2005年1月のこびん

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<第0166号 2005年1月30日(日)>

       音の波

         文字が声になる
         ちがう
         こころが寄せる波になる
         
         薄い鼓膜で確かめる
         ちがう
         顔で体で指先までうけとめる
         
         あなたという不思議
         なにかを伝えようとする不思議
         
         かけがえのないメッセージ
         ひとつも落とさずに
         ひとつも見逃さずに
         
         ただうけいれる
         まっすぐに
         ひたむきに


   * 挿一輪 *

 声は音の波です。
 振動させた音の波を、鼓膜の薄い膜が拾います。

 波のメッセージ。
 伝えたいことは音の波に変換され、到着した音の波は、再びメッセージに変換されます。

 雑踏や騒音の中では声が伝わりにくくなります。どうしても伝えたいときは、手や顔の表情で伝えます。

 いつもなにげなく行っている会話。
 話して、聞く。単純なやり取りが、向かい合って人間の意志を伝え合う最短の方法です。

 でも、正確に気持ちを伝えることは、思ったより難しいものです。

 まず、思いを声にしてことばで伝えることの難しさ。手紙なら、いちど書いて、もういちど読み返し、気持ちが伝わっていないと思えば、書き直します。

 でも、リアルタイムの会話では、訂正や取り消しがたとえできたとしても、その前に聞いたことばが、様々な憶測を呼んでしまいます。ほんとうはそうは思っていないのに、とか、思わず本音がでたな、とか。

 不用意なひとことが、受け取る側の先入観になり、妨げになることもあります。頼みたいことがある、といわれて、急に身構えてしまうことや、ことばによっては誤解を生むこともあります。

 何かを伝えたいために話しているのに、頭から拒否する人や、聞かずに話すことのみを優先してしまう人。
 全身に注意をみなぎらせて、相手の伝えたいことを聞く、あまりなくなってきたように思います。

 何かをしながらの会話。
 目を合わさずにする会話。
 はぐらかしながらする会話。

 恥ずかしいから、それほどまじめにする必要がないから、重たいから、めんどうくさいから。
 理由はいくつでも見つかるかもしれませんが、基本的に、伝えようとする相手の気持ちを、思っていないのが原因です。

 いま、ここで、あなたが、もうひとりの人と出会って、伝えたいことを聞いている不思議。
 じっと耳をかたむけて、いえ、全身でうけとめようとして、聞き入れば、行き違いや誤解が、少しでも減るような気がします。

 まっすぐに受け入れること。
 それができれば、どんな場面でも、力強く生きてゆくことができるような気がしませんか。


<第0165号 2005年1月27日(木)>

       記憶

         見つからないからといって
         なくしたわけではない
         忘れたからといって
         消えてしまったわけではない
         
         ただ
         取り出し方を間違えただけ
         大事なことが思い出せない
         
         ほら 雪
         
         今年初めての白い再会
         すぐに出てきた
         なつかしい大好きな名前
         
         いちばん好きなものは
         向こうから
         あなたに声をかけてくる


   * 挿一輪 *

 どうしても思い出せない。
 大事なことや、人の名前、あせればあせるほど、出てきません。

 バタバタとしていると、急に忘れてしまうこともあります。いま、何をしようと思っていたのだろうか。どうしても思い出せない。気持ち悪かったり、イライラしたり、精神衛生上良くありません。
 最初からもう一度やり直せば思い出すのでは。
 けっこういい手かもしれません。あきらめていたころに、ひょいと思い出して、なあんだ、と苦笑いすることもあります。

 忘れたり、見つからなかったりしても、そのものが消えてしまったわけではありません。目の前にあっても見えない。あなたが記憶からの取り出し方の手順を、少し間違えただけなのかもしれません。

 記憶の量は膨大な量だといいます。ただ、しまいこんだものを、すばやく取り出せるか、取り出せないか。その差で記憶力の良し悪しも決まってしまうのかもしれません。

 でも、ぜったいに忘れないものってありますね。
 道を歩いていて、ふと、目の前を白くて冷たいものがフワリと。
 あ、雪。
 すぐに出てきます。

 なんだっけ、と、考え込む人はあまりいないと思います。子どもでも知っています、って。でも、雨を見て、あ、雨、って、出てきますか。

 たぶん、あなたが、雪、と口にした時には、雪に関するさまざまな思い出が出てきたのだと思います。
 子どものころの雪遊び。
 大好きな人と一緒に見た雪。
 親友と行ったスキー。

 好きなものは忘れていても、向こうから声をかけてきます。あなたがどんなに間をあけても、ほんの少し前に見たように、教えてくれます。

 食べ物だってそうです。
 人間だって、景色だってそうです。
 そして、あなた自身も、当てはまります。

 どんなに、忙しくて、時間に追われて、疲れきっていようとも、大好きなことやものを目の前にすると、活き活きとしてきませんか。

 どんなに忘れていても、あなたの好きなものは、あなたをしっかりと見つめています。
 あなたの好きなことを、好きなものを、大切にしてください。
 好きだという、あなたの気持ちを大切にしてください。

 きっと、年をとってからも、物忘れをしにくくなるかもしれません。
 活き活きとした、大好きなこと、いつでも、どこでも、あなたを待っているのですから。


<第0164号 2005年1月23日(日)>

       大切なこと

         削りながら生きてゆく
         そのままいったら
         なくなってしまう
         
         付け足しながら生きてゆく
         着太りしたら
         見失う
         
         等身大の生き方が
         いちばん無理がないのだけれど
         まわりを見ずにはいられない
         
         目を閉じるのは怖すぎて
         耳をふさぐには寂しすぎて
         結局だれかについてゆく
         
         それでもいいか
         仕方がないか
         忘れた何かを思い出すまで
         
         そう
         鏡に映っているのはだれだっけ


   * 挿一輪 *

 あなたにとって大切なことは何ですか。

 すぐに答えが出てくる人は、何かに夢中になっている人。
 たいていの人が、しばらく悩んで考えて、思い当たってほっとする。探し物をしているうちに、何を探しているか分からなくなってしまった時のようです。

 それほどふだん、何が大切かなんて意識することはありません。逆に意識などしないほど、当たり前になっているからこそ、すぐに思いつかないのでしょうか。

 あなたの家族、友人、恋人。
 もっと身近に、あなたの体、肺、心臓、肝臓、脳。
 逆に外に目を向けて、空気、地球、太陽。
 もっと特定のものですか、ずっと集めている趣味の物、あの人からの手紙、アイドルの写真、アルバム。
 そして、いちばん大切なもの、そうあなたにとっての大切な基本、あなた自身。

 大切なものが、もしなくなったらどうしますか。

 だれかにとられてしまう、こわされてしまう、捨てられてしまう、汚されてしまう、どこかに勝手にしまわれてしまう。

 はじめは、懸命に探して、見つからないと、怒って、悲しんで、ついには、何もかもやる気をなくしてしまいます。大切なものが目の前から消えただけで、生きてゆくことすら大変なことになります。

 でも、いちばん困るのは、大切なものがなくなっても、気がつかないことです。なくなったと大騒ぎすることなく、何がなくなったか気がつかずに済んでしまうことです。探し物が何だか分からなくなるのと同じように、大切なものをいつもしっかりと見ていないと、何がなくなったかすらわからなくなります。

 形があるものなら、何となく分かります。だれかに、声をかけられて気がつくこともあります。でも、もし、なくなった大切なもの、それがあなた自身の本来の姿なら、それは他のだれにも分からないことです。

 少しずつ無理をしながら、他人に合わせて自分を変えていってしまう。
 比べて、ここが劣っているから、こうすれば気に入られるからと、不自然な役を付け足していってしまう。

 その結果、本来の自分の姿を見失い、ある日鏡を見たら、この姿はだれだっけ。
 そこで忘れたものを思い出せばいいのでしょうが、もっと悲しいのは、その姿こそ、自分の本来の姿だと疑わないで見てしまうことです。たとえ、友人が、いつものあなたと違う、といっても、もうその話にも耳を傾けなくなってしまいます。

 それを防ぐには、いつも、いちばん大切なものから目を離さないことです。
 そう、あなた自身を見つめることです。外からの雑音を一度遮断して、あなたの内面を見つめることです。遠慮していないか、無理していないか、苦しくはないか。

 その作業は、時間を空ければ空けるほど辛くなります。だから、すぐに本来のあなたが見つかるように、毎日でも向き合ってみるのがいいと思います。

 いちばん大切なものですから、毎日1回のお手入れするのを、怠りなく習慣にしてください。


<第0163号 2005年1月20日(木)>

       素材

         どんな素材でも
         使うことができる
         ふと目にとまったもの
         なにげなく出会ったもの
         
         いつでもこころをひらいて
         語りかけるのを待っている
         そのサインは
         ほんとうにかすかなもの
         
         素材は待っている
         磨いてくれるのを待っている
         汚れの下に隠れている
         輝くほんとうの顔を
         
         あなたの手が必要
         あなたのこころが必要
         
         でも
         いちばんステキに変身する素材は
         あなた自身にちがいない


   * 挿一輪 *

 ダイヤ、エメラルド、サファイア、ルビー。
 輝く宝石の数々。その光は女性ならずも魅惑的です。身につけたときの輝き、見入ってしまいます。

 宝石の原石は岩石の中です。最初から光を放っているわけではありません。
 鉱脈を見つけ、原石を探し出し、研磨して、初めて宝石になります。素材を加工しなければ、ただの汚れた石にすぎません。

 見る人が見れば、原石かどうかは分かるのでしょうが、普通の人には、足で蹴飛ばしても気がつかないかもしれません。

 宝石以上に難しいのが、ふだん、なにげなく見ているものたちです。
 宝石のプロが見ても、原石ではないただの石にしか見えないもの。利用価値がないので、かえりみることもないでしょう。

 その中にさえ、女神を見つけた人もいます。
 彫刻家のミケランジェロ、学校の美術の教科書にも出てくる有名な人です。
 ある日、道端に落ちていた石の固まりをじっと見つめ、「この石には女神がとらわれている、私は救い出さなければならない」そういって作品を掘り出したそうです。

 彫刻家だから、そう見えたのでしょうか。でも、一緒に歩いていた友人には、ただの石にしか見えなかったそうです。

 素材が呼ぶ。
 何の変哲もない日常の中に、何かを作り出す素材は、あふれるようにころがっています。
 石や砂、水や土、樹や草、小さな生き物、昆虫、魚。

 通り過ぎれば、それで終わりです。
 でも、意識してみると、その種類は、ほんのわずかな距離を歩く間ですら、数え切れないほどです。ただ、それを素材として、意識するかしないかの違いです。

 気がつくのも、決定するのも、あなた次第です。目を凝らせば、耳をかたむければ、見えるもの、呼びかけるものの、ささやかなことばが通じます。

 あなたの中で、素材はあなたの形になり、新しいいのちとしてよみがえります。
 たとえば、歌。たとえば、絵。たとえば、文章。

 素材の中でも、いちばん大きな可能性を秘めているものがあります。
 それは、あなた自身です。

 この素材は、あなたのそばに寄り添います。探しに出かけなくても、呼び出さなくても、いつも一緒にいます。こんなにステキな素材を使わない手はありません。

 おまけにどう変化させようと、何の形に作ろうと、あなた自身の自由なのですから。
 遠慮はいりません。だれからもとがめられません。

 作った作品はいつでもどこでも公開できます。オリジナル、その上、だれも同じものは作れません。
 さあ、こんなにすぐれた素材を見逃すことは、もったいないとは思いませんか。
 思いっきり、磨いて、光を放って、魅力的なあなたを見せてください。
 どんな宝石よりも輝く、いのちという名の無限の素材を。


<第0162号 2005年1月16日(日)>

       雨だれ

         音がして初めてわかる
         軒下に忘れられたもの
         いつもと違う雨だれの音に
         路地裏に誘われた
         
         まっすぐ飛ばなかった
         ペットボトルロケット
         なくしたと大泣きした
         買ったばかりのバケツ
         お気に入りの三輪車
         
         失くしもの見つけもの
         おみくじのおつげ
         「雨の日に失せもの出る」
         
         晴天続きの日には隠れたまま
         涙のような雨が見つけた探し物
         
         ほんとうはもっと隠れている
         あなたのこころのなかにも
         見つからないで
         忘れ去られたあの時の「あなた」
         
         雨が降っているときは
         あなたのこころのなかの雨だれに
         じっと耳をかたむけて


   * 挿一輪 *

 雨は何かに出会わないと無口です。ただ、静かに大地に吸い込まれます。
 ガラス窓、トタン屋根、みずたまり、何かに出会った時におしゃべりになります。

 子どもの頃、雨で外に遊びに出れずに、窓から外を眺めていたことがありませんか。
 最初はうらめしそうに見ていた雨の風景。

 でも、いつのまにか、雨だれが上から下へと、次々と落ちてゆくさまをじっと見つめて、その音の不思議なリズムに聞き入っている。新しい遊びをひとつ見つけた気分で、うれしくなったりしたものです。

 雨だれの音は、出会うもので変わります。
 トタンの硬い音や、プラスチックの少しボケた音、水がたまってきて、水たまりにはねる音。それぞれ違います。

 音がいつもと違って、何だろうとのぞいたら、忘れたおもちゃが見つかったこともありました。金属製の音で、まるで、ここにいるよ、と呼んでいるようでした。
 天気のいい日には見つかりません。雨だれの音が失くしものを見つけ出してくれました。

 悲しいことがあると、時にはこころのなかにも雨が降ります。
 外は晴天なのに、こころのなかには雨だれの音がする、やりきれないですね。そんな雨はすぐに止んでほしいのですが、せっかくの雨です、こちらも辛いながらに、少しでもみつめてみませんか。

 そう、こころの雨だれの音に耳をかたむけてみてください。
 どんな音がしますか。
 もしかしたら、以前どこかで聞いた音ではありませんか。

 忘れたくて、無理やり忘れた辛いことを思い出してしまうかもしれません。でも、そのことで、そのときの自分を、じっと見つめなおすことができるかもしれません。

 いまだからこそ、声をかけてあげることもできます。
 辛かったね、がんばったね、って。
 そのうちに、気がつきませんか、少しずつ、雨だれの音が変わってきたことに。

 降ってくる雨は同じでも、受けるものによって雨の音は違ってきます。
 こころのうけとめ方が変わってきたのでしょうか。

 雨のときは、雨をいとわず、じっとその音に耳をかたむけてみてください。
 もしかしたら、探していたものが見つかったり、ずっと気になっていたわだかまりがうすらぐかもしれませんから。


<第0161号 2005年1月13日(木)>

       氷

         水のゆめは固まっている
         
         ほんとうは
         ゆっくりと
         溶けてゆきたかったが
         
         だれかが飛び乗って
         砕いた
         
         氷は小さく叫びをあげ
         
         飛び散った先で
         壊れたゆめたちが
         たがいを呼び合っている


   * 挿一輪 *

 ゆめをもつことはすばらしいことです。
 毎日をすごすことが楽しくなり、実現への道のり、そのものまで輝いてきます。

 順調に進めばそれにこしたことはありません。でも、大きなゆめになればなるほど、なかなか一筋縄では、かなえられません。

 だれかが水をさしたり、ハプニングが行く手を阻んだりします。ゆっくりと大きく育ててゆきたいのに、つい邪魔が入って、あせって失敗してしまった、そんなこともよくあります。

 自分のゆめなのですから、自分のペースでゆけばいいのに、つい、横を走り抜けてゆくスピードに惑わされたり、まわりをキョロキョロと見回して、スピードを他人の速さに調節してしまったりしてしまいます。

 結果的に、ゆめそのものに、ストレスを感じたり、ひどい時は、ゆめをもったことを後悔することまでしてしまいます。
 せっかく、すばらしいゆめをみつけたのに、恐れるあまり、自分で自分のゆめをなくしてしまう、そんなはめになってしまいます。

 氷ったゆめをゆっくりと溶かそうとしているのに、無理やり砕かれて飛び散ってしまった、そんなことがないように、自分のゆめは大切に扱いたいですね。

 あなたのゆめは、あなたのあたたかさでないと、孵化しません。

 どんなにあたためるのに便利な加熱器でも、孵化したゆめは、あなたが自分の手でかなえたものではなく、達成感がありません。

 ゆっくりと、慎重に、大切に、そして、いつもあなた自身の体温で。
 大きく、ステキな、あなただけのゆめを、花開かせてください。

 なんといっても、あなたのゆめは、あなただけにかなえられるように、なっているのですから。


<第0160号 2005年1月9日(日)>

       ていねいに

         ていねいに
         ていねいに
         ひとつずつ
         
         あせらずに
         ゆっくりと
         あなたの影の動く速さで
         
         まわっている
         まわっている
         気がつくないくらい
         ゆっくりと
         
         でも
         決してとまらない
         地球の自転のように


   * 挿一輪 *

 自分のリズムって知っていますか。
 例えばあなた自身にいちばん適したリズム。

 速すぎると引きずられて、自分を見失ってしまいますが、遅すぎても心地よさとはかけ離れてしまいます。本来のリズムとは、速さ自体を意識しないくらい自然にリラックスできるリズム。
 その速さを知っていますか。

 同じように、自分の基本を知っていますか。
 例えばあなた自身が、何かをなくしたり、どうしていいか分からなくなったとき、あなたを見直すための基地のようなもの。

 ここまで戻れば、本来のあなたを見つけ出して、そこからまたやり直しがきくところです。
 その基本を知っていますか。

 リズムと基本。ふだん、あまり意識しないことです。
 でも、意識しないでも、あなたは、あなた自身のリズムを知っていて、それをいつも求めています。
 そのリズムを基準にして、毎日の動きを比較して、ついていけなくなると、体のどこかにストレスとなって現れます。

 あなたの基本はあなたを支えています。
 心臓や免疫系が、意識しないでもあなたの体を支えてくれているのと同じように、あなたのこころの根本を支えています。それはあなたの生き様そのものだからです。そして、あなたの故郷のようなものです。

 日常の中で、様々な出会いがあります。人に限らず、物や、できごとなど。
 そのひとつひとつに対して、あなたは何をすれば、いちばん自然に、あなたらしい生き方ができるのでしょうか。

 それは、ひとつひとつていねいに応対することです。あなた自身で応対することです。安易にだれかのまねをしても、プラスにはなりません。

 ていねいに、あなた自身が応対することで、あなたの本来のリズムと照らし合わせ、あなたの基本がチェックしてゆきます。

 すぐには効果は見えません。何といっても、自分でも見えにくいところだからです。でも、確実にプラスになってゆきます。それは、毎日新しい種をまき続けるようなものです。

 地球はほとんど動いていないように見えて、実はいちばん適切な速さで自転しています。リズムと基本が整っているから、バランスを保っています。
 あなたも同じように、自分の基本に積み上げて、自分のリズムでのびのびと生きてゆきたいと思いませんか。


<第0159号 2005年1月6日(木)>

       季節風

         山のむこうから
         雪を抱いてくる風
         木々をふるわす風
         波を立てる風

         体の奥底から
         思いっきり揺さぶる風

         何かを忘れてしまっている
         何かをしまいこんでいる
         厚い厚い何層もの堆積物が
         折り重なりたまっている

         たったひと吹きでは飛んでいかない
         もっともっと吹かないと
         いちばん奥のほんとうが見えない

         吹け
         吹け
         冷たい冬の季節風よ
         ほんとうのわたしを見つけ出


   * 挿一輪 *

 強い季節風。じっと立っていられないほどの厳しさです。
 手袋をしていても、手の指先は凍えるように冷たくなり、足先は、すぐに感覚がなくなってきます。

 建物の陰にいても、回り込むように風が吹き、片っ端から飛ばしてゆきます。枯葉やちりや砂も、ひと吹きで飛び散り、隅に吹き溜まりを作ります。積もり積もって、元の地面の凹凸を変えてしまうほどです。

 そういえば、ここの歩道は、確か模様のタイルでおおわれていたはず。でも、どんな模様かわからないほど、おおわれてしまっています。

 風は周りを吹いているだけではありません。
 こころのなかでも、毎日のように吹いています。穏やかな心地よいそよ風ならいいのでしょうが、まるで冬の季節風のように荒れた嵐が吹き荒れます。

 不満、怒り、ねたみ。
 はじめはわずかな風だったのが、風が風を呼び、たくさんのちりや砂を集めて、あなたのこころを吹き溜まりにしてしまいます。

 ほんとうなら、とても澄んできれいな色だったはずのこころが、いつのまにかおおわれて、元はどんな色かわからなくなってしまいます。

 すぐに気がついて、掃除をするか、強い風で吹き飛ばせばいいのでしょうが、ぐずぐずしていたり、気がつくのが遅れると、後の始末が大変です。

 吹き溜まりにはなおいっそう、ちりや砂が運び込まれます。一度吹き溜まりになると、どんなに強い風でも吹き飛ばすことが難しくなります。

 本来の澄んだあなたを見つけるには、この冷たい季節風に、身もこころもさらけだすしかないのでしょうか。
 体ごとすべてを放り出して、ちりや砂を吹き飛ばし、不満や怒りを吹き飛ばし、季節風に吹き飛ばしてもらうしかないのでしょうか。

 そこまでにならないうちに、少しでも風通しを良くしておいて、吹き溜まりにならないように注意するしかありません。

 それにしても時々、すべてを吹き飛ばして欲しいと思うほど、強い風を望むことはありませんか。すっかり吹き飛ばして、もう一度やり直したくなることはありませんか。


<第0158号 2005年1月2日(日)>

       フリスビー

         あなたの時計回りの伝言
         雲ひとつない空から
         大きく回転して降りてくる

         いくつものとまどいや
         小さなフェイントを超えて
         柔らかな小鳥のからだのように
         震えながら手の中に吸い込まれる

         さあ返すよ
         あなたの手元に戻ったなら
         そのときはじめて
         新しい二人のループがつながる

         あとは
         生まれた笑顔と一緒に
         いつまでも
         絶やさずに続けてゆくこと

         この澄みきった
         まあるい星の上で


   * 挿一輪 *

 空は快晴。ところどころに雲が浮かびます。雲は冷たい風に流されて、次から次へと形を変えてゆきます。
 その真下で、白く光る円盤が回りながら、行ったり来たりしています。

 フリスビーは初めはコントロールができません。恐る恐る飛ばしても、とんでもない方へ飛んでいったり、失速して途中で落ちたり。
 でも、慣れるにしたがって、思っているところに飛ばせるようになります。

 初速は速くても、手元に来ると減速して、ゆっくりと手の中に吸い込まれてきます。そのこつが分かると、楽しくていつまでもフリスビーが行き来します。お互いの呼吸が合うにつれて、落とすことなく続いてゆきます。

 ことばのかけあい、気持ちの通じ合い、ふだん、わたしたちは、見えないフリスビーを投げ合っているのかもしれません。
 最初、お互いの呼吸が分からずにいても、一緒にいることで、気持ちが通じ、ことばや気持ちが、スムーズに通じ合うようになります。そして、渡して、返して、また渡す。

 きれいなひとつのループができるなかで、こころが水のように流れてゆきます。
 これほど、楽しいことはありません。

 でも、なにかの拍子で、フリスビーがどこかに飛んでいったり、途中で落ちてしまうかもしれません。

 その時は。
 その時は、ごめん、ごめん、と笑顔であやまり、また、始めればいいと思いませんか。

 あなたが悪いとせめたり、わたしが下手だからと自己嫌悪に落ちいったり、それは、この大空にはふさわしくないことです。

 さあ、また、大きな軌跡で、ループを作りはじめましょう。すぐに、笑顔と笑い声で、気持ちがひとつになるはずです。

 ほら、こんなに気持ちがいい青空なんですから。
 新しい年の風で、真っ赤になった頬が、太陽のように光っています。



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