<第0209号 2005年6月30日(木)> めくる カレンダーをめくるように 青い空をめくってみる 見た目には同じような空だけれど 新しい空になっている 気がついた人だけが 新しい自分をめくっている * 挿一輪 * 日めくりは別として、カレンダーをめくるのは、月単位です。 また、一ヶ月が終わったね。 そう言って、新しい月を開きます。 新しい月が始まったときは、新鮮な気持ちですが、 少したつと慣れてしまいます。 一年の初めでさえそうなのですから、月初めは仕方がありませんか? ほんとうは、日めくりのように、毎日が違っています。 日々の違いは少しずつなので、気がつきにくいのかもしれません。 注意深く観察している人には、その違いがわかるかもしれません。 そして、なにかアクシデントがあれば、わかるかもしれません。 たとえば、大きな病気にかかったとき。 たとえば、大きなけがをしたとき。 やっと身動きできるようになってきた。 ベッドの上に、からだを起こせるようになってきた。 点滴から、流動食へ、重湯から固めのお粥へ、そして普通食へ。 健康な人が、日常でくりかえしている(と思っている)一日を、 少しずつ、少しずつ、快復しながら、かみしめてゆく。 同じ日なんて、一日だってないということを、実感するでしょう。 外出できないので、窓から空を見ることになります。 今日は青空。 昨日も青空。 そういえば、しばらく青空。 でも、同じ空に見える日は、一日もないはずです。 新しい一日があけて、新しい空が見える。 同じに見えても、違います。 見る人のこころの持ち方で、 まるでカレンダーをめくるように、 新しい空をめくります。 そして、自分のこころもめくります。 だれもがそうなんですよ。 ただ、気がつかないだけ。 病気やけがのときは、小さな変化がよく見えるから、 こころの変化もよく見えるのです。 毎日が、変わらないで、つまらないと思っているあなた。 あなたは、自分をめくっていることに、気がついていません。 カレンダーをめくったついでに、空を見上げてください。 夏空でも、梅雨空でも、昨日とは違っていませんか? そして、 あなた自身も、昨日とは違っています。 新しくめくられたあなた自身。 そのまぶしさを、新鮮な目で見てみませんか。 あなたが、カレンダーをめくるとき、なにを思いますか? <第0208号 2005年6月26日(日)> 目 好きな目をしていたい 自分だけの目をしていたい まっすぐ見て まっすぐまた戻ってくるような 幼子(おさなご)のような目をしていたい * 挿一輪 * 好きなことをしているときのあなたの目、 見たことありますか。 自分自身では、鏡にでも映さないと見ることができません。 友人や家族に言われたことはありませんか。 「好きなことして、夢中になっているときの、あなたの目、 にくたらしいほど、キラキラしていて、あきれかえるほど」 そう、目の前の好きなこと以外、いっさい気にならなくなります。 よそ見なんてもってのほか。 まっすぐ、ひたすら、対象のものを見続けています。 まっすぐ見ることって、まっすぐ受け取っていることになります。 例えば、目の前に咲いている花をじっと見ているとき。 あなたの目は、花に集中しています。 あなたの、気持ち、こころも、花以外のことは頭にありません。 ただ見ているだけではありません。 じっと見ている花から、 お返しに、大きな影響を受け取っています。 きっと、花も、あなたをじっと見ているからかもしれません。 不思議な話ですが、お互いに気持ちの行き来があれば、 安心してその場にいられるはずです。 まっすぐな目。 これはいちばん強い目です。 ごまかしようがないからです。 見ているあなた自身も、見られている対象のものも。 なかなかそんな目がもてませんか? でも、あなたが子どもの頃、 毎日、きっとそんな目をして、なにかを見つめていたはずです。 小さな虫だったり、水遊びの水の流れだったり。 たわいもないものから、なにかを受け取っていたはずです。 あなたのまっすぐな目を受け止めてくれるもの。 大切にしてください。 まっすぐな目で見ることができるもの、 ひとつひとつ集めてゆけば、 きっとあなたも、ステキな目を持つことができますから。 あなたは、どんなときに、まっすぐな目をしていますか? <第0207号 2005年6月23日(木)> 信じて 信じて 顔を上げて 前を見て進む いちばんシンプルで いちばん間違えなくて いちばん確かな歩み * 挿一輪 * 携帯のCMではないけれど、簡単がいちばんです。 電化製品にしても、基本は発明時点からあまり変わりません。 電話は、こちらからかけて相手が受けるか、 相手がかけてこちらが受けるか。 通じたなら話をする、当たり前の機能は変わりません。 電話を固定ではなく、外に持ち出したのは、すぐれたアイデアです。 ふと、思いついた場所で連絡を取る、かけることができる自由。 基本がそうなら、他の機能はおまけです。 そのおまけが複雑にしています。 洗濯機は、汚れが落ちればいいことですし、 冷蔵庫は、一定の冷所に保てればいいですね。 掃除機はゴミを吸い込めればいいことですし、 エアコンは設定した環境に保てればいいことです。 発想の基本は、開発されたときから、ほとんど変わりません。 TVやステレオも、音や映像は良くなりましたが、 見ること、聞くことの基本は少しも変わっていません。 人間の、心地よさに対する感受性は、 個々の幅こそあれ、基本の欲求は驚くほどシンプルです。 お風呂だって、別に24時間の循環システムでなくても、 汗を流し、あたたまれば、釜の風呂でも、気持ちよくなります。 環境に対して、驚くほどシンプルな反応をする人間が、 どうして、対人間に関しては、複雑になってしまうのでしょうか。 考えすぎですか。 情報に振り回されすぎですか。 電化製品のたくさんのボタンが並んでいる操作パネルのように、 最初に何をしていいかが、わからなくなってしまったようです。 昔のように、スイッチがひとつなら、なにも迷いません。 そのスイッチを入れればいいのですから。 信じて、顔を上げて、前を見て進む。 生きることの基本だと思います。 複雑な機能のスイッチはいりません。 大きな父親の背中のような、特大のスイッチをポンと押す。 だまされるかもしれない(自分自身にですか?)。 恥ずかしくて顔が上げれない(自分以外にだれが見ていますか?) 一歩が踏み出せない(前を見ていなければ進めませんね?) みんな、あなた自身のことです。 あなたが、使いこなせない機能なんて、 生まれたときから、だれも用意なんてしないはずです。 いのちは、とてもわかりやすいです。 生まれて、生きて、バトンタッチして、消えることだけですから。 そのなかで、いちばんいいことは、 あなた自身にとって、わかりやすいことをやってゆくこと。 そんなシンプルなことだけでも、考えてみてください、 一生で、やりきれないほどのことが、あなたに託されているでしょう? さあ、 信じて、顔を上げて、前を見て進む。 それだけを、やってみてください。 そう、 あなたのいのちのスイッチは押されたのですから、 シンプルに、あなただけを、生き抜いてくださいね。 そんな、あなたに、きっと幸あれ! あなたは、いま以上に、どんな付加機能が欲しいですか? <第0206号 2005年6月19日(日)> キャンバス 海を描こうと思ったなら 高く舞い上がる鳥になればいい 山を描こうと思ったなら ぽつんと離れた大樹になればいい 好きなあの人を描こうと思ったなら 目を閉じてあの人を思えばいい わたしを描こうと思ったなら わたしのいまをそのまま映せばいい * 挿一輪 * 毎日一枚、あなたのキャンバスに絵を残すことができたなら、 どんな絵を描きますか。 海を一日中、見ていてもあきないから、 見渡すかぎり水平線の海を、いっぱいに描いてみますか。 夜明けから、日没まで、どの時間の山肌も好きだから、 山の色の変化を、あますことなく描いてみますか。 大好きな人がいます。 ふと、気になる人がいます。 空気のような存在だけれど、 いざ、見えなくなると、不安でたまらなくなる人がいます。 いま、なにをしているのだろう。 いま、なにを想っているのだろう。 目を閉じて、その人のほほえみを思い浮かべ、描いてみますか。 でも、いちばん描いてみたいもの。 それは、わたし、自分自身かもしれません。 いちばん身近にずっと一緒にいながら、 いちばん見ていない時間が長いもの。 わたしを描こうとしても、なかなか描くことができません。 鏡を見たって、写真に撮ってみたって、 描こうと思った、わたし、は現れません。 わたしを描こうと思ったなら、 わたしのいまをみつめてみればいいのかもしれません。 真っ白なキャンバスに、小細工しないで、そのままを。 毎日、その日のわたしを残すのは、大変ですね。 ありのままに描くと、辛いことが多くなるかもしれません。 描きたくないと、筆が進まない日があるかもしれません。 でも、それでも、残す人は、大きな宝物を得ることができます。 どんなに高価なものよりも、もっと貴重なもの。 「わたし」という、「生きている」たったひとつの宝物の姿を。 ほんとうの勇気とは、真っ白なキャンバスに、 こびることなく、恥じることなく、堂々と、 自分自身の姿を、描きつづけることだと思いませんか。 あなたが、描きたい「わたし」何ですか? <第0205号 2005年6月16日(木)> 水の音 雨の音だろうか たしかに聞こえる 水の流れる音だろうか たしかに聞こえる 窓の外からも からだの奥からも * 挿一輪 * はっと、気がつくことがありませんか。 いつのまにか、窓をたたく雨の音。 きっと少しずつ降っていたのに、気がつかなかったのでしょう。 ふと、気がつくことがありませんか。 いつのまにか、どこかで水が流れる音。 ずっと前から聞こえていたのに、気がつかなかったのでしょう。 水の音は、雨にしても、流れる音にしても、 意識しなくても、自然に受け入れられる音です。 いのちのなかには、不思議に水が流れています。 絶え間なく、たとえ気がつかなくても。 耳を澄ませば、聞くことができます。 どんなに忘れていても、 ふとその音を聞けば、なつかしいふるさとのように、思い出します。 でも、いつもはそのことを気にしていません。 ただ、きっかけがあれば、いつでも、水の音は聞こえてきます。 そっと、聞いてみませんか。 あなたのからだの奥で、流れる水の音。 そっと、たしかめてみませんか。 生きている音は、水の音だということを。 あなたが、好きな水の音、何ですか? <第0204号 2005年6月12日(日)> もうひとつの空 緑のいのちは 鏡の空に植えられ すべるように 雲が泳いでゆく 気まぐれな風は 雨の予感を抱いて どこまでもかける 水の後れ毛(おくれげ) * 挿一輪 * 植えたばかりの稲の苗が、水のなかに整列しています。 水面には、空が映り、雲が映ります。 田のあいだのあぜ道に立っていると、 見上げても、空。 足元を見ても、空。 いつもは、目で見ることのできない透明な風が、 水面にさざ波を立たせ、 いまここにいるよ、と教えてくれます。 水に映った空は、もうひとつの空です。 緑の苗のあいだを流れる雲を見ていると、 空のまんなかにいる気持ちになります。 日常で見慣れたものでも、 見方によっては新しい発見があります。 変わった場所や、変わった見方をしたときに、 まるで、別のものに見えるほど、違って見えることがあります。 あるものを見るときに、 いつも同じ方向から見ていませんか。 あるものを見るときに、 いつも同じ気持ちで見ていませんか。 ものごとを、ひとつに決めつけないで、 別の面から見る、そんな工夫をしてみたらどうでしょうか。 見上げた空もいいですけれど、 水面に映った空からも、新しい発見がありそうです。 どちらもいいと思ったら? いっそ、ふたつの空を持ってみたらいかがですか。 ひとつのものより、ふたつのものを持っていたほうが、 より豊かになった気持ちがしませんか。 さあ、だれもが見ている空のほかに、 あなただけが見ている空をみつけてください。 もし、もうひとつ見つかったら? あなたは、しあわせのキーを、手に入れたことになりますよ。 あなたは、どんな空を見ていますか。 <第0203号 2005年6月9日(木)> 四つ葉 小さな四つ葉を見つけたら あなたにそっと手渡したい さしだす二つのてのひらと うけとる二つのてのひらと 小さな四つ葉を包むように 大きな四つ葉になるように * 挿一輪 * しあわせは、ひとりではつかめません。 渡す人がいて、受け取る人がいて、 初めて、しあわせのかたちになります。 四つ葉のクローバーを捜すのは、 自分ひとりが、しあわせになるためでしょうか。 いいえ、ちがいます。 もっと大きなしあわせをみつけたいからに、ちがいありません。 だれかのしあわせを祈る気持ち、 それは、あなた自身にもしあわせをもたらしてくれます。 人は、思っていることの方向に、自らを導くといいます。 しあわせを思えば、しあわせの方向に。 哀しみを思えば、哀しみの方向に。 四つ葉を見つける気持ちになったのは、 もう、しあわせをめざしていることですね。 あなたが、しあわせを祈って、四つ葉を捜すとき、 こころのなかに、きっと四つ葉があるのかもしれません。 どうか、その見つけた四葉を、だれかに渡してあげてください。 なぜなら、 渡す手と、受け取る手が、四つ葉の形になって、 小さな四つ葉を包むように 大きな四つ葉ができるからです。 小さな四つ葉をはさんだ四つのてのひらは、 もっと、大きなしあわせを運んでくれると思います。 ひとつのしあわせを求めるより、 倍になったしあわせを、かみしめあうほうが、 ずっと、ずっと、ステキだとは思いませんか。 あなたの四つ葉のクローバー、だれの手と作りますか? <第0202号 2005年6月5日(日)> 準備 どんなに乾いていても どんなに暗いところでも 種はじっと待っている 発芽する時を待っている 種は知っている 自分のなかに 発芽するいのちがあるということを * 挿一輪 * 6月の声を聞くと、梅雨入りの声が聞こえてきます。 さわやかだった風も、湿った水蒸気の粒をふくんできます。 乾いた大地が耕され、水が張られ、幼い苗が植えられます。 6月は、一気に、水の星になります。 水分が行き渡ると、さまざまな草の芽がでてきます。 今まで、じっと待っていた種が、のびをするように発芽します。 種はどこに落ちるのかは予測できません。 幸いに、土の上に落ちて、水分を得られればいいのですが、 なかには、コンクリートの上で乾いたままのものもあります。 でも、どんなに悪条件のところでも、種はじっと待っています。 それは、種がいつでも発芽できる準備をしているからです。 種は自分が何であるか知っています。 土や岩やコンクリートではないことを知っています。 硬く固まっていても生きていることを知っています。 だから、どんなに突然、発芽の条件が整っても、 あわてずにすっと発芽することができます。 「あ、ちょっと待って」なんていいません。 生きている限りすっと芽が出てきます。 常に準備ができているからです。 もし、あなたが種で、突然、発芽していいよ、といわれたとき、 「あ、どうするんだっけ」なんてあわてますか? おたおたしていたら、発芽の機会をなくしてしまうかもしれません。 いつでも、どこでも、条件が整ったなら、 すっと行動できるように準備をしていたいですね。 種ができるのですから、あなただってできるはずです。 たとえ、硬かろうが、柔らかろうが、 おなじいのちを包んだ「から」には変わりありませんから。 <第0201号 2005年6月2日(木)> 主人公 わすれないで しゅじんこう しっかりして しゅじんこう あなたがいなくなったら おわってしまう たったひとつの オリジナルストーリー * 挿一輪 * 人の数だけある物語。 それぞれがオリジナル。 似ているものに出会っても、同じものはひとつもありません。 たしかに小さな物語。 それにしては毎日続く物語。 少しも止まることのない物語。 だれかに流されていると思ったことありますか。 あの人のせいで。 あのことのせいで。 一人っきりでは生きていけないから。 関わり合いがあるのは当然。 仕方がないと思いますか。 もしかしたら、 物語を別の人の視点から見ていませんか。 あなた自身の物語。 ストーリーはだれが書くのでしょう。 とっても偉大な脚本家がいて。 とってもすぐれた演出家がいて。 作ってくれた物語。 ・・・ですか? あなたは選ばれた主役。 契約はこの舞台だけ。 脚本どおりに動けばいい。 はい、がんばってやらせていただきます。 ・・・それでいい? でも脚本家と演出家ってどこにいますか。 生まれたときに付けてくれた。 ・・・そう、決めてしまったのは、だれですか あなたは主人公。 演じる主役には違いないけれど。 決してそれだけではないはずです。 たったひとつの物語。 あなたは、脚本も演出も主役もできるはずです。 何もしないでも物語は流れていくけれど。 そんなことはもったいないと思いませんか。 どこか違っていると思いませんか。 明日というページは真っ白なまま。 書き込むことは自由だから。 あなた自身がだれよりも、最優先に書き込めます。 あなたという物語。 どうみても、あなたが主人公です。 |
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