2005年10月のこびん

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<第0244号 2005年10月30日(日)>

       あなたのことば

         たんぽぽを見たら
         たんぽぽだと
         ひとめでわかるように
         
         あなたのことばを読んだら
         あなただと
         ひとめでわかりますか
         
         きれいでなくても
         かっこよくなくても
         汗が吹き出るほど
         不器用でも
         
         あなたにしか使えない
         こころのことば
         見せてください


   * 挿一輪 *

 個性は、だれにもあります。
 その人にしか、ないものがあります。
 
 そのまま、恥ずかしがらずに出せばいいのに、
 すこし、欲がでてしまいます。
 
 どうせなら、きれいに見てもらいたい。
 すこしは、かっこよく見せたい。
 不器用なところは、隠したい。
 
 飾るつもりがなくても、
 ありのままのものを見せるのは、抵抗があります。
 
 でも、判断の基準は、なんですか?
 他人の目から見ていませんか?
 
 まっすぐに、自分のことばだけで、進んでみてください。
 不思議に、度胸が据わります。
 
 自信をもって、あなたのことばで、話してみてください。


<第0243号 2005年10月27日(木)>

       前夜

         今夜は前夜なのだろう
         明日という変化の日の
         
         特別な日など実は一日もない
         普通の日など実は一日もない
         
         あなたはどちらのこころをもって
         明日という日を迎えるのだろう
         
         もしも今夜が前夜なら
         その思いで
         眠りにつくことができるのなら
         
         きっとあなたの手で
         大きな一日が開かれることだろう


   * 挿一輪 *

 なにか特別なことが起こって、あとから思い当たること。
 そうだった、あの日が前夜だったんだ、と。
 
 さかのぼることで、前夜は、あとから作られます。
 いちばん大切な時間を、はっきりと意識するのが、
 通り過ぎてしまったあとからとは。
 
 明日のことを意識せずに、眠りにつくことが、
 いちばん楽かもしれません。
 
 でも、もし、今夜が、
 大切なできごとの起こる日の、前夜だったら。
 
 考えてみたら、同じ日は二度と訪れません。
 毎日が、特別な新しい一日。
 そう思えば、前夜もうっかりとはすごせません。
 
 明日に向かって、しっかりとした気構えをもって、
 そうだ、前夜なんだ、そう意識をもてば。
 
 大きな一日が、あなた自身の手で開かれるように思います。


<第0242号 2005年10月23日(日)>

       柿の実

         柿の実を
         指先で押す
         
         秋の午後の陽を
         いっぱいに浴びた
         熟れた実を
         ゆっくりと押す
         
         柿の実から
         伝わる
         あたたかなぬくもり
         
         春から夏にそして秋までの
         はぐくみの時間が
         指先を
         しっかりと押し返す


   * 挿一輪 *

 柿の実が、赤く熟してきました。
 陽だまりの実は、つややかでおいしそうです。
 
 手の届くところの実を、指先で押してみました。
 しっかりとした弾力性が、ここちよく感じられます。
 
 考えてみれば、柿の木は、ずっと太陽の恵みを受けてきました。
 そのおかげで、できた実ですから、
 太陽のあたたかさが、実のなかに、ずっしりとつまっているはずです。
 
 育てて、実をつけるには、一朝一夕ではできません。
 日々の積み重ねが、実という結果を生むのです。
 
 だれかに指先で押されたら、
 「しっかりと、実がつまっている」
 そう、いわれるように、毎日の糧を吸収してゆきたいですね。
 
 どんなときでも、明日の自分を育てる、
 その姿勢だけは、続けてゆきたいと思っています。


<第0241号 2005年10月20日(木)>

       おそれるな

         いま
         いちばん
         ほしいものは
         
         まっすぐ
         信じきることだけ
         
         おそれるな
         
         わたしにむかって
         声をかけれるか


   * 挿一輪 *

 おそれずに、一歩が踏み出せていれば、
 失敗の半分は、ふせげたかもしれません。
 
 信じて踏み出した一歩が、裏切られることよりも、
 恐れて、踏み出せなかった失敗のほうが、
 あとあとまで、悔しい思いをします。
 
 行動したことによる失敗は、何かを教えてくれます。
 教えをしっかりと叩き込めば、次へのステップに役立ちます。
 
 でも、
 行動しなければ、結果は出ません。
 検証もできなければ、新しい展開も見つけられません。
 
 そして、
 いつまでも、同じ位置にいることで、
 なおさら、一歩が踏み出しにくくなってしまいます。
 
 ここに、ずっといたいのなら、かまいません。
 そうでなければ、自分を信じて、
 おそれずに進むことです。
 
 おそれるな。
 その一言を、自分自身にかけることができるか、どうか。
 
 敵は、まわりにはいません。
 たった一人、自分のなかにいるだけですから。


<第0240号 2005年10月16日(日)>

       アザミの花

         秋の河原で見つけた花は
         紫色の小さなボタン
         
         キラキラ光る川面の風が
         そっと耳打ち教えてくれた
         
         やさしいこころをなくした日には
         アザミのボタンが欲しくなる
         
         鋭いトゲは澄んだかなしみ
         アザミのボタンをあきらめる


   * 挿一輪 *

 秋の河原に、紫の花。
 アザミの花です。
 
 やさしく可愛い花ですが、葉や茎に鋭いトゲがあります。
 
 花を守るためには、必要なトゲですが、
 こころを守るためにも、トゲは必要でしょうか。
 
 悲しいことがあったり、辛いことがあって、
 やさしさを忘れてしまったとき、
 アザミの花を、ボタン代わりにつけたくなります。
 
 ほんとうは、やさしい気持ちをもっているのだけれど、
 いまは、そばにくると、傷つけることばを出しかねない。
 
 でも、だれも怖がって、近寄らないと、
 いっそう、わたしが悲しくなります。
 
 あざみの花も、ほんとうは、トゲに守られているだけではなく、
 だれかと触れ合って、
 楽しい時間を過ごしたいのかもしれません。
 
 アザミのボタンが、拒否のことばでなく、
 実は、だれかに会いたいサインなのかもしれませんね。


<第0239号 2005年10月13日(木)>

       ほんとうに

         ほんとうに
         やる気になるのなら
         すべてのものが
         応援してくれる
         
         ゆったりと
         大きな宇宙のまんなかで
         わたしを信じて
         前を向け


   * 挿一輪 *

 孤立無援。
 
 どんなにやりたいことがあっても、
 わたしだけの力では限界があります。
 
 でも、とにかくできることから、
 どんなに小さなことだとしても、
 ひとつひとつ行動してゆけば。
 
 かならず、応援の手がさしのべられます。
 
 地球は、宇宙の運行にしたがって、
 なんの疑いもなく、動いています。
 
 生きている、わたしを、信じて。
 ゆったりと、大きくかまえて。
 前を向いて、歩き始めれば。
 
 ほら、耳を澄ましてみてください。
 
 見守ってくれる、たくさんの息遣いが聞こえませんか。
 
 ほんとうに、やる気があるのなら。
 信じて、進んでみてください。


<第0238号 2005年10月9日(日)>

       金木犀(きんもくせい)

         青空がのぞく路地の垣根で
         金木犀は
         花を落とす
         
         うつしみ とは
         こんな色にちがいない
         
         せつなさ とは
         こんな匂いにちがいない
         
         けなげさ とは
         こんな音にちがいない
         
         風がうながさなくても
         とどまることなく
         花を落とす


   * 挿一輪 *

 金木犀の花。
 
 もしも、知らずに通り過ぎようとしても、
 その芳香に、思わず立ち止まります。
 
 鮮やかな橙色をしていますが、
 匂いや色から受ける印象とは異なり、
 落花は、静かです。
 
 樹の下、一面に、橙色の花が散ることもあります。
 夜半の雨に、落ちたのでしょうか、
 濡れて、張り付いていました。
 
 花の先には、実りがあります。
 実りのための、落花なのですが、
 秋の花の落花は、すこし哀しいものがあります。
 
 ふと、けなげ、ということばが浮かびました。
 自分の役割を、ひたすらに生きて、
 音なき音で散ってゆく。
 
 そっと、声をかけてあげたくなりますね。


<第0237号 2005年10月6日(木)>

       目を閉じてごらん

         目を閉じてごらん
         大きな夕焼けに出会ったら
         
         目を閉じてごらん
         雲ひとつない青空に出会ったら
         
         目を閉じてごらん
         大好きなあなたに出会ったら
         
         美しいと感じたことは
         目で見たからだろうか
         
         目を閉じて
         耳を澄まして
         匂いをかいで
         空気に触れて
         
         ほんとうに
         美しいと感じることは
         
         目を閉じたときに
         からだのそこから
         たしかめられるはずだから


   * 挿一輪 *

 目で見てたしかめること。
 いちばん、たしかなものだと、思われがちです。
 
 ためしに目をつぶってみてください。
 怖くて、一歩も前に進めなくなります。
 
 目で見ることの、情報量。
 考えてみると、生活の中心になっていませんか。
 
 判断することも、視覚が大きなウェイトを占めます。
 たしかなようで、大きな危険が潜んでいます。
 
 目は、だまされやすいからです。
 
 ほんとうに良いものかどうか。
 判断に迷ったら、目を閉じることをおすすめします。
 
 音や匂い、その場の空気感を、判断材料に加えるのです。
 
 美しいと思うものに出会ったなら、目を閉じてみる。
 意外と、視覚ではない、他の感覚に訴えることが多いのです。
 
 目を閉じて、全身で感じる。
 それで、美しいと判断したのなら、それは、本物の美しさです。


<第0236号 2005年10月2日(日)>

       しあわせ

         楽しみに待つ
         大きなしあわせ
         
         すこしずつ積み重ねる
         小さなしあわせ
         
         どちらも
         かかせぬ
         たいせつなもの
         
         よくばりでは
         ないんだよ


   * 挿一輪 *

 しあわせは、ひとつだけだと、思っていませんか。
 しあわせは、特別なものだと、思っていませんか。
 
 それは、たぶん、一生に一度しか出会わない、
 奇跡のようなものを、想像しているからです。
 
 たしかに、ゆめを、見ているような、
 そんな、大きなしあわせに出会うことがあります。
 
 一方で、日常のなかでの、小さなしあわせがあります。
 楽しいことがあったから、笑顔。
 可愛いものに出会ったから、笑顔。
 やさしい思いを、心遣いをされたから、笑顔。
 
 どれも、しあわせです。
 どちらが、優れている、と、言っているのではありません。
 どちらかを、選びなさい、と、言っているのでもありません。
 
 両方の、しあわせを、もとめてください。
 毎日、ひとつひとつ、小さなしあわせを積み重ねながら、
 大きなしあわせを、ゆめのように、もっていてください。
 
 よくばりではありません。
 だれもが、自然にできることです。
 
 こつこつと、小さなしあわせをためていって、
 いつかは、大きなしあわせに、どーんと出会う。
 
 すぐ手に届くけれど、気がつかないものと。
 いつかは手に入れたいけれど、なかなか届きにくいものと。
 
 しあわせは、いくつあっても、いいのですから。



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