2005年3月のこびん

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<第0183号 2005年3月31日(木)>

       おそれ

         闇というものは
         こころのなかで
         広がってゆく
         
         どこまでも
         どこまでも
         底のない谷を作り出す


   * 挿一輪 *

 いつも、夜にしか通らない道があります。バスに乗っていても、街灯が少なく薄暗い道です。道際に家があるところはいいのですが、家が途切れて、大きく道が曲がるところは真っ暗になります。坂の上から降りてくる道なので、カーブの外側はきっと崖になって落ちているのだと思っていました。

 何かの機会で、その道を明るい昼間に通ることがありました。大きく道の曲がるところにさしかかり、切り立った高台からどんな眺めが見えるのかと期待していました。カーブの外側に広がった風景、それはなだらかに続いてゆく畑の畝でした。

 見たことのない闇のなかの風景を、自分自身で作り上げていたことがわかりました。昼間の風景を見るまでは、そのカーブにさしかかると、少し怖い気がしたものです。カーブの外は切り立った崖、もし落ちたらどうしよう、考えてみれば、笑い話ですね。

 現実に見えないものを、今までのあなたの経験から推測して作ってしまう、そんなことがありませんか。たとえば、友人とのほんの小さな会話の行き違いや、表情の見せ方で、ありもしないのに、あなたを非難しているとか、嫌われてしまっているとか、思い込むことが、ありませんか。

 目の前にその人がいるのにもかかわらず、あなたが見ているのは、あなたのなかに作り上げたイメージです。話すことばのひとつひとつも、いつのまにか、あなたのなかでの、閉じられたことばに変えられてゆきます。まわりが真っ暗になり、あなたと友人のあいだには、幻の深い谷ができてゆきます。

 想像上でおそれることがこわいのは、谷の底がどんどん深くなり、ついには底なしの、まるで地球の中心まで切り立ったような、峡谷にまでなってしまうことです。そこまで掘り下げたのは、たったひとつ、あなたのおそれだけです。いかに、いたずらにおそれることが、危険な力を秘めているかがわかります。

 深い谷を、作らないようにするのにはどうしたらいいでしょうか。
 もし、谷ができてしまったら、どうしたらいいでしょうか。

 光を当てることです。実際の風景をあなたの目でたしかめることです。なんだ、こんなことだったのか、こんな平らな土地だったのか。見てみれば、いちどにおそれはなくなります。

 でも、もし、切り立った崖だったら。
 そのときは、しっかりと事実を見つめ、足元に注意すればいいですね。対処法もはっきりわかりますし、いたずらにおそれをふくらまして、体が動かなくなることも避けられます。

 ありもしないことに、想像でおそれを抱く、これはいちばんエネルギーを使います。それも、暴力的なゆがみを引き出してしまいます。あなたの大切な時間を、そんなことに使いたくはありませんよね。

 まず、じっと見て、ほんとうのことをあなたの目で確認する、おそれの9割はきっとそれで消えてゆきます。残りの1割に、危機管理の気配りをすればいいですね。いたずらにおそれていると、ほんとうの危険が見分けられなくなりますから。


<第0182号 2005年3月27日(日)>

       ふるさと

         ふるさとに帰ろう
         
         どんな小さなことがらでも
         いのちの次に
         大切に思えたころに
         
         どんな小さなことがらでも
         日が暮れるまで
         じっと見つめていたころに
         
         あなたがいつふりむいても
         ひとなつっこそうに微笑んでいる
         
         宝物のような
         ふるさとに帰ろう


   * 挿一輪 *

 あなたのふるさとはどこですか。遠いところですか。思い立ったらすぐに行けるところですか。もう、行くことができないところですか。

 うまれてから、ずっとふるさとに住んでいます、という人もいるでしょう。ふるさとは近くにあるのですが、あまりにその姿が変わってしまって、見つけることもできません、とうつむく人もあるでしょう。

 元気なとき、順調に毎日が動いているとき、忙しい日常に追われているとき、だれもがふるさとを忘れています。でも、病気をして弱気になっているとき、辛いことや悲しいことがあったとき、ふと立ち止まって、このままでいいのかな、と自分を振り返ったとき、ふるさとのことを思い出すことがあります。

 ふるさとに帰ろう。そう、思ったことはありませんか。生まれた土地に、子どものころ、過ごした土地に帰ろう。そう、つぶやいたことはありませんか。でも、帰るところは、生まれた土地ではなく、そのときの自分に帰りたいと思っているのかもしれません。

 あなたのふるさとは、あなたのこころのなかのふるさと。そう思うと、決して変わらないし、いつでも帰ることができます。まして、もうなくなってしまったと、悲しむこともありません。さあ、目を閉じて、帰ってみませんか。

 遊びに行ったときにどこかで落としてしまった、大切なおもちゃ。勝ってもらったものではありません。びんのふたや、王冠、自分で作った人形、など。人から見たらがらくたなのに、あなたにとっては宝物。いのちの次に大切にしていたのに、真っ暗になるまで探しても見つからない。

 原っぱの大きなアリの巣。アリが死んだせみを運んできて巣に入れている。首の後ろが焼けるのにも気がつかず、日が暮れて、こちらも真っ暗になるまで、じっと見ている。

 いつも一緒に走り回った友だち。作った秘密基地。見せ合った宝物。それを隠した宝の地図。

 ふと、われに返って、あなたはどこにいましたか。そう、あなたのふるさとです。あなたのこころのなかに、宝物のようにふるさとが潜んでいます。帰りたいと思ったときに、いつでも、どんなときでも帰れます。遠いからとか、行く時間がないからとか、理由をつける必要はありません。

 帰りたい。そうせつに思ったときに、すぐに帰ることができます。逆に帰れない理由をいろいろと思いつくときは、まだ、帰る必要がほんとうにないのかもしれません。帰りたい。そんなときはとるものもとりあえず、飛んでゆきますから。

 ふるさとで、あなたはあなた自身に会います。あなたはひとつになって、ふるさとに遊びます。ほんとうの、こころのふるさとの宝物、だれでもひとつは、もっているのではないのでしょうか。


<第0181号 2005年3月24日(木)>

       チャレンジ

         だれのチャレンジなの?
         わたしのチャレンジ
         
         まわりから見ていない?
         わたしの目で見て
         
         逃げ道を探していない?
         まっすぐ顔を上げて
         
         なぜチャレンジしたの?
         もういちど問い直して


   * 挿一輪 *

 考えてみれば、生きていることは、チャレンジの連続なのかもしれません。みんなが注目する、記録へのチャレンジは別として、小さな目標を達成するためのチャレンジは、毎日のように行っているのかもしれません。仕事上での、数字の達成とか、試験の点数の目標とか、会社や学校では、それこそ、毎日がチャレンジです。

 他人が設定する目標に向かってのチャレンジ、達成すればうれしいのでしょうが、どこか自分の糧にならないような気がします。目標に向かって努力するのは自分なのですが、根本の目標を、あらかじめ作られてしまっているからです。

 チャレンジの醍醐味、達成感のよろこびもそうですが、実は最初の目標を、自分の考えで設定することにあります。たとえば、あなたの目標には、チャレンジするのは、あなたしかいないのです。だれかに立てられた目標なら、チャレンジするのはだれでもいいはずです。むりだからとあなたが降りてしまえば、代わりにだれかがチャレンジします。

 あなたの立てた目標に向かってのチャレンジは、あなたしかいません。もしあなたが降りてしまえば、達成は絶対にありません。だれかに取られることがない代わりに、あなた以外にはできないということです。あなただけのチャレンジだということを知ってください。

 自分のチャレンジなのに、他人の目を気にする人がいます。他人の言動は気になります。うまくいっているうちは、あまり気になりませんが、一度困難に当たって立ち止まってしまうと、さまざまな意見が耳に入ってきます。意見に耳をかたむけることは大切ですが、判断を下すのはあなたです。意見に左右されてしまうと、だれのチャレンジだかわからなくなります。

 逃げ道はありません。チャレンジを始めたからには、達成するか、失敗するか、結果は別として、前に進むしかありません。逃げることは、降りたことになります。逃げ道をさがそうとまわりを見回すから、前が見えなくなります。その分、顔を上げて、まっすぐに前を見れば、少しでも先が見えるようになります。

 それでも、もしどうしても迷ったら、なぜ、いまのことにチャレンジしたのか、もういちど出発点の気持ちを思い出してください。迷っているときは、たいてい、目標がずれてしまっています。いつのまにか、わき道にそれてしまっていたり、変に欲張って、別の目標を付け足してしまっていたりします。

 成功するにこしたことはありませんが、チャレンジしているときの姿勢が重要です。どんなときでも、チャレンジしている人は、目標に向かって輝いて生きています。あなただって、いま現在、何かへのチャレンジの真っ最中にちがいありません。

 どうか、あなたのチャレンジなのですから、あなたのために楽しんでください。その結果として、達成されたなら、喜びもひとしおですから。


<第0180号 2005年3月20日(日)>

       スタンプカード

         あなただけのスタンプカード
         あなたらしさが出せたなら
         笑顔のスタンプがつくカード
         
         お買い物には使えないけど
         いっぱいたまったスタンプで
         ステキな明日と交換できる
         
         いつでもどこでも使えるし
         有効期限はないけれど
         忘れていたら消えちゃうよ


   * 挿一輪 *

 スタンプカード持っていますか。
 スーパー、書店、CDショップから、近所のパン屋さんまで、どこでももらえるスタンプカード。100円ごとか、500円ごとか、買い物ごとにスタンプがついて、たまった分で、値引きしたり、商品と交換してくれます。
 財布のなかには、そんなスタンプカードが何枚もありませんか。

 毎日のように利用するところなら、とてもお得です。妙にスタンプをためるのが楽しくて、少し遠くても、あのお店で、と思ってしまうこともあります。手間を考えたら、あまり変わらなかったりしますが、スタンプがいっぱいになって、少しでも割引になると、うれしくなります。

 たとえ小さなスタンプでも、積み重ねてゆくと、いつのまにか大きな利益になっています。無意識のうちにたまったスタンプ、買い物だけに利用するのは、もったいない気がします。だからといって、スタンプ自体はそのお店でしか使えませんし、まして、他のものと交換することはできません。

 ひとつのお店で、すべてまかなえるところはありません。でも、たったひとつ、どこで買い物をしようとも、どんな行動をしようとも、共通のものがひとつあります。それは、あなた自身です。あなたの毎日は、あなたの行動や考えで、成り立っているということですから。

 それならば、いっそ、あなた自身のスタンプカードを、作ってみてはいかがでしょうか。ただ、毎日を過ごしただけでスタンプがつくのなら、おもしろくありませんから、あなたなりにスタンプのルールを作ってみたらどうですか。

 たとえば、あなたらしく生き生きとした行動をとれたら、1スタンプ。
 新しいことに挑戦したら(アイデアを思いついただけでもOK)2スタンプ。
 できないと思ったことができて、だれかとステキな出会いがうまれたなら、ボーナススタンプで10スタンプ。

 スタンプカードの用紙には、笑顔のマークのスタンプを押して、スタンプがいっぱいになったら、ごほうびと交換。
 なにがいいですか。おいしいものを食べてもいいし、仕事を休んで遊びに行ってもいいし、好きな本をよんでもいい。
 でも、そんな見た目のスタンプの陰で、実は、とても大きなごほうびがまっているのに、あなたは気がついていませんね。

 スタンプをつけはじめる前のあなたと、いっぱいになったスタンプカードを見て満足げな今のあなたと、まるで別人のようになっていませんか。あなた自身ではわからないですけれど、久しぶりに会った友達は、きっと目をみはるかもしれません。小さな積み重ねは、当人にはわかりませんが、確かな変化をもたらします。

 笑顔が増えませんか。
 楽しい日が多くなりませんか。
 ワクワクすることが増えませんか。
 そして、自信がつきませんか。

 ほら、あなただけの、スタンプカードがいっぱいになりました。あなたのステキな明日と交換ができます。これがいちばん大きな特典です。

 スタンプの設定はあなたの自由です。いつでもどこでも、思いついたときにつけるスタンプカード。場所の限定も、有効期限もありません。でも、積み重ねを怠ると、いつのまにか消えてしまうおそれがあります。注意してくださいね。

 さあ、あなたも、オリジナルのスタンプカードを作ってみませんか?


<第0179号 2005年3月17日(木)>

       じんちょうげ

         どんなに暗い道でもわかる
         どんなに思いつめていてもわかる
         
         ここにいるよ
         ここに咲いているよ
         
         春をつげる匂い
         生きていることをつげる匂い


   * 挿一輪 *

 じんちょうげの匂い好きですか。
 咲くまでは、そこにいたのかというくらい、地味な低木です。春先になると「亀の手」のような細長い小さなつぼみを密集させ、白く小さな花を咲かせます。

 花が咲いても目立たないかもしれませんね、もし、甘い匂いがなければ。仕事帰りなど、暗い路地裏を歩いていると、ふいに匂います。匂って初めて、じんちょうげだ、とつぶやきます。沈丁花。ちんちょうげ、とも呼びますが、春には欠かせない匂いです。

 辛いことや、悲しいことがあると、じっと思いつめてしまいます。気分転換でもすればいいのでしょうが、ほんの小さなことなのに、頭から離れないことがあります。

 「ほんの小さな」とは、後から思ってそう感じるだけで、思いつめているときは、重大なことです。そのことばかり考えて、周りのことが上の空になります。赤信号に気がつかないで、車にひかれそうになったり、目的地を通り過ぎてしまっても気がつかないことがあります。

 目に入るものは、見る意思がないと見えません。耳をかたむけて、初めて音も意識されます。こころが閉じると感覚も程度に応じて閉じてしまいます。そんなとき、すきまから忍びこむように入ってくるものがあります。そっと肩に触れるようにいたわるものがあります。匂いです。

 はっと立ち止まることがあります。今までずっと頭の片隅に追いやって、忘れてしまったような匂いが入ってきます。人それぞれによって、違う匂いでしょう。

 例えば、海の潮の匂い。削りたての木の匂い。路地裏のお香の匂い。鼻の奥につーんとして、甘酸っぱい涙の匂い。ひなたの匂い。セーターの匂い。こどもの匂い。本の匂い。そして、花の匂い。

 どうしてそこで匂ったのか。
 立ち止まって、周りを見まわして、ああ、あそこに、と納得することがあります。
 周りをみまわしても、見つからずに、まるで夢を見ているみたいに、理由がわからない場合もあります。

 いずれにしろ、匂いを感じて、立ち止まって、匂いのことを思っている。その瞬間に、たぶん思いつめていたこころは、ふっと開放されています。

 根本的に問題が解決しているわけではありません。匂いをかいだから問題がなくなった、そんなに軽い問題ではなかったはずです。

 でも、そんなに思いつめていたのは、なぜですか?少し困ったような顔をして、少し微笑みを含んだ顔をして、だれかが聞いている気がしませんか。

 ちょっと休んでみて。この匂いを楽しんでみて。いきいきとしているときのあなたを思い出してみて。

 あなたは何の匂いが好きですか。
 じんちょうげの花の匂いは春を教えてくれます。たとえ真っ暗な道を歩いていても教えてくれます。それは、じんちょうげの花が生きて咲いていると同時に、あなた自身が生きて歩いていることを教えてくれています。

 ここにいるよ。ここにいるからね。
 どんな匂いでもかまいません。あなたもだれかのために、そう告げるステキな匂いをかもし出せたらいいですね。


<第0178号 2005年3月13日(日)>

       ここにある

         目を閉じれば見えなくなる
         横を向いても見えなくなる
         見ないふりでも見えなくなる
         
         見えなくなったものは何だろう
         見なくなったものは何だろう
         
         変わったことは何もない
         なくなったものも何もない
         
         目をあければ
         まっすぐに見れば
         じっと見つめれば
         
         ほら
         ここにある


   * 挿一輪 *

 目は都合のいいようにできています。見たくないものは見えません。目を閉じたり、視界に入れないようにすることもそうですが、実際に目の前にあっても見ないことができます。

 でも、超能力者でもない限り、目の前のものを消し去ることはできません。移動することもできません。目を閉じて消えたものは、目をあければ現れますし、そっぽを向いて消したものは、方向を戻せば視野に入ります。

 目の前にあって見ないふりをしていても、そこにしっかりと存在することは否定できません。都合のいいようにできているのは、目ではなく、見る人自身のほうでしょうね。

 見えなくなってしまったものは、いったい何でしょうか。
 それは、見なくなってしまった自分自身です。

 なぜなら、見えなくなっていちばん不安になるのは、だれでしょうか。
 もしかしたら大きなチャンスだったのかもしれないのに、逃して損をするのは、だれでしょうか。
 実は、とても大切なことを教えてもらえたのに、知りそこなったのは、だれでしょうか。

 見ないことで、いちばん変わってしまうのは、自分自身です。正しい状況判断ができなくなるのは、自分自身です。見ないことは、見えないこと、突然の変化にも対応が遅れ、取り残されてしまいます。

 目の前にあるものは変わりません。見る人の見方次第で変わるだけです。どんなにステキで好かれる人でも、それが長所と映る人もいれば、逆に欠点と見る人もいます。

 ひとつのことに決めつけて、目を閉じてしまうことは、固定観念をうえつけ、かたくなにこころを閉じてしまいます。意外な発見にも出会えないかもしれません。

 目はいつでも閉じることができます。でも、同じように、目はいつでも開いていることもできます。交互にくるわけではありません。だれかに指示されているわけでもありません。あなたの気持ちしだいです。

 閉じたいと思うのと同じように、目をあけてまっすぐに見つめることだってできます。あなたがそうしようと、思うだけでです。何度もくりかえしますが、目の前のものは、だからといって、変わりません。

 あなたはどちらがいいですか。
 見えないほうがいいですか。
 しっかりと見つめたほうがいいですか。

 ここに、目の前に、そのものがあるのなら、しっかりと見つめていたほうがいいと思いませんか。
 目は、見るためにあるからです。
 目は、あなたの生きるためにあるからです。


<第0177号 2005年3月10日(木)>

       迷い

         迷っていると
         迷っていることで
         頭がいっぱいになる
         
         迷うのになれてしまうと
         たとえ
         しっかり解決しても
         迷いがないと落ち着かない
         
         迷うのが
         いつのまにか
         目的になってしまい
         
         新たな迷いを
         みつける旅支度にいそがしい


   * 挿一輪 *

 迷うことが多いですね。
 お昼に何を食べようかと、コンビニでお弁当を選ぶのを迷いませんか。やっぱりパンがいいかな、それとも、おにぎりにしようかな、迷っているうちに、目の前の棚からは、次々と物がなくなってゆきます。結局、残り物になってしまいます。

 毎回のように迷っていると、迷うのになれてしまいます。
 たまにすっきりと決めると、不安になります。いいのかな、って。こんなにあっさりと決めてしまって大丈夫かい、と声が聞こえそうです。

 別に、どこからか聞こえてくるのではなく、実は、自分の中から聞こえてきます。どこかで迷いを求めてしまい、迷いがないと物足りなくなってしまいます。

 たしかに日常の中で、迷うことが多いのがこのごろです。情報が氾濫して、どれを選んでいいのかわかりません。一見、良さそうに見えても、もしかしたら、だまされているのかもしれない、危ない勧誘なのかもしれない、と、疑心暗鬼におちいります。

 直感で選択すれば、そのリスクが大きいように見えて、迷い、慎重になることが、賢い選択のように感じられてしまいます。

 慎重なことは良いことですが、迷っていることとは、ちがいます。どんな時でも、決断のタイミングを計っているのが、慎重です。どんなときでも、決断のタイミングを切っているのが、迷いです。

 迷っていると、動けません。動くのが不安だからです。
 では、何かのきっかけで、迷いが吹っ切れたら、動きますか。いえ、迷いがなくなったら、新しい迷いを見つけてくることでしょう。迷うこと自体が、目的に、すりかわってしまっています。

 冬の朝、いつまでもふとんの中で、ぬくぬくとしていたいもの。迷いは、ひとつ間違うと、妙にいごこちのいいふとんになってしまいます。

 では、迷いから抜け出すためには、どうしたらいいのでしょうか。冬の朝、あたたかなふとんを見切るにはどうしたらいいでしょうか。
 答えはひとつです。飛び出すことです。次の行動をすることです。

 行動は、次の行動を呼びます。考えるのも、同じ地点で考えるよりも、次の展開があれば、また、新たな考えが浮かびます。新たな行動も呼び込めます。いつまでも迷って、同じ地点にずっといると、いつまでもそこから抜け出せません。

 さあ、思い切って、迷いのふとんから出て見ませんか。冷たい大気の中に、オレンジ色に輝く朝日が見られるかもしれません。きっと、元気の源をもらえますから。


<第0176号 2005年3月6日(日)>

       必要なもの

         ほんとうに必要なものは
         いくつある
         
         指をおりながら数えてみる
         両手の指で数えてみる
         
         両手をぎゅっとにぎったら
         指を開きながら確かめてみる
         
         ふと気がついて
         そっと触れると
         
         開いた両手のてのひらに
         あなたの脈がうっている
         
         ほんとうに大切なものは
         いくつある


   * 挿一輪 *

 どうしても必要なものって、いくつありますか。
 急に質問されても困りますね。まわりをぐるりと見ても、必要な物だらけだな、と思ってしまいます。

 無人島に何かひとつのものを持ってゆけるなら、何を持ってゆきますか、という質問があります。たったひとつと言われると、意外とあっさり決まってしまいます。

 では、指で数えることができるだけ、挙げてみてください、というと、迷ってしまうのではないでしょうか。それでも思いつくままに、指の数だけ挙げることができましたか。

 あなたの両手はグーになっていると思います。
 ぎゅっとこぶしを握ったら、こんどは、指を開きながら、ひとつひとつ確かめてみてください。そう、指が全部開くまで、数えてみてください。

 その時、先ほど指を折りながら挙げてみた、必要なものを思い出すことはありません。もし、妙に気になってしまうのなら、初めの必要なものは、紙に書きとめておくのもいいですね。

 一度リセットして、また新たな気持ちで数えてみましょう。どうですか、必要なものは、最初と同じでしょうか。数えなおすたびに、少しずつ違ってくるはずです。

 かならず挙げるものがあれば、あなたにとって必要度の高いランクにあるものですね。

 くりかえしているうちに、気がつくことがありませんか。
 初めは「もの」が多かったと思います。本だとか、CDだとか、アクセサリーだとか、お金だとか。

 それが、だんだん、形のないものが入れ替わってきませんか。

 あの時出会った、○○さんとすごした「ひととき」。
 あの時応援してかけたことばに、返された「笑顔」。
 悲しくて顔を上げられなかったときの、そっと肩に置かれた手の「あたたかさ」。

 空気や温度、雰囲気まで、形ではない「必要なもの」が挙がってくるのではないでしょうか。それはすべて、あなたのふれあい、こころのふれあいにちがいありません。

 「もの」は時間がたてば壊れるかもしれません。失くしてしまうかもしれません。必要なものを失ったときの悲しさは辛いものです。

 でも、あなたのふれあいでうまれた、あなたが生きていることでうまれた「必要なもの}は、決して失くすことがありません。壊れることがありません。一時、見失っても、あなたのなかに残っています。

 開いたてのひらに、うっすらとかいた汗。脈打つあなたのいのち。それこそがほんとうに必要なものです。そして、ほんとうに大切なものです。

 あなたにとって必要なもの。
 ほんとうは、世界にたったひとつのあなた自身なのかもしれませんね。


<第0175号 2005年3月3日(木)>

       きっと

         用意されているわけではない
         約束されているわけでもない
         
         でも
         
         なにかを見つけようとすれば
         なにかを信じようとすれば
         
         きっとあなたの前に見えてくる


   * 挿一輪 *

 本屋さんになりたい。
 たとえばあなたが思ったとします。小さいころから本が好きで、本の世界に入っていれば、あとは何もいらなかった。あなたは考えます。いつも本を読んでいられるにはどうしたらいいのだろうか。そうだ、本屋さんになるしかない。

 大好きなことを見つけることは、それほどむずかしいことではありません。
 楽しくて仕方のない時。声をかけられても気がつかない時。あなたは、大好きなことに熱中していると思います。できたら、ずっと大好きなことをやっていたい。あきるまでやっていたい。でも、たぶん、大好きなことはあきる時などないのでしょうね。

 いつかはその大好きなことを、生活の糧にできたらステキなことです。でも、現実はなかなか思い通りにゆきません。仕事と大好きなことが一致している人は、どのくらいいるのでしょうか。多くの人が、かなえたいと思っている夢こそ、大好きなことではないでしょうか。

 だからといって、あきらめるのは早すぎます。考えてみれば、明日という日は、だれかが約束してくれているわけではありません。何も絵の描いていない、真っ白なカンバス。大きな可能性がある一方で、かならず来るという保障もありません。

 だからこそ、朝起きて、生きているという、生きているんだな、という、不思議があります。
 何を始めてもいいのです、たとえば、あなたが大好きなことを。

 夢みたいなことを、と思うかもしれません。その夢、だれが見ていますか。あなたのための新しい一日を、あなたの夢のためにすごす。できるはずがないと笑う前に、かなえられるなら、どういう形があるかなと、考えてみるのもいいとは思いませんか。

 あなたが思い描いたものは、ささやかな形になり、ささやかな形を積み重ねてゆけば、いつかしっかりとした手に触れる形になってゆきます。最初にあきらめてしまったなら、そこですべて止まってしまいます。信じて、積み重ねてゆくこと。

 淡い雪が、降りてはすぐに消えてゆくうちに、少しずつつもりはじめて、ついにはうっすらと道を白くしてゆく。そこまでくれば、あとは、一面の銀世界になるまで、あっという間です。

 朝起きたら銀世界。溶けても溶けても、降りつづけて、みんなが眠っているうちに、あなたが降り積もって、あなたの世界を作ってゆく。

 本屋さんになるしかない。そう思ったら、いつかは本屋さんになっていた。そんな人だって、かならずいます。

 あなたの世界を見続けて、あなたの夢を重ねていってください。信じるものは、あなたです。だから、かならずかなえることができます。

 あなたの夢を、きっと。



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