<第0398号 2008年3月30日(日)> 沈丁花 目をつぶった 淡い闇のなかに ほのかにうかぶ 匂い 耳に届くのは 吹き始めた すこしよそゆきの 風 形あるものは なにひとつ ふれることがなくても しばらくはこのままで 推理小説の なぞときを楽しむ ほら そこにいる 赤ちゃんの にぎりしめた 赤いこぶしから 白い手のひらが こぼれるように 沈丁花の 笑み * 挿一輪 * 春の沈丁花、秋の桔梗。 大好きな花の代表です。 もちろん、いぬふぐりやホトケノザ、タンポポ。 あせびやモクレン、そして、サクラ! 春の花は、草花から大きな樹に咲く花まで、 好きな花は、順番をつけるのに迷うほど、たくさんあります。 でも、 沈丁花の花の匂いほど、 はっきりと春を確信するものはありません。 匂いだけではなく、 あの赤い亀の手のような蕾と、 鳥の雛の口のようにあっけらかんと開く花。 春の明るい笑いに、 いちばん似合うような気がするのですが、 私だけの感覚でしょうか。 そういえば似たようなものが、 ほかにあるように思っていましたが、 ある日ふと、 赤ちゃんの手が浮びました。 理由をみつければ、 他にもありそうですが、 好きな花は、 出会った瞬間にひきつけられる、 異性のようなものなのかもしれません。 あなたも、春の休日には、 初恋の人を思い出しながら、 好きな花の理由など、 そこはかとなく想ってみてはいかがでしょうか? <第0397号 2008年3月23日(日)> 家族 洗いなれて 触れただけでもわかる 形も大きさも違うカップ ひとつふたつみっつ みなれた姿勢で 定位置の場所にすわり 話し始める動作 視線を動かすときのクセ 理由もないけれど 好きなところ 数えはじめると意外な発見 がまんはできるけれど どうしても嫌いなところ 片手に余ったところでやめて なにが良いとか なにが悪いとか ひっくるめて ひとつの空気 声をかけてほしくないときも 饒舌に話したいときも いつものように ふりむくだけで ただ そばにいる ひとつの家族 ただ そこにある ひとつのふるさと * 挿一輪 * あらためて観察するのも、 また新鮮な気持ちになるのかもしれません。 家族というもの。 一緒に住んでいるときも、 久しぶりに帰ってきたときも。 甘えることも、 わがまますることも、 けんかすることも、 許すことも。 なぜこの家族にうまれたのか、 なぜこの家族が集まったのか。 若いころに、真剣に考えるのも、 年齢を重ねて、ぼーっと見ているのも、 その時々の意味があるのかもしれません。 日常はそれどころではなく、 目が回るくらいにいそがしいですね。 だからこそ、 たまには、 家族の空気のまわりを、 巡ってみるのもいいのかもしれません。 ここが、 あなたの家族の場所。 ここが、 そのままの小さなふるさと。 <第0396号 2008年3月16日(日)> パン屋さんにて ピーターラビットが ならんで待っている 陽だまり色の パン屋さん 店の中からふと見ると ガラスにうつった ピーターラビットに 重なるように ガラスごしに まっかなほっぺが おもちのように くっついている ほらほらお口がひらく こ・ん・に・ち・は 「たったいま焼きたてです」 トレーに盛られたパンの匂いが 店の外までふくらんで 赤ちゃんをだっこした お母さんが追いついた ちっさなお姉ちゃんが お店のドアを押して 明るい日ざしのまんなかで こ・ん・に・ち・は * 挿一輪 * すっかり春の日ざしが満ちてきました。 住宅街にある小さなお店にも、 どこか活気がでてきたようです。 特に食べ物やさんは匂いの広がりかたまで、 あたたかくなるとちがうようです。 さそわれて思わずドアを押したくなります。 数年前に、 そこにもここにも、 パン屋さんがお店を開いたときがありました。 繁盛するお店、いつのまにか閉まったお店、 場所の違いでしょうか、 雰囲気やパンのおいしさの違いでしょうか、 お店の数も落ち着いてきたようです。 みんなに人気のパン屋さんには、 陽だまりとおいしい匂いが似合います。 そのほかに、 意外と引き寄せられるのは、 飾られている愛くるしいぬいぐるみや人形たち。 小さな子どもが、 思わずお母さんの手を引っ張ってドアを押すのは、 そんな理由からかもしれませんね。 だれかが目をとめることなく、 通り過ぎてゆく小さなスタッフたちも、 その子にとっては大の仲良しに違いありません。 大人になっても気持ちは変わらないと思います。 いえいえ、なにもぬいぐるみとお話をしてくださいと、 言っているのではありません。 ふと目をとめれば、 春の道筋にはたくさんの小さな「ステキ」が、 待っているということです。 ぜひ、あなただけの、 春の「ステキ」を見つけてくださいね。 <第0395号 2008年3月9日(日)> コンペイトウ コンペイトウ 角を出せ つんつんつんと 角を出せ まんまる円満も いいけれど がまんしてたら ひびが入る ここでもどこでも 角を出せ 思ったところで 角を出せ けれどもポンと ひとくちに 小さな口に入れたなら 笑顔の光に入れたなら すっと角が溶けるように すっと甘みが広がるように コンペイトウ 丸くなれ 意地を張らずに 丸くなれ * 挿一輪 * 怒りは突然やってきます。 もしかしたら、少しずつ積み重なった不満が、 ある地点を超えた瞬間に、 一気に吹きこぼれたのかもしれません。 体中から角が出てきたようになります。 いかん、いかん、怒ってはいけないと、 自制することができたらいいのですが、 あまり怒りをためこむと、 自分自身が爆発してしまいます。 そうならない前に、 怒りのエネルギーは小出しにしておいた方が、 体にもこころにもいいのかもしれません。 そう、コンペイトウの角のように。 けれども、つんつんした角は、 そのままにしておくわけにはいきません。 しばらく時間がたって落ち着いて、 しまわなければならないときに、 張ってしまった意地のように 角の引っ込めかたがわかりません。 そんなときには鏡に自分の姿を映して、 そんなときには鏡に自分の角を映して、 クスリと笑ってしまいませんか。 それは無理だというのなら、 いっそコンペイトウのように、 口の中に放りこんで、 角を溶かしてしまいましょう。 ちょっと苦いかもしれませんが、 ゆっくり時間をかけて溶かしていれば、 きっと甘みがでてきますから。 「いろはにこんぺいとう」というしりとりうたを、 もぐもぐもぐと唱えてゆくのも、 角を溶かすための、 ユーモラスなおまじないになるかもしれませんね。 <第0394号 2008年3月2日(日)> ひなまつり 春がくるのを いちばん 待ちこがれている 綿のような 雪を見たこともあった ひすい玉のような 水滴を見たこともあった 閉じることのない まっすぐなひとみは じっとのぞきこむ 大人びてゆく顔が 小さなゆりかごのなかから じっと見つめていた顔と おなじこころの香りだと どんなときでも知っている ことしは 陽だまりのゆらめく反射が ふすま一枚へだてて おだやかにすべりこんでくる あたらしい春は 次の春へのみちしるべ おひなさまは つみかさねた春を ひとつひとつ しずかにみつめなおしている * 挿一輪 * 3月3日は桃の節句、ひなまつりです。 まだ春が見え隠れするなかで、 一年に一度飾られるおひなさま。 大きくなっても、 飾られたおひなさまを見ると、 生まれて間もないころのことまでが、 つい昨日のように思い出されます。 おひなさまを箱から出して、 並べて飾るころは、 だれもが春を待ちこがれているころです。 でもいちばん春を想っているのは、 おひなさま自身かもしれませんね。 まだ雪景色かもしれませんし、 冷たい氷雨が降っているかもしれません。 桃の花は飾られても、 花盛りを見ることもなく、 またしまわれてしまうのは、 可愛そうな気がしてきます。 でもそのぶん、 きっと春を想うのとおなじくらい、 目の前に並ぶ変わらない瞳のしあわせを、 想い続けていることでしょう。 おひなさまの眠りと入れ替わりに、 ほんとうの春が、 その想いをバトンタッチで、 かなえてくれることでしょう。 |
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