2008年7月のこびん

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<第0415号 2008年7月27日(日)>

       みつめる

         あなたに
         みつめられていると
         それだけで
         ほっとする
         
         あなたに
         みつめられていると
         それだけで
         あたたまる
         
         あなたに
         みつめられていると
         それだけで
         わがままになる
         
         あなたに
         みつめられていると
         それだけで
         こえようとする
         
         あなたに
         みつめられていると
         それだけで
         いのちをたしかめる


   * 挿一輪 *

 お母さんがこどもをじっとみつめるように、
 みつめることはとても大切なことです。
 
 そばにいても遠くにいても、
 みつめられることだけで、
 ことばがなくても気持ちがゆったりします。
 
 時にはわがままになり、
 時には多少のリスクをおかしても、
 挑戦しようと試みます。
 
 それ以上に、
 みつめられている自分という存在を、
 まなざしを通して確かめることができます。
 
 お互いの会話も、
 実は話している部分よりも、
 会話のあいだの沈黙の時間のみつめあいが、
 とても大切なコミュニケーションにつながります。
 
 詩や小説の、行間を読むということは、
 作者の見ているものを、みつめることです。
 
 情報が飛び交い、便利になった現代では、
 忙しいためなのか、
 みつめることが少なくなったように思います。
 
 だれかに、いえ、もっと大きな力に、
 みつめられ守られているのではないのでしょうか。
 
 たとえば、お母さんのまなざしを通してでも、
 そのことを実感できれば、
 もう少し、いまの世の中が落ち着くように思えるのですが。
 
 あなたをみつめるもの、
 そして、
 あなたがみつめるもの、
 もういちど考えてみませんか。


<第0414号 2008年7月20日(日)>

       はじける

         はじける
         空が
         見たくて
         ソーダ水を
         入れた
         
         透明な
         コップを
         片手一杯に
         伸ばして
         透かす
         
         空は
         頭上でも
         昨日を
         ひきずった
         わたしのなかでも
         
         シュワーッ
         シュシュ
         シュワーッ
         音と光が
         めまいグルグル
         
         いたずらだって
         気まぐれだって
         ジッケンだって
         はじければ
         いいじゃん
         
         笑顔が
         いまが
         あわが
         真昼のドラゴン
         それっ一気


   * 挿一輪 *

 ラムネ、ソーダ水、サイダー。
 分かります、育った時代が。
 
 缶や瓶で飲むのもいいですけれど、
 透明なコップに入れて音と匂いを楽しみたいです。
 
 泡のはねるようすを飽きもせずに眺めていて、
 すこし炭酸が飛んでしまったような、
 汗のかいたコップ一杯の冷たい液体を、
 夏の光が満ちあふれた空の下で流しこみます。
 
 
 子どものころは、
 時間なんて異次元の産物だと思っていたくらいで、
 真っ暗になるまで、
 走りまわっていたのが当たり前でした。
 
 なにかを見つけると、
 それこそはじけるように一直線に飛んでいったあのころは、
 炭酸のはじける音や光に似て、
 一瞬の輝きだったのかもしれません。
 
 でも、
 その一瞬は決して忘れることはなく、
 いつまでも五感のどこかに、
 埋み火のようになって残っています。
 
 
 あなたも試しに遊んでみませんか。
 
 透明なコップ越しに、
 炭酸のはねるようすを、
 夏空をバックに眺めてみませんか。
 
 もう一度時間を異次元に押し込んで。


<第0413号 2008年7月13日(日)>

       形

         切り抜いてみた
         自分を
         
         真白な紙に
         輪郭も描かず
         いきなり
         
         まるで
         切抜きの師匠のように
         すらすらと
         
         それにしても
         人間離れしているな
         この形
         
         電柱にからんで
         塀にからんで
         勝手しほうだいの
         ツタに似ているな
         
         切り抜いたあとの
         ぬけがらを通して
         むんっとした
         夏待ちの空に
         
         叫んでみたくなった
         自分の形は
         なんだっけ


   * 挿一輪 *

 切り絵をやったことがありますか。
 
 最近はなくても、
 子どもの頃ならだれでも一度はあると思います。
 
 時々テレビの番組で、
 神業のような切抜きをやる師匠に比べれば、
 ほんとうに拙いものですが、
 それでも形を切り抜いて遊んでいると、
 楽しくて時間を忘れて熱中したのを思い出します。
 
 
 では久しぶりに切り絵をしてみましょうか。
 お題は「自分の形」
 
 むずかしいですね。
 人間の形を切り抜けばいいのでしょうか。
 不器用な私は下書きをしてそれに沿って切っても、
 時に人間離れした形になってしまいます。
 
 動物のような植物のような。
 不思議な形に苦笑することもしばしばです。
 
 
 ところで、
 切り抜いたあとの紙が意外に楽しいのはご存知ですか。
 ぬけがらのような紙を拾って、
 そこから見える風景、
 意外とおもしろい遊びになります。
 
 
 それにしても自分の形。
 輪郭はわかっても、
 ほんとうの自分の形はなんでしょうか。
 
 こころにかたちがあるのなら、
 こんどはその形を切り抜いてみたくなります。
 でもその前に、
 まず形をしっかりと把握する必要がありそうです。
 
 あなたの形は、
 いったいどんな形なのでしょうか。


<第0412号 2008年7月6日(日)>

       ちがい

         満たそうとしても
         ぽっかりとあいた
         大きな穴は
         次から次へと
         のみこんでしまう
         
         たとえば
         願いのように
         
         泉のように
         穴のそこから
         ゆっくりと
         満ちてくるものは
         音もなくあふれて
         決して
         枯れることがない
         
         たとえば
         祈りのように


   * 挿一輪 *

 ふとみつけてしまったこころの穴。
 
 ぽっかりと開いた穴を埋めようとして、
 なにかをはじめてみてもしっくりいきません。
 
 夢中になったつもりでもどこかに覚めた自分がいて、
 やっぱりどこか違っているとつぶやきます。
 
 では別のなにかならばいいのでしょうか。
 外から持ってくる限り、
 次々と変えていっても満たされることはありません。
 
 それほど穴は深く大きいのでしょうか。
 ふさぐ方法はないのでしょうか。
 
 ふさぎたいとなにかを求めて願いをする限り、
 願いは穴の大きさに比例してエスカレートしてゆきます。
 
 ではこの穴を満たす方法はないのでしょうか。
 
 たったひとつだけあります。
 穴のそこから、
 泉が湧き出すように無私の祈りを持つことです。
 
 外から詰めるのではなく、
 内から満ちあふれさせることです。
 自分を信じて静かに続けることです。
 
 一度湧き出してきた泉は、
 地下の水脈がある限り枯れることがありません。
 
 生きているということは、
 いのちという泉がこんこんと湧き続けることですから。



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