみえになりました。

 じっと見ていると、そのアンテナの先から何かを発信しているようです。
 水を吸い上げる幹の太い管を通して、大地の中から地球の鼓動をすくい上げているのかもしれません。
 葉が茂っていた頃に、風を揺らす毎日の風を、葉のフィルターを通して、こしていたのかもしれません。風にはたくさんの伝言が溶けています。耳を澄ますと、聞くことができるかもしれません。

 生きているものは、どんなものでも小さなアンテナを持っています。樹でも、草でも、虫でも、魚でも、動物でも、もちろん人間でも。

 あなたの中にもアンテナを見つけられますか。ふだん、様々な感情の葉におおわれて見えない繊細なアンテナが。辛かったり、悲しかったり、怒りが治まらなかったり、せっかくのあなたの中の発信も途切れてしまいます。

 アンテナは、発信と同時に受信もします。仲間のいのちの伝言を受け、太陽や、空や、海の伝言、風や、雨の伝言、小さな生き物たちの伝言。携帯の電波が飛び交っているように、いのちたちの交流の電波もきっと飛び交っています。

 いつでもあなたのアンテナを出しさえすれば、受信され、逆に発信することもできます。

 思っていること、考えていること、求めていること、与えたいこと、こんなにも、たくさんのいのちたちが、語りかけ、伝えたいと思っていることが分かります。
 ひとりぼっちに見えて、実はたくさんのいのちたちが周りにいて、話しかけてくる、話すのを待っています。

 だからこそ、アンテナを隠さないで、いつでも高く立ててください。伝言が届き、あなたの思いが伝言になって飛んでゆきます。

 いちょうの樹をまぶしく見上げるとき、すでにあなたの中のアンテナが、同じようにすっくと立っているのかもしれません。

 耳をかたむけてください。
 ほら、何か聞こえてきませんか。
 あなたの中からも、何かが飛んでいきませんか


<第0154号 2004年12月19日(日)>

      富

ほんのわずか歩いただけなのに
たくさんのものが声をかける

無人スタンドの花のアレンジ
さざんかの花びらに透けるピンク
捨てられたまま反射する蛍光灯
塗り立ての黄色いボルト

立ち止まるわたし
じゃまな障害物かな
かたわらを忙しそうに
みんな通り過ぎてゆく

次から次から
見つけた宝物

宝物ってなんだろう
富ってなんだろう
楽しさって
しあわせってなんだろう

ほんのわずか歩いただけ
たくざんの目にとまったもの

たったそれだけで
たぶん世界一の大富豪


   * 挿一輪 *

 富。だれでも欲しいと思います。
 富のイメージはお金。ビジネスで大成功したら、株でもうけたら、宝くじで当たったら、大富豪になれたら。

 でも、富は、お金だけではなく、もっと多くの可能性をもっています。

 たとえば、家庭の富。裕福な家庭という意味ではありません。いつも、わいわいがやがや騒々しくても、楽しく何でも話し合える家庭、これが富。
 たとえば、趣味の富。釣でも、山登りでも、スポーツでも、やっていれば楽しくて仕方のない、これが富。
 たとえば、表現の富。絵でも、音楽でも、文章でも、自分の見たことを、とにかく何かの形にして再現し、伝えてみる、これが富。

 富は人をしあわせにします。
 でも、富というと、最初に思い浮かぶのは、お金。確かに大切なものですけれど、この世の中には、限りないほどの富があります。お金はそのほんの一部。

 富に縁がないと嘆く前に、富がイコールお金という観念を、まず横においてみてください。
 あなたのもっているもの、好きなもの、いつもやっているもの、得意なもの、楽しいもの、やすらぐもの、何がありますか。

 ひとつもないなんて人はいないでしょう。世間に比べて、立派なもの、すぐれたもの、なんて考えているからないのです。
 だれも価値をみいださないことでもかまいません。

 たとえば、道に落ちている、使い終わって捨てられた蛍光灯。午後の光が斜めに入って、本来の蛍光灯より明るく光っています。見つけたのは、わたしだけ。つまらないことですか。わたしは道で富をひろった気持ちです。

 さざんかの花びらに透けた陽の光。花びらのピンクがどんな色よりステキに見えます。じっと見ているのは、わたしだけ。やはり、どうでもいいことですか。でも、わたしにとっては、これも、しあわせな気持ちになれる富です。

 別に、あなたに、同じことでしあわせを感じて欲しいといっているのではありません。ただ、あなたにとって、あなただけの大切な富があるはずです。

 それを小さなことだからといって、恥ずかしがったり、否定しないでください。あなたの富を、堂々と誇りにしてください、それを富にできるのは、この世であなただけ、それでもいいのです。だって、あなた自身が、この世でたったひとつの富なのですから。

 あなたの限りない富。
 生きている限り生み出されているあなたという富。
 大切にしてください。

 銀行にあずけなくても、盗まれません。
 いちばん怖いのは、あなた自身があなたの富を、つまらぬものと判断して、捨ててしまうことなのですから。


<第0153号 2004年12月16日(木)>

      対話

空を見ていると
呼びかけられることがある

うつむいていても
呼びかけられることがある

どんな時でも
語りかけてくる 何か

でも空からではない
本当はどこから

じっと耳を澄ませて
ほら
あなたのなかから

見つけたらはじめよう
向き合ってはじめよう

あなたと
あなた自身との
対話


   * 挿一輪 *

 あなたは、毎日、話をしていますか。
 あなたは、毎日、だれと話をしていますか。

 家族だったり、知り合いだったり、仕事上での相手だったり。
 向かい合って話すこともあれば、電話やメールで話すこともあります。

 人間だけではありません。
 飼っているペットだったり、花だったり、育てているゲームのキャラクターだったり。
 朝、家を出て、すぐに聞こえる鳥たちの声や、冷たい風、白く光る霜、そして、昇ったばかりの朝陽。

 歩いていると、ふいに呼びかけられませんか。
 嫌なことを思い出して、落ち込んでいるとき、逆に楽しいことを思いついて、ニヤニヤしているとき、まわりの何かから声をかけられませんか。

 外の世界からの声との対話です。
 でも、しばらくじっとしていると何か違うな、と思えてきます。鳥にしろ、風にしろ、朝陽にしろ、決して声は発しませんが、確かに声は聞こえます。音ではない、声が聞こえます。

 耳を澄ませてみると、その声の出所がわかりますか。
 そう、あなたの内側から聞こえてくる声です。あなたを取り巻く周りの世界が、あなたの声を通して語りかけてくる声です。

 そこで、もとからいるあなた自身の声との対話が、向き合って始まります。
 ふだん、意識していなくても、だれもがそんな声と相対しています。議論したり、けんかしたり、時には同意を求め合ったり、なぐさめあったり、教えたり。

 他のものと向き合っているようで、実はあなたの中で、あなた自身と向き合っています。
 対話は、時には時間をも越えてゆきます。現在のものではなくても、あのときのあなた、これから先のなるであろうあなた。

 こころのなかのもうひとつの宇宙のなかで、いつでも本来のあなたと対話ができます。
 対話をすることで、いつも外に外にと求めて探していたものが、実はあなたのなかにいることに気がつきます。

 どうですか、外の世界に隠れているあなたの声を、あなたのなかに呼び戻して、話をしてみませんか。


<第0152号 2004年12月12日(日)>

      シュガー

冬の朝
一面のシュガー
こんなにこぼしたのは だれ

こげ茶色の土の上に
キラキラ光る
チョコレートケーキ オン シュガー

まぶしたのは冬
均一に
公平に
霜!

でも独り占めしたいやつがいてさ
端から溶かしてなめてゆく

ほら!金色の朝陽
輝く王の顔をして
ほんとうは大の甘党なんだ


   * 挿一輪 *

 冬の朝、起きてみると一面の霜。雪でもないのに銀世界です。
 きれいに耕して、こんもりとブロック状に盛り上げた土の上に、まるでシュガーをまぶしたように、真っ白。

 これは有名な冬職人の作ったチョコレートシュガーケーキ、冬季限定版。凍える指先で、思わず触ってみました。
 霜は均等に降りています。霜は一様に汚いものも隠してしまいますが、よく見ると丹念に耕してある土の上のほうが、粒が細かくてきれいです。下地をていねいに作ったほうが、装飾もしやすいのでしょうか。

 確かに基礎作りは大切です。地道な作業なので見過ごしがちですが、基礎をしっかりと作れば作るほど、その後の展開がやりやすくなります。

 自由奔放に見える変化も、その奥に隠された日頃の積み重ねが可能にしているのかもしれません。表面の見えるところだけを追いかけていると、その時はいいかもしれませんが、だんだんと先細りになってゆきます。枯渇したり、崩れたりしないためには、常に新しいものを取り入れる必要がありますが、基から持っているスタンスはそうは変わりません。

 どんな変化が来ても、自分の形に取り入れるためには、何が安定していればいいのでしょうか。足元がふらついていれば、危ういだけで、バランスを崩しかねません。

 ステキなシュガーをかけるのには、ステキな土台が必要です。あなたの土台をしっかりと作っていれば、いざというときに、とびっきり美しい装飾をかけてもらい、みごとにひきたつかもしれません。

 それにしても、霜の銀世界は一瞬のこと、朝陽が昇るにつれて、金色の舌でなめられてしまいます。
 人の一生も、長いようで、実は一瞬のことかもしれません。溶ける前に、自分という名前の、すばらしい作品を作り上げてみたいですね。


<第0151号 2004年12月9日(木)>

      さざんか

赤いさざんかは
夕暮れ時が好き

夕焼け小焼けの
チャイムがなって
もうすっかり日が暮れる前の
西の空を見るのが好き

赤いさざんかは
あの色になれたらいいなと思う
思いながら
開いたばかりの花弁の中で
黄色い夢をゆすっている


   * 挿一輪 *

 庭の垣根や、路地、小さな公園、どこにいっても、今の季節、さざんかに出会います。
 紅や桃、白やしぼり、開きかけたつぼみも可愛いのですが、もう散ってしまった足元の花びらもステキです。色彩がくすんできたこの季節、特に目を楽しませてくれる花のように思います。

 夕暮れ時、西の空は朱に染まります。
 特に、太陽が沈んだ直後から、星の光が冴え冴えと澄んでくる夜の入り口まで、その色の刻々とした変化は見飽きません。自分の色を忘れてまで、さざんかが見とれているようにすら思えます。

 人間にも、それぞれの色があります。
 よく、この仕事は任せるから、あなたの色を出してもいいよ、などといわれます。その人のもつ、個性というものでしょうか。

 その特徴が、色彩のようにしっかりと出てくれば、行動や会話、文章のさわりを見ただけで、あ、あの人だな、と分かるのかもしれません。順調に行こうが、失敗しようが、強烈な印象は残ります。眉をひそめることはあっても、どこかでその力に、まぶしさや憧れを感じることはないでしょうか。

 別にその人だけが、特別に持っているわけではありません。だれにでも個性という名の色はあります。ただその露出度の程度で、より鮮やかなほうに目を奪われるだけです。

 夕暮れの素晴らしい色合いは一時だけです。
 さざんかの花はその時は目立たないかもしれませんが、日中の光の下では、妖艶な色合いを保っています。

 自分の色合いを生きていること、そのことを見つめていれば、ステキな色を見つけても、素直に感動するだけで自分を失わずにすみます。でも、どんなに素晴らしい色合いでも、あなたのものでない以上、あなたの身にはつきません。

 それよりも、あなた自身の新しい花を開いて、そこから始まる、あなたの夢を育てて行く道を選んだほうがいいとは思いませんか。

 さざんかにはさざんかの花がつきます。
 あなたにはあなたの花がつきます。
 世界で一番、あなたらしい、そしてたったひとつの色合いを誇りには思いませんか。


<第0150号 2004年12月5日(日)>

      スタイル


わたしのスタイル
それは
リズムと
繰り返し

いくつも
いくつも
波のように


   * 挿一輪 *

 オリジナル。創造性。たったひとつの個性。
 おおげさなことではありません。あなたのスタイルそのものが、他にないものです。

 音楽、演奏、演劇、絵、作品と呼べるもの。でも、それは結果です。あなたがあなたのスタイルのもとに行動した結果のひとつです。
 生み出されたものはそれぞれ違います。形になって表れたもの、形になって見えなくても、生きているという行為で実践されるもの。ひとつ残らず、証(あかし)です。

 何をやるにしても、風のように通り抜ける人。
 ひとつひとつ引っかかりながら、挑戦と納得を繰り返す人。
 いくつものてがかりを周りに並べ、そのときの気分に合った糸をたぐり寄せる人。
 ただ一筋にひとつのことを追いかける人。

 生まれてから、様々な出会いの場面を経て、人は独自のスタイルを作ってゆきます。
 正誤はありません。いちばん心地よい、いちばんやりやすい、そんなリズムを、無意識に探し身につけていくはずです。

 あなたのスタイルはあなたが決めます。それはあなたのリズムともいえます。

 だれかと出会い、一緒に話したり行動したりするときに、独特のリズムを感じませんか。妙に気になるところ、忘れられない印象的なところ、そのリズムに惹かれたり、逆に合わずに別れたり。一緒にいる限り、海の波のように繰り返し押し寄せます。

 あなたも同じように、あなたのリズムを見せているはずです。それは変えようにも変えることはできません。無理をすると、あなたのリズムを見失ってしまいます。

 でも、少しずつ変化してゆくことはあります。あなたがきっと、こころや体のどこかで、あなたに合ったリズムを探しているからです。すぐに見つかるかもしれませんし、一生探し続けるかもしれません。

 けれど、決して妥協はしないと思います。あなたのスタイルを作ってゆく、それはあなたが生きていると同じ意味だからです。たったひとつのあなたと同じ意味だからです。

 毎日毎日の繰り返し、あなたのスタイルを作ってゆく重要なアイテムです。どんな小さな出会いでも見逃さず、そのリズムを検証してみたいものですね。


<第0149号 2004年12月2日(木)>

      クッキー

手作りのクッキー
休憩室の机の上においてある

昨日とちがっているのは
たったひとつの事実だけ

たとえ
窓がなくて
陽がささなくても

陽だまりのような
あたたかさ


   * 挿一輪 *

 考えてみれば、あなたのまわりの世界、そうは毎日変わりません。

 朝起きて、学校に、会社に行って、家に帰り、眠る。勉強なり仕事なり、その場所は決まっているでしょうし、行き帰りの行程でさえ、ほとんど同じはずです。
 ランチを食べる場所も決まっているでしょうし、休憩する場所や方法も変わらないのかもしれません。

 日常。ルーティーン。
 最初は新鮮だったものごとが、次第に退屈になり、そのうちうんざりして、ついには感覚も麻痺してしまう、そうはなりたくありません。
 といって、仕事や環境を変えるような、大きな変化はなかなかありません。でも、そんな大きな変化でなくても、わずかなことで、気持ちが入れ替わったり、新鮮な感覚を見つけることができます。

 例えば、いつもの休憩室に、手作りのクッキーがおいてある、それだけでも、狭い部屋でのひと時の休息が楽しみになります。別に、恋人からもらったものでなくても、知り合いや、いつものお客さんからのこころづかいでも、気持ちは明るくなります。

 場所は同じでも、何かこころに残る小さなアイテムが加わるだけで、変化が起こります。小さな変化は、少しずつ加速して、その日一日、あなたにとってステキな一日になるかもしれません。

 もっとも、毎日、クッキーをもらえればいいのですが、そんなことはめったにありません。
 それならば?

 そう、それならば、いっそあなた自身が、小さな変化のアイテムを加えてみてはどうでしょうか。
 クッキーを焼けない?

 それなら、花を飾ってみるとか、お気に入りの小物を買ってくるとか、いっそ下手でも、何かを作ってみるとか。

 小さな変化を見つけるのもステキですけれど、あなた自身が積極的に変化を作り出すのは、もっとステキなことだと思いませんか。その習慣がついてくれば、いつのまにか、あなたは変わってくるはずです。

 そう、あなた自身が、ステキなアイテムそのものになれるからです。
 さあ、手始めに、小さな変化から始めてみませんか?

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