2008年5月のこびん

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<第0406号 2008年5月25日(日)>

       オフシーズンの

         オフシーズンの
         サンタクロースは
         頬杖ついて考えた
         
         まだ半年もあるというのに
         自分の名前が呼ばれると
         思わず袋に手が伸びる
         
         こんなに慕われるのは
         うれしいけれど
         どこかしっくりうなづけない
         
         オフシーズンの
         サンタクロースは
         腕組みをして考えた
         
         もしもおもちゃやぬいぐるみ
         ステキな箱の贈りもの
         袋のなかから出さなければ
         
         サンタクロースの名前すら
         だれも覚えてくれはしない
         いることさえも信じない
         
         オフシーズンの
         サンタクロースは
         ひっくり返って考えた
         
         形のあるものだけが
         贈りものではないはずだ
         たとえば無色透明やさしさだって
         
         自分がそっと姿を消しても
         みんなのこころのサンタクロース
         いのちの数だけ笑うはず
         
         オフシーズンの
         サンタクロースは
         むっくり起きて考えた
         
         サンタクロースはいるんだよ
         ここにもそこにもあなたにも
         たとえ形に見えなくても
         
         こうして生きて話しあって
         けんかして許して理解して
         笑って泣いて抱きしめて
         
         オフシーズンの
         サンタクロースは
         にこりと笑って空をみた


   * 挿一輪 *

 サンタさんは、いまなにをしているのかな?
 
 ふとそんなことを思いました。
 
 季節といえばこれから夏。
 クリスマスまではまだ半年以上あるというのに、
 身近でサンタクロースの話題を続けて耳にしました。
 
 小さな子どもさんのなかには、
 サンタクロースを信じている子もいると思いますし、
 実は、お父さんだとわかっていても、
 知らないふりをするやさしい子もいるかもしれません。
 
 サンタクロースも子どもは大好きにちがいありません。
 大きな袋にたくさんの贈りものを入れて、
 配ってゆくのは子どもたちがほとんどですから。
 
 でも、子どもたちのほしいものが、
 だんだんとエスカレートしてゆくと、
 きっと首をかしげて困ってしまうかもしれませんね。
 
 ほんとうに贈りたいものは
 実は形になっていないものなのかもしれません。
 たとえば気遣いのこころとか、
 笑顔をつくる源だとか。
 
 形のないものを贈られはじめてその大切さがわかるとき、
 子どもたちは「大人」という名の意味が、
 わかってくるのかもしれませんね。
 
 シーズンオフのサンタクロースを悩ませないように、
 ひとりひとりの大人たちが、
 サンタクロースのほんとうの気持ちを、
 伝えていってあげたいですね。


<第0405号 2008年5月18日(日)>

       必要

         もし
         わたしがいなくても
         今日という日はやってきた
         
         もし
         わたしがいなくても
         南の風は吹いてきた
         
         もし
         わたしがいなくても
         角の家のバラは咲き
         
         もし
         わたしがいなくても
         笑い声はひびいていた
         
         それでも
         わたしはここにいる
         
         五月の空の下で
         名も知らぬ大切なものを
         探しつづける子どものように
         
         かけがえのない宝物は
         わたしがここにいることを
         かたときも忘れない


   * 挿一輪 *

 生きがいとはなんでしょうか。
 
 好きなことをやること。
 仕事をやりとげること。
 ゆめをかなえること。
 
 そして、
 だれかに必要とされること。
 
 はっきりと形に見える場合もあり、
 ただそばにいるだけで、
 十分にその役割をはたしていることもあります。
 
 
 自分を必要とするだれかは、
 かならずいます。
 
 いないと思うのは、
 気がつかないだけなのですから。


<第0404号 2008年5月11日(日)>

       窓ガラス

         ガラスのむこうを
         あなたが歩く
         緑の光を
         まぶしそうに顔にうけて
         
         ガラスのこちらには
         わたしが立つ
         緑の反射を
         まばゆそうに顔にうけて
         
         気がつくことなく
         立ち止まることもなく
         あなたは
         わたしのからだをすり抜ける
         
         この一枚の
         視界を邪魔しないように
         便利に作られたガラスが
         
         こんな近くで
         すれ違ってもわからない
         魔法の舞台になるなんて
         
         つかまえようと
         突き出した手に
         あらがうように伸びるのも
         もうひとつのわたしの手
         
         それがもしも
         あなたのあたたかな手ならば
         映画のワンシーンのように
         時間までも止まったのに


   * 挿一輪 *

 窓ガラスは不思議なものです。
 
 まっすぐ見るぶんには、
 その存在すら忘れるほどクリアーなのですが、
 少し角度を変えると、
 自分の側の世界が映りこんできます。
 
 向こう側とこちら側の両方を、
 一度に見ることができる世界です。
 
 
 本来はなにも視界をさえぎらずに見られるように、
 考えられ作られたガラスなのに、
 反射のいたずらで合成した二つの世界を体験できます。
 
 こころのなかも、
 こんなガラス窓があるのでしょうか。
 
 外の世界を見ていながら、
 そこにはいつも自分のなかの世界が重ねられて、
 知らず知らずのうちに、
 二重の映像を見ているのかもしれません。
 
 
 からだのなかを、
 だれかが通り抜けてゆく、
 まるでマジックのようなしかけに、
 ふと哀しくなることがあります。
 
 ふれあうことのできる、
 人と人との手のあたたかさが、
 いちばんほっとするのかもしれませんね。


<第0403号 2008年5月4日(日)>

       こいのぼり

         海の見える
         屋根のうえを
         軽やかに泳ぐ
         
         白い雲にふちどられた
         みわたすかぎりの
         青空のカンバス
         
         風の透明のことばを
         側線でうけこたえ
         やわらかに泳ぐ
         
         はるかかなた
         海と空の境には
         一本の線が引かれ
         
         終点だと思い込んだ
         その一文字から
         あらわれる光の船
         
         水平線のむこうに
         いったいなにが
         待っているのだろうか
         
         くるりくるりと
         真新しいからだを
         回転させて
         
         こいのぼりは
         からだの倍もある
         明日の風をはらんだ


   * 挿一輪 *

 到達点は新たな出発点です。
 そこで終わってしまうわけではありません。
 
 ひとつの区切りにはなりますが、
 そこから先も道は続いています。
 
 陸地から見える水平線は、
 そこで海が終わっているのではなく、
 ただそこまでしか見えないというだけです。
 
 ためしに船に乗って水平線を目指せば、
 いつまでたっても距離は変わりませんし、
 もちろん水平線まで行くことはできません。
 
 
 自分の見える範囲が終わりだと考えて、
 その先がないと失望することがあります。
 
 でも水平線を目指すように、
 ためしにぎりぎりのところまで、
 いってみたらどうでしょうか。
 
 それが無理というのなら、
 こいのぼりの泳ぐような、
 高い位置まで視点を上げれば、
 少しでも遠くまで見通せます。
 
 
 あきらめてため息をついたり、
 まして勝手に終わりを決め込んで、
 歩くことを放棄してしまうのは、
 ほんとうにもったいないことです。
 
 終わりは視界の果てより、
 自分のなかに作ってしまいがちです。
 けれど実際は思わぬほど遠く、
 まだまだ先にあるものではないのでしょうか。
 
 あそこが水平線か、
 もっと先にはなにがあるのだろうか、
 ほんものの魚になってでも見に行こう。
 
 そう思っているこいのぼりのように、
 さあ顔を上げて進んでみませんか。
 
 せっかくの、
 たったひとつの、
 いのちなのですから。



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