2006年4月のこびん

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<第0296号 2006年4月30日(日)>

       たいよう

         おなじじゃないか
         あなたはいう
         
         じぶんだって
         まわりだって
         きのうとかわっていないと
         
         でも
         わたしは
         このおおきなほしを
         ひとめぐりしてきた
         
         きのうとおなじものを
         たったひとつでも
         おしえてくれないか


   * 挿一輪 *

 1日。
 地球がぐるっと一周して。
 
 昨日と今日。
 今日と明日。
 
 いったい変化したものは何?
 
 見た目には変わらないものだらけ。
 自分自身だって同じではないか?
 
 でも、変わらないものはない。
 
 どうしても変わらないというのなら、
 そのものを教えてくれないか?
 
 
 一巡りしてきた太陽に聞かれて、
 あなたなら、なんて答えますか?
 
 たしかに、変わらないものはないでしょうけれど、
 それを、自分自身が意識していないと、
 頭のなかだけで答えてしまいませんか?
 
 どこか、
 昨日の自分とは違う。
 どこか、
 昨日の周りとは違う。
 
 からだのどこかで感じていると、
 そのわずかな違いでも、
 探そうとしている自分がいます。
 
 
 変わらないものはない。
 太陽に答えるのは簡単ですが、
 自分自身に納得させられますか?
 
 それとも、
 何も変わってはいない、と、
 目をつぶってしまいますか?
 
 それとも、
 もう少し待って、と、
 明日に先送りをしてしまいますか?



<第0295号 2006年4月27日(木)>

       みず の おと

         かわのそばにたたずむと
         みずの ながれがきこえてる
         
         おおきなみきにもたれると
         みずの のぼるおとがする
         
         あなたのむねにくるまると
         みずの ゆききのおとがする
         
         いちばん あやういおとだから
         いちばん いとおしいおとだから
         
         はやくひかりをつれてきて
         にじのふもとをつくらなきゃ


   * 挿一輪 *

 水の流れる音。
 
 実は細い管を通るときが、
 いちばん力強い音をたてます。
 
 川でも狭い渓流や滝。
 樹の幹の大地からの水の汲み上げ。
 そして、
 わたしたち人間や動物の血液の流れ。
 
 トクトクとリズムを刻むいのちの音を、
 じっと聞いていると、
 それだけで、
 生きていることの愛おしさが、感じられます。
 
 
 水がいのち。
 そのいのちに、光が出会うと鮮やかな虹。
 
 うつくしさとともに、そのあやうさは、
 ひとときも目を離すことができません。
 
 
 たった今まで流れていた水が、
 その証のいのちの音が、
 ふと止まらないうちに。
 
 やわらかな光を連れてきて、
 大きなゆめの虹のアーチを、
 あなたのために作ってくださいね。


<第0294号 2006年4月23日(日)>

       き の せなか

         そっと
         ふれてみる
         
         ゆびで
         てのひらで
         ふれてみる
         
         ああ
         ごつごつしているけれど
         ほんとうは
         こんなに
         やさしい
         
         ほほを
         よせてみる
         からだを
         あずけてみる
         
         ああ
         とっつきにくいようで
         ほんとうは
         こんなに
         あたたかい
         
         てっぺんのかおが
         みえないほど
         
         おおきな
         おおきな
         き の せなか


   * 挿一輪 *

 樹の背中。
 
 大きな樹の幹をみていると、
 どうしても、背中に思えて仕方がありません。
 
 大きな樹の幹。
 
 ふと、さわりたくなります。
 
 よりかかって、
 体をあずけてくなります。
 
 小さい頃、
 大人の背中は、大きく見えました。
 どっしりと、動かないように思えました。
 
 父の背中。
 母の背中。
 
 そばにいるとさわりたくなる背中。
 くっつきたくなる背中。
 
 だから、
 この大きな樹の幹も、
 樹の背中です。
 
 
 ああ、
 大きくていいなあ。
 どっしりとしていいなあ。
 
 そう思う前に、
 幹にさわっている自分をみつけます。
 
 
 直感のようなものでしょうか。
 
 受け止めてくれる、って。
 
 
 あなたが、
 からだをあずけたくなるような背中、
 どんな背中ですか?


<第0293号 2006年4月20日(木)>

       ほんわりと

         まわりが
         いつもより
         ほんわりと
         明るい
         
         新しい街灯が
         できたのか
         そう思って
         見上げたら
         
         真っ白な
         八重桜の花


   * 挿一輪 *

 月も出ていないのに。
 不思議に思うほどの明るさ。
 
 見上げると、八重桜の花が。
 
 街路樹になっている道を、
 ずっと見上げながら、
 歩いてゆきました。
 
 車で通り過ぎれば、一瞬です。
 歩いている人だけの特権でしょうか。
 
 空が雲におおわれても、
 明るい花があれば、
 月夜と同じ明るさです。
 
 空高い月の
 くっきりとした
 明るさを求めるのも。
 
 ふと手を伸ばせば、
 触れるような高さにある、
 ほんわりとした
 明るさを求めるのも。
 
 どちらもそれぞれ、
 ステキだとは思いますが。
 
 月の夢と、
 花の夢と、
 あなたはどちらの夢をもっていますか?



<第0292号 2006年4月16日(日)>

       つきつめれば

         つきつめれば
         なにかが動き出す
         
         つきつめれば
         なにかが光りはじめる
         
         つきつめれば
         なにかが見えてくる
         
         だから
         手前で止まっているのは
         もったいない


   * 挿一輪 *

 あと一歩のところ。
 
 よく聞くことばです。
 
 惜しかったんだ。
 もう少しでこの手に入ったのに。
 
 たまたま、運が悪かったのでしょうか。
 それとも、
 そこまでしても、という気持ちが、どこかに。
 
 
 あと一歩、というのは、
 一歩手前で止まってしまった、ということです。
 
 その原因が、自分にあると、
 冷静に分析する人は、まれです。
 
 その地点で止まってしまったのが、
 自分のどこに原因があったのか、
 なぜ最後の一歩をつめられなかったのか。
 
 手法の未熟さなのか、
 メンタルな部分の弱さなのか。
 
 つきつめられなかった理由。
 しっかりと分析して、
 突き止める必要があります。
 
 
 つきつめるとは、
 本気になって臨むことです。
 
 つきつめて、
 もし得られなかったら仕方がありません。
 
 でも、
 つきつめられなくて、
 そのために得ることができなかったなら、
 その時のほうが、
 より、悔しい思いをするのではないでしょうか。
 
 
 とにかく、
 全力を尽くして、
 つきつめてみる。
 
 どうしても、の気持ちが、あるのなら、
 つきつめてみませんか。


<第0291号 2006年4月13日(木)>

       銀の籠(かご)

          銀の籠


         雨が
         銀の線ならば
         
         カサは
         小さな銀の籠
         
         たったひとりで
         所在無げに
         
         ピンとつまびく
         その線は
         
         どんな音が
         するのだろう
         
         どんな匂いが
         するのだろう


   * 挿一輪 *

 続く雨。
 
 カサをさしていると、
 雨に囲まれます。
 
 まるで、
 雨で作られた鳥籠に、
 閉じ込められたように。
 
 気分が、
 重く沈みこむことがあります。
 
 雨の日は、
 自分のこころが、
 ストレートに出てくるような気がするからです。
 
 
 そんなときは、
 ちょっと籠のまわりの銀の線を、
 楽器の弦のように、
 つまびいてみませんか。
 
 ステキな音が、
 聞こえるかもしれません。
 
 不思議な匂いが、
 届くかもしれません。
 
 
 まだ、
 続く雨。
 
 でも、
 少しだけ、
 楽しくなったような気がしてきませんか?


<第0290号 2006年4月9日(日)>

       お面

         お祭のお面
         かわいいものから
         こわいものまで
         
         ひとつ
         ひとつ
         かぶってみようか
         
         そういえば
         最近
         同じお面をかぶっているな
         
         たまには
         新しいのを買ってみるか


   * 挿一輪 *

 お祭の縁日。
 
 金魚すくいや、わたあめ。
 薄荷パイプに、ベッコウ飴。
 
 最近は、
 スーパーボールすくいや、チョコバナナ。
 
 新しいものが増えていますが、
 基本は変わりません。
 
 
 そのなかでも、
 お面は定番。
 
 日が暮れてから、
 ずらっと並んだお面たちに、
 斜め上から電球の光が当たって、
 妙になまめかしかったり、
 妙にぬくもりを感じたり。
 
 お面をつければ、
 変身できてヒーローになれたり、
 かわいいお姫様になれたり。
 
 お面の存在感は、
 子どもごころには大きいものでした。
 
 
 でも、大人になって、
 お面のことは忘れても、
 仮面という名のお面を、
 かぶらなければならない日々。
 
 取り替えるのが、
 だんだんと疲れてきて、
 もういいやと、
 疲れた顔のお面をつけっぱなしにして。
 
 そのうち、
 ほんとうの自分の顔を忘れてしまいそうです。
 
 
 お面をつけるのなら、いっそ楽しい顔のお面を。
 そして、時々、新しいお面に変えて。
 
 たまには、はずして、
 自分の本来の顔を確かめるのも忘れずに。
 
 楽しいお祭の一日のように、
 毎日をすごしてみましょうか。



<第0289号 2006年4月6日(木)>

       メガホン

         小さな声でも
         運動場いっぱいに
         響き渡るのだから
         
         わたしのこころの
         声にならない想いも
         伝えられるのだろうか
         
         遠い
         遠い
         異次元に
         行ってしまった
         あなたのもとに


   * 挿一輪 *

 野球部の練習でしょうか。
 運動場いっぱいに、大声が響いています。
 
 コーチが、
 メガホンで指示を出しているようです。
 
 フェンスの外の、
 わたしの耳にもはっきりと聞こえました。
 
 
 声を増幅するように、
 自分の想いを、
 増幅するようなメガホンがあったらいいですね。
 
 恥ずかしくて伝えられない気持ちや、
 伝えようとしても遠すぎて無理な気持ち。
 
 そっと、
 こころの出口に、メガホンの口を当てるだけで、
 遥か遠くまでも、伝えてくれることができたなら。
 
 
 時間や、空間すらも超えて、
 もう、二度と会えない人にまで、
 どうしても伝えたかったことばを、
 高い高い空の上まで届くように。
 
 やっぱり、
 色は空色でしょうか。
 
 
 あなたは、そんなメガホンがあったなら、
 だれに、
 どんなことばを伝えますか?


<第0288号 2006年4月2日(日)>

       空色のスコップ

         鮮やかな青の光沢
         
         汗をかきながら
         ひとり
         空を掘っているのは
         
         ゆめの
         球根を
         植えるため


   * 挿一輪 *

 空色のスコップ。
 買ったばかりは、ピカピカです。
 
 土を掘るのには、もったいないような。
 
 これまた、
 買ったばかりの球根は、
 早く植えないと花が咲かない。
 
 どうしようと思っていたら。
 いっそ、
 空にスコップで穴を掘ったら。
 
 でも、
 花の球根は植えられません。
 
 そのかわり、
 もっとステキな球根を。
 
 それは、
 あなたのゆめの球根。
 
 空色のスコップで、
 青い空に、
 あなたの大切なゆめを、
 植える。
 
 水の代わりに、
 毎日、球根のことを想ってあげてください。
 
 愛しい、あの人を想うように。
 
 小さな芽が出て。
 茎がのび、
 空いっぱいに広がって、
 大きなゆめの花が開く。
 
 だから、必要なのです。
 青い、空色のスコップが。



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