<第0437号 2008年12月28日(日)> 鏡 いちまいの 鏡 そのままの姿を映す 鏡 見た目はちがっても そのままを映す 鏡 ふと出会って 立ち止まったもの 呼び止められたもの だれが落としたのか ピンクの手袋 霜に真白に化粧された バラの花 鋭くななめに切り裂く 一本の影 あなたは知らない 立ち止まった理由を あなたは知らない 呼び止められたことすらも その声が あなたのなかから ふいにかけられたことも いちまいの 鏡 そのままの姿を映す 鏡 あなた自身の 鏡 * 挿一輪 * 歩いていてふと立ち止まることがあります。 目の前の小さな光景に、 何の気なしに立ち止まることがあります。 目的があるわけでも、 明確な理由があるからでもありません。 別に珍しいものでも高価な落し物でもありません。 だれかが声をかけたわけでもなく、 あなたが呼び止めたわけでもなく。 いえ、 だれかが呼び止めたに違いありません。 もしかしたなら、 そのだれかは、 あなた自身の中からの声かもしれません。 あなたの好きなもの、興味あるもの、 不安にかられるもの、記憶の底に埋もれているもの。 鏡を覗いたときのことを思い出してみてください。 そこに映っている姿はあなた自身です。 決して違った姿ではありません。 でも、 中には違った姿を映す鏡があるのかもしれません。 ただし、鏡ですから、 そのままのものを映します。 それはこころの鏡かもしれません。 思っていること、 今のあなた自身のこころをそのまま映している鏡。 立ち止まった理由は、 呼び止めた理由は、 外の世界の中に、 あなた自身を見つけたからにちがいありません。 ふと立ち止まったとき、 ふと気になる光景に巡りあったとき、 しばらくたたずんでその理由を考えてみたり、 あなたのこころの声に耳をかたむけてみたなら、 新しい発見があるかもしれませんね。 <第0436号 2008年12月21日(日)> 雨あがり 雨があがって からっぽの朝がはじまった 雨があがって 音たちは 夜勤明けの眠りについた あなたはただひとり すこし高めの靴音を 水滴をはじくように ひびかせてゆく どんなに昨夜の夢が どんなに昨夜の棘が 体の片すみに埋まっていようとも うつむこうと 顔を上げて歩こうと この朝は こうして歩きつづける限り あなたにとって未知のものだ こころという 輝く幻の恒星を しっかりといのちの中心に抱いて 葉を落とした樹のてっぺんで 一羽の鳥が 呼応するように 鳴きはじめる * 挿一輪 * 雨あがりの朝は、すべてが新鮮に思えます。 ふだん見なれた景色も、 歩きなれた道でさえも、 どこかいつもと違ったものに見えてきます。 昨日起こったできごとが、 どこか気になって良く眠れなかったとしても、 気持ちのいい太陽の光と青空が、 心配事を体のなかから追い出してくれそうです。 音の響きも、いつもと違います。 小さな音がどこまでも響き、 高い空に吸い込まれてゆくようです。 こんな雨あがりの空気のような気持ちを、 こころのなかにいつも持っていたなら、 どんなに良いことかと思うのですが、 様々なストレスに煩わされて、 すぐに曇り空になってしまいます。 どんなに雨が降ろうとも、 厚い雲の上には青空があり輝く太陽があります。 人間は小さな宇宙に例えられることがありますが、 あなたのこころのなかにも、 どこまでも続く空と輝く恒星があることでしょう。 悲しみや心配事の雲の上には、 雨あがりの空があると信じて、 しっかりと前をむいて歩きたいですね。 <第0435号 2008年12月14日(日)> 銭湯 ふるさと色のバックライト 使いこまれたガラス戸 陽に焼けたいつもの のれん 前を通るたびに 急ぐ足がゆっくりに ガラリと戸があいて 風呂上りの人の影 湯気と香りとなつかしさと でも今日は暗い 休みではないはずなのに セロテープで止めた白い紙 几帳面な字で 「長いあいだありがとうございました」 もうやわらかな光が もれることも ガラス戸があいて 香りがただようことも ない 呼ばれたように振り返ると 目にしみるような 哀しい灯火 今日ひらいたばかりの まっ白なさざんか ひとつ * 挿一輪 * また銭湯が営業を中止しました。 これで家の近くの銭湯はなくなりました。 最近は行ったことはありませんでしたが、 こうしてひとつひとつ消えてゆくのは、 とてもさびしい思いがします。 仕事からの帰りなどに、 銭湯の前を通るのが好きでした。 曇りガラスの引き戸からもれる、 あたたかそうな光や、 たまたま銭湯帰りの人が出てきたときの、 石鹸やシャンプーの香り。 銭湯はそこにあるだけで、 不思議な安心感となつかしさを感じる、 まるでふるさとのような空間なのかもしれません。 懐古趣味ではありませんが、 見慣れたものが消えてゆくのは寂しいものです。 たとえふだん利用しなくても、 なにかのときにそこにあるということだけで、 ほっとするものは必要な気がします。 久しぶりにふるさとに帰ったら、 見慣れたものがなくなってしまった、 喪失感のようなものでしょうか。 毎日の忙しさのなかで忘れがちですが、 じぶんにとっての「身近なふるさと」は何なのか、 こころのすみに思いとめておくことは、 生きてゆくうえで必要なのかもしれませんね。 <第0434号 2008年12月7日(日)> 地図 まっしろい紙のまんなかに まる ここがぼくの家 次に書くのは 君の場所 ほし 線を引き始めようか ゆっくりと ぐにゃぐにゃと よりみちして ここには空がない 風もない 呼びかける声もない だから 色を塗っても ラメをふりかけても ビーズをはりつけてもいい まわりに夢中で 忘れていたけど よりみち線が いつのまにかなくなって まる と ほし よりそっている * 挿一輪 * 地図を描くというのは意外とむずかしいものです。 あらかじめできた地図を見せられて、 行き方を説明するのはできても、 さあ白紙の上に地図を描いてください、となると、 考えてしまいます。 現在位置と目的物の両方を、 わかりやすく手際よく書くのには、 まわりの地形全体が頭に入っていないとできません。 紙の半分も使わずに終わったり、 足りなくなって紙の裏に回ったり、 途中で新しい目標物に気がついて、 かえって分かりにくくなったり、 住んでいる町の地図でさえおぼつかなくなります。 まして、 うろ覚えの土地の地図を描くときは、 妖しげな線が交差するだけの、 抽象画のようになって、自分まで迷い込んでしまいそうです。 ふたりのあいだの地図を描くのは、 現在地と目的地を描く以上にむずかしくなります。 どちらも現在地でどちらも目的地。 道はあっちにいったりこっちに迷ったり、 途中の目標物も建設中だったりしますから。 でも、 地図を描くのを楽しむつもりでいると、 けっこうその時間が大切に思えるようになります。 いつまでという約束があるわけではなく、 いつかふたりだけの地図が完成すればいいのですから。 気がついたら、 現在地と目的地は実は隣りどおしだった、 そんなこともあるかもしれませんね。 |
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