2008年2月のこびん

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<第0393号 2008年2月24日(日)>

       季節交通春路線

         錆びて落ちそうな時刻表
         たった一便の予定時刻
         季節交通春路線
         古びた停留所でひとり待つ
         
         腕時計ははずしてきた
         青空たよりの陽だまり時計
         立てた指一本影が長くのびる
         バスはまだ来ない
         
         天のあなたが教えてくれた
         ここでバスを待つようにと
         時刻どおりには来ないけれど
         かならずバスは来るからと
         
         バスよ来い来い春よ来い
         呪文のようにくりかえす
         もしかしたら今月は
         まだ一丁目あたりの南の路線
         
         ため息ついて見上げれば
         うっすらと浮ぶ停留所の名前
         「春待ち通り三丁目」
         夕陽を浴びてキツネ色
         
         こころのなかの停留所にも
         じっと待っている影がある
         ここにもかならずバスは来る
         春を信じて待っててごらん


   * 挿一輪 *

 見知らぬ土地で、
 バスの停留所を探したことがあります。
 
 今いる場所も定かではなく、
 目的地がどの方向になるかも自信がありません。
 
 地元の人に教えてもらいようやく見つけました。
 たしかに予定の時刻は書いてありますが、
 いつのかわからないほど古びた時刻表です。
 
 いつまでたってもバスは来ません。
 かならず来るからといわれても、
 初めての土地なので不安になります。
 
 陽がかげって寒くなってきました。
 もう今日は来ないのかもしれません。
 そういえばむこうの通りにバスの影を見たような。
 
 もしかしたらこころのなかにも、
 小さなバスの停留所があって、
 やってくるバスを、
 じっと待ち続けているのかもしれません。
 
 まるで春を待ち続ける今の季節のようです。
 
 春のバスはすぐそこまで来ています
 もう少し待っていてくださいね。


<第0392号 2008年2月17日(日)>

       みのむし

         こころにささる
         ちいさなかなしみ
         たとえば
         不用意な
         あなたへのひとこと
         
         こころににじむ
         ちいさなやさしさ
         たとえば
         不意にもらった
         あなたからのえがお
         
         ほそい
         ゆびとゆびのあいだの
         スリットから
         こぼれるようにうまれる
         光の針
         
         いっぽんいっぽん
         かれはのようにまとい
         いつおとずれるか
         わからない春を
         
         ゆらりゆられて
         待ち続ける
         わたしは
         みのむし


   * 挿一輪 *

 高い樹の枝先に、
 季節風にもてあそばれるように、
 みのむしがゆれています。
 
 枯葉や小枝で蓑を作り、
 春の訪れまでじっと眠っているのでしょうか。
 
 人には家があり暖房があり、
 外に出ても防寒着があるので、
 みのむしのようにじっとこもる必要はありません。
 
 でも、
 なにげないことばで傷つき、傷つけられるこころは、
 裸に等しい無防備なものかもしれません。
 
 どんなに気の合う人や、
 いつもそばにいる人でも、
 ささいなことで確執がおこって、
 こころが通じなくなります。
 
 そうかと思うと、
 ふいにあたたかく抱き寄せられるように、
 やさしいことばで癒されることもあります。
 
 指のすきまからこぼれるようなわずかな光でも、
 こころにとっては、
 まぶしすぎたり、
 希望の糧になったりします。
 
 こころを見ることができたなら、
 そんな小さな針で覆われた、
 光る蓑が見えるのかもしれません。
 
 ささやかな日常を蓑にして、
 みんなそれぞれ、
 せいいっぱい生きているにちがいありません。


<第0391号 2008年2月10日(日)>

       石仏

         街の辻に
         ひっそりと
         石仏
         
         朝陽の
         一筋の
         光のしおりを
         受けている
         
         旅の
         無事を祈ってなのか
         漁の
         無事を祈ってなのか
         
         少し潮の香りのする風が
         ゆっくりと
         咲きかけの水仙をゆらし
         
         青く染まった水たまりが
         小さなはぐれ雲を映す
         
         ここでしばらく
         石仏とたたずむ
         こころの時間を
         
         光のしおりを
         そっとはさんだ
         大切な時間を
         
         いつでも思い出して
         とりだせるように


   * 挿一輪 *

 ふだん歩いていても気がつきません、
 小さな石仏。
 
 辻や道筋の無事を祈る道祖神や、
 海に近い街での漁の安全を祈る石仏。
 
 休みの日に、
 ふだん歩くことのない裏道に、
 ふと見つけたりします。
 
 新しい花が供えられているのもあれば、
 だれもかえりみないのか、
 風雨にさらされたままの石仏もあります。
 
 
 冬の朝夕の光は、
 不思議な力をもっています。
 
 忘れられてしまった記憶に、
 まるで薄いしおりをはさむように、
 低く長く奥まで入りこんで、
 時間や雨風に削られた顔を
 ほっこりと浮き上がらせてくれます。
 
 そんなしおりが挟みこまれたとき、
 石仏は今まで垣間見たできごとを、
 そっとささやいてくれるかもしれません。
 
 
 ほんのわずかのあいだでも、
 そんな時間を共有してみませんか。
 
 こころが澄んで、
 ふとあたりを見回せば。
 
 昨日の雨の名残りの水たまりに、
 青空と雲が映っていたり、
 咲きかけの水仙がそばで揺れていたり。
 
 ゆったりとおちついた、
 あなただけの大切な時間が、
 すごせるかもしれませんね。


<第0390号 2008年2月3日(日)>

       節分

         豆をまけ
         豆をまけ
         この鬼さまに豆をまけ
         
         おまえのへなちょこ豆なんぞ
         痛くも痒くもありはしない
         
         鬼は外だの笑わせるなよ
         そんな気合じゃ出てゆけぬ
         
         いったいだれが鬼なのか
         いったいどこが鬼なのか
         まっすぐさがしたことがあるか
         しっかりむきあうことがあるか
         
         かんじんかなめがわからずに
         いったいどこに豆をまく
         けんとう違いの方角に
         笑うは鬼のまぼろしさ
         
         豆をまけ
         豆をまけ
         この鬼さまに豆をまけ
         
         しっかりみつけて豆をまけ
         面とむかって豆をまけ
         さもないと
         がっしととって食らってしまうぞ


   * 挿一輪 *

 節分です。
 
 鬼は外、と、厄災を追い払い、
 福は内、と、幸福を呼び込みます。
 
 鬼の形は恐ろしくて醜く、
 だれからも恐れられます。
 
 平安の昔、
 鬼退治をした武将の話がありますが、
 実際にいたかどうかはわかりません。
 
 人間の持っている内面の醜さを、
 形に現したものだともいわれます。
 
 鬼はだれのなかにでも、
 潜んでいるものかもしれません。
 
 今日一日をふりかえって、
 鬼が顔を出した場面を、
 しっかりと思い出してください。
 
 鬼の正体がわかれば、
 鬼を追い払うことはできます。
 
 鬼がどこにどのように住んでいるか、
 それをはっきりさせれば退治できます。
 
 さあ、大きな声で、
 鬼は外。
 そして、あたたかなこころの部屋に、
 福は内。



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