2007年5月のこびん

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<第0354号 2007年5月27日(日)>

       待つ

         待つ
         じっと待つ
         距離を保って
         待つ
         
         待つ
         ゆっくりと待つ
         歩みを進めながら
         待つ
         
         待つ
         立ち止まってもいい
         一息入れてもいい
         腰かけてもいい
         
         でも
         顔だけは上げていなければならない
         どんな遠くでも
         見つめていなくてはいけない
         
         待つ
         待つことが
         目的ではないのだから
         
         そのときに
         出会うまでの
         そのときを
         むかえるための
         長い長い準備をはじめることなのだから
         
         待つ
         さあ腰を上げよう
         しっかりと
         出会いのときの握手をするために
         出会いのときの笑顔を見せるために
         一歩一歩


   * 挿一輪 *

 待つことは楽しいですか。
 それとも疲れることですか。
 
 なにを待つかによって違いますね。
 
 待ちこがれるほどの期待があれば、
 指折り数えるほど楽しい時間になります。
 
 逆に気が進まないときは、
 このままずっと待ち時間が続けばいいとさえ思います。
 
 じっと待っているようでも、
 実はその距離は微妙に変化しています。
 思ったより近かったり、
 永遠にたどりつけないように感じたりします。
 
 でも、
 少しずつでも近づいていかないと。
 待つことが目的ではないのですから。
 
 待つ対象を意識したとたんに、
 そこでじっと待つのではなく、
 ゆっくりと歩み寄り始めているのでしょう。
 
 待つものには出会います。
 いえ、出会うように自分が近づいてゆくのです。
 
 ならば、
 その準備をあらかじめこころのなかでしたいですね。
 出会ったときに、
 笑顔でやあと、握手を求めたいですね。
 
 待つ姿勢が、
 実はとても大切なことだと思いませんか?


<第0353号 2007年5月20日(日)>

       水たまり

         大きな
         水たまりを
         のぞきこんだら
         もう一人のわたしが
         こちらを見ていた
         
         小さな水たまりを
         のぞきこんだら
         やっぱり
         もう一人のわたしが
         こちらを見ていた
         
         点々と続く
         水たまりを
         つぎつぎとのぞきこんでも
         おくれることなく
         顔を見合わせる
         
         でもとうとう
         この水たまりで
         終わりだよ
         追いかけっこは
         
         ちょっと名残惜しげに
         斜めから
         水たまりを
         ふりかえったら
         
         雨あがりの
         真っ青な空が
         まあるく
         まあるく
         連なっていた


   * 挿一輪 *

 雨の多い季節になります。
 
 道の舗装が進んでいる都市部では、
 あまり見かけない水たまり。
 
 でも、凹凸はけっこうあるようで、
 まとまった雨の後は、舗装道路でも水たまりが点々と。
 
 ひょいとのぞきこむと、
 どこかで見たようなやつが、
 向こうからものぞいています。
 
 ほんとうは、水たまりの向こう側にも、
 もうひとつの世界があり、
 同じように、
 もう一人の自分の生活があるのかもしれません。
 
 水たまりから離れると、
 またそれぞれの世界にもどり、
 今日一日が始まってゆくのでしょうか。
 
 ちょっといたずらして、
 水たまりを斜めからのぞきこんだら、
 向こうもきっと、
 斜めからのぞきこんでいるのでしょう、
 映っているのは、真っ青な空だけでした。
 
 次に、会うときは、お互いどんな表情なのでしょうか?
 できたら笑顔で、やあと声を掛け合いたいですね。


<第0352号 2007年5月13日(日)>

       母なる

         母なる海
         母なる大地
         
         母は大きい
         母は無尽蔵
         
         大きな声で叫ばなくても
         ただそこにあるだけで
         
         こころがそのまま
         大地になり
         海になり
         
         どんなに静かなときも
         表面張力で
         こぼれそうな
         熱い涙
         
         どんなにやさしいときも
         風に
         とばされない
         陽だまり
         
         母なるゆめ
         母なる想い
         
         いつまでも
         決して消えることのない
         母なる
         ことば


   * 挿一輪 *

 「母なる」ということばがつくと、
 遠いふるさとを見る目になってきます。
 
 そばにいるときは空気のような存在なのに、
 ふと離れると、
 いつでも見守ってくれている不思議な意識。
 
 母のおなかから誕生する以上、
 人類のことばは、母のことばと同じなのでしょうね。
 
 子どもの頃の、やさしく、きびしかった母。
 おとなになってから、
 小さくなって、それでもなおいっそう、
 想いがしみじみと感じられる母。
 
 かけがえのない、こころのふるさと。
 自分が生きているあいだ、
 決して消えることがないふるさとですね。


<第0351号 2007年5月6日(日)>

       笛

         学校の運動場から聞こえる
         笛の音
         
         初夏の陽射しをくぐりぬけた
         汗ばむほどの風に乗って
         
         短く鋭く響く音
         たまったエネルギーを
         一瞬でときはなつ音
         
         長く柔らかく伸びる音
         噴き出した汗を
         そっとぬぐう風の音
         
         くりかえしくりかえし
         わたしのそばをすりぬけて
         さつきの花をゆらしながら
         
         どこまでもかけぬけてゆく
         笛の音
         
         見上げれば
         風に泳ぎ始めた鯉のぼり
         
         次の笛でヨーイドン
         記憶の道を走ってみようか


   * 挿一輪 *

 五月。
 新緑の季節になりました。
 空高く鯉のぼりが泳いでいます。
 
 外を歩いていると、さまざまな音が飛び込んできます。
 今まで気がつかなかったように新鮮な音です。
 
 初夏の空気のせいでしょうか。
 そんな意識をする気持ちのせいでしょうか。
 
 小さな音まで、躍動感があり楽しげです。
 
 学校のグラウンドから流れてくる笛の音も、
 そんなひとつかもしれません。
 
 少し学生時代を思い出しながら、立ち止まって聞いていました。
 小さな音のきっかけが、
 忘れていた記憶の時間を、つれてくることがありませんか。
 
 この季節、あなたも歩きながらでもかまいません。
 ふと、なにかの音に耳をかたむけて、
 ステキな記憶を呼び覚ましてみませんか?




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