<第0319号 2006年9月24日(日)> カマキリ 銀色の手すりに 新緑色のカマキリ 透明な秋風のなか 早朝のカマキリ 振り上げたのは まだ小さなカマだけど 眠っている今日を 鋭い一振りではじめる * 挿一輪 * 秋の朝。 澄んだ空気に、心地よく包まれています。 朝日に輝いているのは、銀色の手すり。 ふと見ると、一匹の小さなカマキリが乗っています。 小さいながらファイティングポーズ。 朝一番の獲物を待っているのでしょうか。 思わず立ち止まって、しばらくのあいだ見ていました。 獲物を見つけての最初の一振りが、 カマキリにとっての、 今日という日の始まりになるのでしょうか。 朝、一日の始まり。 今日というまっさらな一日が、あなたのために用意されています。 使い方は自由ですが、 意識して始めなければ、あっという間に終わってしまいます。 さあ、これから始めるぞ。 カマキリの一振りではないですけれど、 あなた自身の、最初の動きが大切です。 今日という新しい日のスタートに、 目標をもってのぞみたいですね。 <第0318号 2006年9月17日(日)> はじめに はじめに 伝える 瞬間に 目の合ったときに伝える 瞬時に 叫びのように伝える はじめだから 伝える * 挿一輪 * はじめが大切です。 小説も詩も、第一行が大切です。 音楽の最初のフレーズ。 映画の冒頭のワンシーン。 人と人との出会いも、瞬時の印象が影響します。 なにかを伝えたいとき、 最優先に伝えたいとき、 前置きは必要ありません。 ずばりと、いちばん大切なことを伝えます。 なぜなら、 その瞬間だけで、 コンタクトが終わってしまうかもしれないからです。 目の合った瞬間。 耳に入ってきた最初のことば。 一瞬でも、短い意思なら伝えられます。 その直後に離れても、その一瞬はくっきりと残ります。 最初のインパクトを大切にしてください。 そこで、自分の意思を伝えられたなら、 後は、自然に事が動きます。 はじめの大切さを、いつも意識していれば、 生き方が変わってきます。 「ああ、あのときに・・・」 後悔が減る分だけ、前向きの姿勢が取れますから。 はじめだからこそ。 真剣に飛びかかってみてください。 ほんとうに、いきいきとしている人は、 はじめを大切にしていますから。 <第0317号 2006年9月10日(日)> 水無川 乾ききった川に 水をあきらめて帰る人 乾ききった川に 水の音を探る人 見えなくても 続いているのは たしかな 水脈 * 挿一輪 * 小学校の社会で習いました。 扇状地。 山から流れてきた水が、 部分的に地下を流れて、伏流水になっている地形。 地上に出ている川は、 一見すると水が干上がっているように見えます。 水無川とも呼ばれますが、 扇状地部分を抜けると、 その場所から、急に川になったように、 水の流れが始まります。 目に見えないところで、流れ続ける川。 乾きで、水を求める人にとって、 「水がある」ことを知るのは、大切なことです。 耳をつけて、音を探ったり、 水の気配を、体で感じたり、 川を下って、 水の地上に出るところを探しに行ったり。 たしかに、「水がある」。 それだけで、元気も湧いてくるし、 次の行動も、自信をもっておこせます。 でも、干上がった目の前の光景だけで、 あきらめて帰ってしまったら、 水にはたどりつくことができません。 あなたの毎日の生き方のなかで、 どこか似た光景に、出会ったことはありませんか。 求めるものが見えない。 持っていたはずなのに、見失ってしまう。 見えないから、自信がもてない。 一見、干上がった川の上で、 途方に暮れて、たたずむこともあるかもしれません。 しかし、川は流れています。 足元深く、地下に流れています。 水脈は決して途切れない。 そう信じて、水を探してください。 扇状地を通った伏流水は、 ろ過されて、とても良い水になるといいます。 その水を見つけて、 そっと口に含んだ時のこぼれる笑顔。 生きることは、 信じて、行動して、見つけること。 そう、思いませんか? <第0316号 2006年9月3日(日)> コオロギ 去年も おととしも 10年前も 同じだったにちがいない 来年も 再来年も 10年後も 同じにちがいない 一匹として 同じコオロギが 鳴いているのではないのに 一匹として そのことに 気がついているコオロギは いないのに * 挿一輪 * 今年も、虫たちの声に包まれる季節になりました。 秋の夜、特にコオロギの鳴く声は響きます。 去年も、今ごろはこうして耳をかたむけていたな、 そう思うと、一年の過ぎるのは早いものです。 コオロギの声は変わりません。 子どもの頃に聞いた声と変わりません。 過去にずっとさかのぼっても同じです。 時間を進めてもきっと同じはずです。 来年の声、再来年の声、 年をとって、動けなくなってから聞く声も、 変わらないはずです。 でも、不思議ですね。 こおろぎはたいてい一年で死んでしまいます。 同じ個体ではないのに、 同じ声で毎年鳴き続きます。 ああ、去年と同じだな、と、 気がつくコオロギもいないわけです。 生き続けることの、バトンのすごさ。 人間は、今や一世紀近く生きることが可能になり、 自分の一生を重視する生き方に慣れてしまっています。 受け渡す、伝える、 種の保存の大切さを、 どこかで置き忘れてしまったかのようです。 でも、考えてみると、 大切なことに思い当たります。 今いる自分は、バトンを手渡されていることです。 両親からの、その前の代からの、 決して途切れることなく続いてきた、バトンの受け渡し。 去年と同じ。 来年も同じ。 もっと長いサイクルでも、しっかりと、 いのちの声を伝えてゆきたいと、思いませんか。 |
|||
Copyright© 2006 Kokoro no Kobin