2008年8月のこびん

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<第0420号 2008年8月31日(日)>

       夏の名残

         空の
         大きな背中に
         いたわるように
         風が吹き
         
         海の
         ふくよかな胸に
         いつくしむように
         風が吹き
         
         顔も見たくないけんか友だちの
         帰ってしまう日の
         寂しさ
         
         四角い枠にはめこまれた
         思い出という名の光画
         一枚二枚三枚
         
         開いたままにして
         忘れたふりをして
         時間をもどすおまじない
         
         光の
         影とのやわらかな
         境界線に
         風が吹き
         
         あとから
         あとから
         とどまることなく
         風が吹き


   * 挿一輪 *

 季節の変わり目には風が吹きます。
 
 特別な風が吹くわけではありませんが、
 すこし昨日とは違った風が吹いていると感じます。
 
 匂いとか温度とか湿り気とか、
 ことばで表現するのがむずかしいくらい微妙な変化です。
 
 どこか昨日とちがう、
 あれっ、と立ち止まるほどではないにしろ、
 その雰囲気はわかります。
 
 五感のどこかがその違いをとらえて、
 こころに送りこんでくるのかもしれません。
 
 小さな変化を見逃さないのは、
 生まれながらの生命の直感なのかもしれません。
 
 
 なにかを感じて立ち止まることは、
 季節の変わり目だけだとは限りません。
 
 考えてみれば、
 生きているあいだは、
 とどまることなく変化があるのですから、
 ピン、と感受性の線を張っていれば、
 いつでも教えてくれることでしょう。
 
 それが、
 あなたにとって必要か必要ではないか。
 その基準はあなた自身のこころのなかにあります。
 
 季節の変わり目の風を、
 いち早く捉えることが、
 だれよりも早い人にとっては、
 風の吹かない日など、
 考えられないのかもしれませんね。


<第0419号 2008年8月24日(日)>

       こころ

         こころ の
         ここ が
         ころ っと
         ころがり
         どこまで
         ゆくのか
         ころがり
         だした
         
         こころ の
         ここ が
         とまった
         ころ に
         ゆっくり
         ならんで
         みたかった
         けれど
         
         こころ の
         ここ は
         とっても
         はやく
         めをはなしたら
         どこかへきえた
         
         こころ の
         ここ を
         さがしあぐねて
         つかれてないて
         しゃがみこんだら
         とんとん
         せなか
         たたいて
         ここ ろ


   * 挿一輪 *

 こころって、ここにいますか?
 
 あなたのものですから、
 きっとあなたのなかにいるはずです。
 
 でも気がついたら、
 いなかったことはありませんか?
 
 こころはまあるくころころしています。
 わずかなかたむきでころがります。
 かたむきが大きくなると、
 ころがりだして外に出てしまいます。
 
 ころがりだすと早いの何のって。
 すぐに追いかけないと、
 目を離したすきに見失ってしまいます。
 
 いつもは一緒にいすぎて、
 存在すら忘れていたこころが、
 もう少し大切にしてと、
 ころがりだしたのかもしれません。
 
 いなくなったときのぽっかりとした大きな穴。
 いつも支えてくれたものの大きさそのものです。
 
 早くさがさなくては。
 でも、あなたのこころは、
 あなたがいちばんいごこちがいいはずです。
 
 背中合わせに、
 あなたの後ろでじっと待っているかもしれません。
 声をかけてまた一緒に行きましょう。
 あなたにとっていちばん大切な宝物なのですから。


<第0418号 2008年8月17日(日)>

       宝物

         トンボの羽が
         キラキラと
         朝陽のなかを
         降りてくる
         
         だれかが
         小さな雲母のかけらを
         放り上げて
         受け取るように
         
         くりかえし
         くりかえし
         この時を
         いつくしみながら
         
         トンボの羽が
         キラキラと
         朝陽のなかを
         降りてくる
         
         一瞬で消えてしまう
         光との出会い
         たったそれだけの
         できごとだけれど
         
         何年先も
         何十年先も
         ぼくには
         けっして忘れない宝物


   * 挿一輪 *

 朝陽のなかのきらめき。
 ガラスが光っているのかと思いました。
 
 よく見ると透きとおる羽。
 トンボが、朝陽のなかを横切っていきます。
 
 行ったかと思うと戻り、
 上がったり下がったり、
 そのたびに羽の反射がキラキラと輝きます。
 
 思わず足を止めて見入ってしまいました。
 
 
 光は一瞬で通りすぎてしまいます。
 毎日の小さなできごとも同じです。
 その場で気に留めても、
 いつのまにか忘れてしまうことが多いものです。
 
 でも、
 このトンボの羽の光との出会いのように、
 そのきらめきが、
 いつまでもいつまでも忘れずに残ることがあります。
 
 
 大切な宝物は、
 けっして形に残しておくものだけとは限りません。
 
 どんなときでも持ってゆける、
 こころのなかの宝物の数で、
 案外、人の豊かさやしあわせの度合いは、
 変わってくるのかもしれません。
 
 ところで、
 あなたにとっての、
 形にならない大切な宝物、
 いくつ数えることができるでしょうか?


<第0417号 2008年8月10日(日)>

       はさむ

         しおりを
         はさむ
         
         読みかけのページに
         はさむ
         
         生きていて
         なにかに呼ばれて
         ふと目を上げた時間に
         はさむ
         
         良い知らせなのだろうか
         困った仕打ちなのだろうか
         そんなことに
         おかまいなく
         はさまれたしおりは
         じっと待っている
         
         しおりを
         はさむ
         
         帰ってきたらまたはじめるよという
         合図をこめて
         はさむ
         
         たとえ
         そのままずっと止まっていても
         風がページを繰ってしまっても
         しばらく忘れてしまっていても
         
         いつかかならず
         ここに戻ってくるよと
         しおりを
         はさむ


   * 挿一輪 *

 本のページにはさむ、しおり。
 ここまで読みましたよ、というしるしです。
 
 ちょっと一休み、というしるしでもあり、
 今日はここまで、という切りにもなります。
 
 本だけではなくても、
 生きている毎日の自分のページに、
 メモをはさむように、
 しおりをはさむことがあります。
 
 ちょっと休むけれど、
 ちょっと寄り道するけれど、
 また戻ってくるからね、と。
 
 だれもが、
 そんな他のだれにも気づかれない、
 人生のしおりを持っているように思います。
 
 はさんだしおりは、
 いつまでも待っています。
 ここだよ、
 ここからだよ、と。
 
 思い出したときからでもかまいません、
 なつかしいしおりに、
 会いに戻りたいものです。
 
 そして、
 ああ、ここからだったね、と、
 また自分の大切な時間を、
 ゆっくりとていねいに巡っていければ、
 ステキですね。


<第0416号 2008年8月3日(日)>

       遠近法

         入道雲の
         くずれんばかりの
         ビッグウェーブ
         
         涼しげに
         波乗りをする
         トンボの群れ
         
         わたしだって
         プロ顔負けの
         サーファーの一人
         
         CGなんて使わなくても
         天の海で
         思いっきり楽しめる


   * 挿一輪 *

 種明かしをすれば、離れたところから見ているだけ。
 なあんだ、遠近法か。
 
 目の錯覚を利用して、
 いろいろと楽しい遊びができます。
 
 大して泳ぐこともできないのに、
 空の大きな波で、
 サーフィンが自由自在にできます。
 
 これもみな遠近法のおかげです。
 
 視点をすこし変えただけで、
 ものの見え方は大きく変わってきます。
 
 目の前のできごとは同じなのに、
 その印象が違うだけで、
 不可能が可能になることもあります。
 
 すいすいと入道雲の縁を、
 飛んでいるように見えるトンボたち。
 でも、
 彼らは遥か高い雲にまで飛んでは行けません。
 
 あなたもちょっと視点を変えて、、
 気持ちの良さそうな、
 空のサーフィンを楽しんでみませんか。



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