<第0174号 2005年2月27日(日)> もっと いまのあなたより もっと やわらかなもの いまのあなたより もっと ひそやかなもの いまのあなたより もっと やんちゃなもの もっと もっと ほしいから さがす やってみる いきる * 挿一輪 * どうして前を見るのでしょうか。 これから先に何があるのか知りたいからです。 どうして知りたいのでしょうか。 そこへ、前へ、行きたいからです。 一歩前に進むのに、その一歩をおろす次の場所を、無性に確かめたくなるからです。 今の場所にずっと、とどまっていたいのなら、それですっかり満足しているのなら、前の心配をする必要がありません。 別に今の場所が悪いわけではありません。場所に良し悪しはありません。あなたがその場所に立ってみて初めて、あなたにとっての良し悪しが生まれます。 今のままでいいや、と思うなら、今の場所は住みやすく、居心地がいいはずです。不平不満の原因は、今ここの場所自体にはありません。あなたの気持ちの持ち方次第です。 たとえば、今の職場は、今のクラスは、自分に合わない、嫌いだ、と思うとき。 職場やクラスには良し悪しはありません。あなたがそこに入って、あなたにとっての良し悪しが決まります。それこそ居心地がいいのなら、ずっとそこにいるはずです。 これは別に、問題意識を持っていないということではありません。心地よいのなら、そこにとどまるのが一番です。他人から、あなたよくそんなところにいられるのね、といわれても、基準はあなた自身です。動揺することはありません。 そうでなく、あなたが自分の意志で、前を見たくなるとき、前に何があるか知りたくなる時、あなたは、「もっと」を求めています。 会わない、嫌いだから、別のところを探そう、というのではありません。 「もっと」ステキな、「もっと」不思議な、「もっと」ワクワクする、何かがあると気がついたからです。そんな、「もっと」が欲しくなります。 そうなれば、前を見ずにはいられませんね。探してみますか、挑戦してみますか、あなたを生きてみますか。 からだのなかから、せつに「もっと」がでてきたら、あなたは前に進みます。 行きたいから、です。 欲しいから、です。 いつもあなたのなかの声に耳をかたむけて、もしも、「もっと」の声が聞こえたなら、前を見てください。進んでください。やってみてください。 決して、あなたの生き方に間違いはないのですから。 <第0173号 2005年2月24日(木)> 空の背中 バックミラーには 空が映っていた 青く塗りつぶしたように 空が映っていた 気がつかなかった わたしがどんなにうつむいていても わたしがどんなに思いつめていても わたしの背中より もっと大きく わたしの父の背中より もっと大きく てっぺんまで見えないほどの 大きな青い背中が 見守っていてくれたなんて さあ 振り返って まっすぐに見上げてみよう 大きな大きな いつでも見守っている 空の背中を * 挿一輪 * 振り向けば、青空。 たまたま、自分が気がつかなかっただけなのに、からだが動かなくなるほどショックを受けることがあります。 トントンと背中をたたかれ、振り返ったら、びっくり。ホラー映画ではないですけれど、あまりに思っても見なかったことに出会うと、からだが止まります。 青空くらいで、大げさな、と思うかもしれません。 確かに、日常、ふと空を見上げたくらいでは、今日はいい天気だな、とか、空が青くてきれいだな、くらいにしか、感じないかもしれません。実際、先を急いだり、考え事をしていると、空があることさえ忘れてしまい、見上げることすらしなくなります。 何かが、うまくいかない、悩み事がある、ひとつのことをずっと思いつめている。 曲がるべき角を通り過ぎてから、あわてて戻ってくるほど、何かにとらわれているときは、本当に一点しか見えません。いえ、その一点さえ見えなくて、足元の小さな段差にすらつまずきます。 周りの状況がまるで見えないほどの中で、何かの拍子に、ふと目に青空が飛び込んでくる。その時の驚きを、経験したことがありませんか。 悩みの中で、どうにもこうにも、道が見つけ出せない、自分一人ぼっちで、だれもサポートもしてくれない。そう思い込んでいるときに、ふと顔を上げると、大丈夫だよ、という表情でこちらをじっと見ている深い目に出会う。 あ、この人が見守っていてくれたんだ、そう思うだけで、からだの中から、熱いものが湧いてくるのを感じます。例えて言うのなら、何も言わずに背中だけで、大丈夫だよ、と語りかける父親みたいなもの。 どちらにしろ、思いつめている時は、視線は上には上がりません。下ばかり。少し顔を上げたところで、バックミラーに映った青空。ふと驚いて、振り仰いで見ると、雲ひとつない、青空。 空が、ずっと見ていたんだ。ずっと、見守っていてくれたんだ。いっぺんに、視線が真上に上がり、それから、前を見るようになります。 車だけではなく、目のつくところに、ちょっと視線を上げたところに、空を映すミラーがあるといいですね。 いつもあなたを見守っています。 そんなミラーで確認すれば、あなたは決して一人ぼっちではないことがわかります。 ね、少し顔を上げて、それから、思いっきり顔を上げて、空を見て。 ゆっくりと、顔を戻して、どこまでも、どこまでも、ずっと続く前を見て。 さあ、行きましょう。 <第0172号 2005年2月20日(日)> 向かい風 向かい風だからわかる たとえ 小さな風だとしても 頬を打つ風 進む足をにぶらす風 それでも 風上に向かってゆかねばならない 風とたたかう でも こうしてからだをあずけて 真正面から受けていると 風の呼吸がわかる どうして 風のなかにゆくのかがわかる * 挿一輪 * 凍るような北風。 外に出るのもためらわれるのに、たまたま行く方向が向かい風。頬は赤く痛くなるし、鼻水は出るし、涙も出てくるし、思わず、建物の陰にでも入りたくなります。特に大切な用事や仕事でもなければ、や〜めた、と、暖かな家に帰ってしまいたくなります。 北風なんて、と、ものともしないで堂々と歩ける人は、うらやましいですね。ただ、見ているだけで、寒くなってしまいそうです。 向かい風は外だけではありません。建物の中にも吹いています。 人の中にも、あなたの中にも吹いてくることはありませんか。 毎日の生活の中、仕事の中、穏やかな無風状態や、背中を押してくれる追い風だけなら、どんなにやりやすいことでしょうか。 ちょとしたことでも、引っかかる、何かが気に入られなくて、いちいち文句をつけられる。そんなささいな向かい風から、正面に立ちはだかって、嵐のように吹きつけ、吹き飛ばそうとさえする向かい風まで。 体力はもとより、精神力も使い果たすほどです。 だからといって、建物の陰に隠れるように、いつまでも風の止むのを待つわけにはいきません。何といっても、自分の生きている時間。無駄遣いももったいないですね。 強い向かい風の時、からだを風に預けるように歩いてみると、意外に歩きやすいときがあります。下手に避けようと、からだを引き気味にすると押し戻されます。 真正面で受けていると、風の呼吸がわかります。強弱の呼吸の中、うまくからだをコントロールすると、体力を消耗しません。 風を知ると、風の中の進み方がわかってきます。その方法を知るためには、あなた自身が風にまっすぐ向かい合って、あなたと風との関係を理解する必要があります。 どうして、向かい風と知りながら、風の中に入ってゆくのか。 少しわかってきたような気がしませんか。 <第0171号 2005年2月17日(木)> ひなた 小さなひなたは 光の額縁 季節風もよけてゆく そっとなかに入ってみれば あなたはそのまま ひなたになれる いつもかまえた輪郭が 溶けるようになくなって 生まれた頃に帰ったように あなたはそのまま こころになれる ほら なつかしい あたたかさ * 挿一輪 * ちょっと立ち止まって。 ぎりぎり、間に合わないから。さむい、顔を上げたくない。足元を見つめて、時計を気にして、目的地まで早足で。 だれも気がつきません。こんな近くに、あたたかな、ひなたがあるのを。 ちょっと立ち止まって。 別に用がないから。いそがしいから、また後で。 だれも気がつきません。こんな近くに、あたたかな、ひなたのこころがあるのを。 ボーっとしていると、危険な目にあいそうなこの頃です。いつもかまえて、気を張って、こちこちになって、帰ってくるとホッとため息です。 人と接しているときも、素直になれません。 あんなことを言って、実は何か裏があるに違いない、とかんぐったり、何でもない小さな好意を、変な気取りに見てしまったり。いつのまにか、目の前のことを、そのまま受け入れられなくなってしまいます。 寒い冬の一日でも、ひなたがあるとほっとします。庭先や公園でもいいですが、小さな路地、信号を待っている交差点、駅のホームの片隅。 ここ、明るいんだね、不思議にあたたかい、何でだろう。 足元を見ると、ひなたのなかにあなたが立っている、そんな偶然ありませんか。まるで光に縁取られた絵のなかに、あなた自身がそっと置かれたようで、わずかの間でもなごむ気持ちになれます。 同じように、あなたのまわりを見回してみてください。ふだん、何気のない、空気のような存在で、実は、ひなたのように、あなたをあたためてくれている人がいるはずです。冷たい季節風をよけて、あなたをそっと休ませてくれる人が。 そばにいるだけで、きっと、ガチガチの輪郭が溶けるようになくなって、からだのなかから、ホカホカとあたためてくれます。いつも走り回っていないで、足元ばかり見つめていないで、ほら、たまにはぐるりと見回して。 見つかりましたか、あなたのひなた。 入ってみませんか、なつかしい、あたたかさを思い出しましたか。 <第0170号 2005年2月13日(日)> 何を信じる 何を信じる 何を大切に思う 生まれたときの出発は同じでも 選び方を積み重ねてゆくうちに 少しずつ ずれてくる 何を信じる 何を見ている ひとりひとりの個性 刹那(せつな)の積み重ねで 生き方は変わってゆく 振り返って たどってゆける唯一の道 あなたを信じる あなたを確かにつかまえる * 挿一輪 * 親から引き継いだ遺伝子。 顔かたちや声の波長まで、人によって違います。でも、生まれてきたときは、同じスタート台です。 それが、大人になるまでに、それぞれの生き方に違いができてくるのは、目の前の道の選び方によることが大きいと思います。 初めは小さな違いでも、その分かれ道、分かれ道での選び方で、少しずつ距離が遠ざかり、気がつくと、周りの人とは遠く離れてしまっています。 周りに人影が見えなくなると不安になります。 自分だけ違った道を選んでしまったのではないか。 さっき隣にいた人と、同じ道を選んでおけば良かったのだろうか。 前に進むのに躊躇してしまいます。 でも、あなたが、こちらがいいと選んだのは、あなたの意志です。 それを、あなたの周りの人が選ばなかったからといって、あなたの意志を曲げてまで、人の後を追ってゆきますか。たとえ、一時的に同じ道を歩くことにしても、どこかの分かれ道で、あなたは別の道を選ぶことになります。 結局、分かれ道が重なるにつれ、いつのまにか、あなたは人影を見なくなります。 でも、振り返って見てください。そこには、あなたが選んできた分かれ道が、ずっと見通せます。だれの手によるものではなく、あなた自身の選択によって、つけられた一本道です。 その道自体が、あなたの個性そのものになります。その時その時は、小さな選択でも、確実に選ぶことによって、人はその人だけの人生を歩んでゆきます。 いったいあなたにとって、何が大切ですか。 いったいあなたにとって、何を信じることができますか。 いちばん確かに見える道。それは、あなたがここまで選んできた道筋です。 あなたが確かめることができるもの、それだけが本当に信じることができるものだとは思いませんか。 周りを見ると、自分よりステキなもの、自分よりすぐれて見えるものは限りなくあります。 でも、いちばん確かなもの、それは、あなた自身です。 迷ったら、見えなくなったら、ふと、振り返って、足元まで続く道を、もう一度たどって見通してみてください。 これが、あなたです。 あなたの姿です。 積み重ねてきた、いちばん確かな、あなた自身です。 ずいぶん遠くから歩いてきました。ずいぶんたくさんの分かれ道を選んできました。これだけたくさん選んできたのですから、これからも、大丈夫ですね。あなたの意志で、流されることなく選び続けてください。 ひとりは寂しいですか。 決していつまでも、ひとりぼっちではありません。ふと、次の分かれ道で、だれかにひょいと出会うかもしれませんから。 <第0169号 2005年2月10日(木)> いつかきっと いつかきっと は ことばだけなのかもしれない いつかきっと のままで 終わってしまうのかもしれない いつかきっと を 信じきるのは難しいのかもしれない いつかきっと いつかきっと 何度も何度も繰り返すと 涙がゆっくりと笑顔をつれてくる * 挿一輪 * いつかきっと。 くやしいとき。悲しいとき。バカにされたとき。誤解されたとき。 つい、つぶやいたことがありませんか。 夢をもって、チャレンジ。 でも、すぐに夢がかなうことは、なかなかありません。何度も何度もチャレンジして、そのたびに落とされる。だめでも、もう一度チャレンジ。いつ、かなうとは分かりません。 もしかしたら、ことばだけの叱咤激励なのかもしれません。 もしかしたら、このまま終わってしまうのかもしれません。 わずかな確率をもたらすのは、毎日の地道な歩みと、必ずかなうと信じきること。まるで、スポーツ根性アニメのよう、と、笑う人もいるでしょうが、特別な裏技や近道は、ないように思います。 でも、いつかきっと、と口にする人は、とても大きなエネルギーを体の中に蓄え続けています。今は、何に使うのか、使い道がはっきり定まらないけれど、いざ、これに使うという、道筋が決まれば、怒涛のように流れてゆく。爆発寸前の、臨界状態までエネルギーがたまっている状態、それが、いつかきっと、のように思えます。 そんな泥臭いことは、苦手という方もいるかもしれません。 スマートに夢をかなえてしまう人がいるかもしれません。 そんなうらやましい人が、あなたの周りにすっと出て、じたばたしている自分を笑っているかに見えるかもしれません。 でも、あなたは、いつかきっと、を繰り返し、実践してみてください。 何度でもチャレンジしてみてください。 最初、涙でも、いつか、最高の笑顔をつれてくることがあるはずです。 その時の笑顔を信じて、いつかきっと。 <第0168号 2005年2月6日(日)> 立春 枝の先を見つめる 光の反射に目を細める なにかに呼び止められて 空を見上げる 土の上の一歩 風の後の匂い 柔らかな反響 昨日までとかわらない ため息の幅もかわらない まるで間違い探し ほんとうにかわったのだろうか もういちど見つめる もういちど立ち止まる ほら そうしたくなるだけ 何かがかわっている 立春 ことばの魔法 * 挿一輪 * 立春。 ことばで見たり聞いたりするだけで、春が近づいてきます。 気がつかなかった梅の花のほころび。 まぶしいばかりの金属の反射。 歩いていても、軟らかくなったように感じる土。 音の反響もどことなくソフトです。確かに少しずつ変わっています。でも、立春ということばを聞かなければ、きっと見つけようとも思わなかったでしょう。その気がなくても、ことばが、あなたに、春に向かう小さな変化を探させたのでしょう。 ひとつのキーワードが、こころの持ち方を変え、見方を変えてしまいます。 不思議ですね。 それほど、人のこころは影響されやすく、繊細です。 好きといわれたら、きっとその人に好感をもちます。逆に、嫌いといわれたら、どんなに無視しようとしても、どこかで引っ掛かりができます。 その日一日の運命は、決まっているわけでも、作り出すのでもなく、ひとつのことばをきっかけに、ある方向にころがってゆく、そんな単純なものなのかもしれません。 あなたがある人を不愉快にしたいと思うのなら、嫌なことばを一言、耳に入るようにつぶやけばいいのですし、逆に、小さなしあわせをあげたいと思うのなら、少しはずんだ声で、あいさつするだけでもいいのです。 それならば、いっそあなた自身に声をかけたならどうなるかって? 無意識のうちに、あなたは習慣のように声をかけているはずです、あなた自身に。 ポツリと思わず出てきたことば。 嫌だな。辛いな。困ったな。 その一言が、あなたをその方向に引っ張っていってしまいます。 でも、だからといって、黙っていると、逆にストレスはたまり、ため息から、愚痴に、そして、八つ当たりに。嫌なことばが思わず出たら、まず、深呼吸。一点を見つめるのをやめて、ぐるりと見回す。 気分転換をすぐにしたほうがいいですね。早ければ早いほどいい。 そして、楽しいことを見つけるか、楽しいことばをポツリと話す。 だれに、あなた自身にです。 人目がはばかられるようなら、ダミーに話しかけます。 目の前の人に、おはよう! でも、実は、あなた自身にかけたことばです。これなら大丈夫ですか? 立春ということばで、春が探せます。立春で、春が呼べます。 春はそこにじっと待っています。ただ、あなたが気がつかないだけです。立春と声にだすことで、あなたは目の前の春に気がつきます。 同じように、あなたがキーワードをつぶやくことで、あなたはその日の生き方を、自分で決めることができます。 ね、ステキなことばで、ステキな一日にしてみませんか。 <第0167号 2005年2月3日(木)> 速度 あなたの速度がわかりますか 走る速さではない 生きる速さ いつも何かと競争をして いつも何かを横目で見て あなたの速さを調節している 目を閉じてごらん あなたのからだのなかに脈打つ あなたの音の速さを聞いてごらん それがあなた本来の速さ ゆったりと呼吸する あなたの速さの指標 * 挿一輪 * 駅前でバスを待っていました。見るともなく歩く人たちを見ていました。 会社帰りのサラリーマン、買い物帰りの主婦、高校生、子供づれの家族。 目の前を通り過ぎるとき、それぞれの速さで歩いてゆきます。先を急ぐように小走りする人、キョロキョロと周りを見回す人、下を向いて自分を隠すように歩く人、話しながら歩くグループ、走る子ども。 それぞれが自分の目的や時間に合わせて歩いています。中には、早足で行く人につられて、足が速くなってしまう人もいます。歩き方や歩く速さだけ見ていても、同じ速さはあまりありません。 ひと目で比べられる、歩く速さなら、自分の速さがわかります。 生きる速さではどうでしょう。まず目には見えません。 最近疲れやストレスがたまって調子が良くない。 他人のことが妙に気になって仕方がない。 自分の欠点ばかりが目に付く。 他人がどんどん自分を追い抜いてゆくような気がする。 ふとそう思ったときに、あなたは速さをもう一度チェックしてみませんか。 いつも横や周りにいる人に目を配って、取り残されないようにと神経を張っていると、あなた本来の速さを忘れてしまいます。 引っ張られてオーバーペースになったり、逆に思ったとおりに進まなくていらいらしたり。どちらにしても、からだは正確にあなたの速さを維持しようとしているのに、こころ自体がとまどってしまっています。 そんなときは、目を閉じて、あなたのからだの脈に耳を傾け、本来の速さを確かめてください。忘れてしまっていたあなたの速さが戻り、落ち着いて行動できるはずです。 歩く速さではありませんが、生きる速さも、だれ一人として同じ速さはありません。 他人の速さに引きずられるのではなく、常にあなた自身の速さで生きることを忘れないようにしてください。 |
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