<第0459号 2009年5月31日(日)> あなたに 22 わからなくなったら そっと裏をのぞいてごらん 荷物が多くなったら そっと置いて離れてごらん みんな好きなんだ かくれんぼが でも見つけられるのは じっとみつめるあの子だけ まぶしいものや はっきりしたものに ぴたりと寄り添うもの みいつけたって 声をかけてごらん なつかしい姿が見えるから * 挿一輪 * かくれんぼは子どもが大好きな遊びです。 鬼になって捜すのも楽しいのですが、 鬼のやって来ない場所を探して隠れるのも楽しみです。 ふだん入りこまないような路地の奥や、 家と垣根のあいだの細い空間を、 まるで猫や小さな昆虫になったように通ってゆくのは、 ぞくぞくするような冒険の旅でした。 そこで初めて出会う世界は、 こんなものがあったのかと驚きの連続で、 つかの間の異空間はすぐそばに待っていると知りました。 年を重ねて大人になって、 そんな体験もいつのまにか忘れ去られてしまいますが、 何の気なしにふと立ち止まるように出会うことがあります。 毎日に変化がないとか、 もう楽しいことなどないと思いこんでいるのは、 きっと見えるものしか目にとめてない証拠です。 ぞくぞくするような楽しい世界は、 毎日のあなたの歩く足の作る小さな影の、 その後にきっと潜むようにあるのに違いありません。 いつでもできますよ、やってみませんか、かくれんぼ。 <第0458号 2009年5月24日(日)> あなたに 21 旅をしていると思う 部屋のまんなかに ただ座っているだけでも 旅をしていると思う 生まれてからずっと といってもわずかな時間 静かにゆっくりと 思いつくままの行き先に どんなあなた自身にも どんな思い出のなかでも たったひとりでいても そして帰るからこそ きっと旅なのだろう その扉をあける瞬間まで * 挿一輪 * 一生を旅にたとえることがあります。 この世に生を受けるときが旅の出発点であるのなら、 その生を終わるときは旅から帰る終点なのかもしれません。 実際にどこか遠くに旅に行くこともできますが、 ふだん家の部屋にいるときや、 近所にでかけているときも小さな旅は体験できます。 移動するのは現在の時間だけではなく、 昔の思い出や、もう今はすっかり変わっているふるさとや、 なつかしいあのころの自分自身のところにも訪ねることでしょう。 生きていることは、考えてみると、 毎日がそんな旅の積み重ねであり集大成なのでしょう。 だからこそ真の意味で日常が大切なのだと思います。 それにしても、旅に出たらいつかは帰ります。 いつまでも旅をしていたいとか、 もう少しだけ見ておきたいところがあるとか、 それぞれに思いはあるのでしょうが、かならずいつか帰ります。 できることなら、旅への感謝とやさしい気持ちをたずさえて、 ただいまと生家の扉を開けてみたいと思っています。 <第0457号 2009年5月17日(日)> あなたに 20 からだいっぱいに 生きてみよう こころいっぱいに 生きてみよう 良いことも 悪いことも 受け入れられることも 反発することも あなたいっぱいに はちきれんばかりに 生きてみよう 手加減しようなんて とっておこうなんて いまのいのちに失礼だから * 挿一輪 * 新緑の季節です。 つい1ヶ月ほど前まで何もなかった殺風景な空き地にも、 気がつけば地面を覆うように緑一面の草たちが競っています。 樹々は空へと背伸びをはじめ、蔦は体ごと伸びをはじめます。 光と水を貪欲に吸収してだれにも遠慮せずに、 めまいがするほどの匂いとまぶしさで初夏はかけてゆきます。 虫たちや鳥たちも決して負けはしません。 いのちあるものの営みは時間を惜しむように、 自然なふりをしながら懸命にいまを生き抜いています。 晴れ上がった五月の空を見上げていると、 生きているな、と実感することがあります。 小さないのちたちからみると、 そんな時間も、もったいないよという声も聞こえそうですが、 複雑なシステムを作り上げてしまった人間の性で、 このようなひとつ余計な過程が必要なのかもしれません。 でも生きているといういのちのレベルでは、 形や営みこそ違っても本質的には何も変わりません。 すこし湿った風を受けながら大きく伸びをして、 今日一日をいのちのままに生きてみようと思います。 <第0456号 2009年5月10日(日)> あなたに 19 どんなに 自分のために 生きようとしても 考えてみると どこかで だれかのために なっている 生き方をしている なぜなら あなた自身の たった今のいのちが あなたのところにひきつがれ だれかのところに 伝えられるのだから * 挿一輪 * いのちは必ず何かの役に立っています。 だれかのためにと意識するしないに関わらずです。 そんなことはない、自分は自分のために生きている、 だれの役にも立つことはやっていない、 という人もいるでしょうし、 逆に、自分のことでせいいっぱいで、 役に立つなどおこがましいと謙遜する人もいるはずです。 目に見える効果があれば、 自分の役割が明確になって落ち着くのでしょうが、 いのちの世界の関わりは、 どちらかというと見えないことが多いのではないでしょうか。 日々、日常を生きている人たちにとって、 仕事や周りとのやりとりのなかで、 いつのまにか役に立っているのに気がつかないだけです。 ひとつひとつのいのちが毎日をしっかりと生き抜いてゆく、 そのこと自体が実はとても役に立っていることなのです。 それがいくつも複雑に綾なし積み重ねられて、 この地球という星が成り立っているのかもしれません。 地味なようで、実はいちばんすばらしい「生きること」 このシンプルな一点を歩むことの重さを大切にしたいですね。 <第0455号 2009年5月3日(日)> あなたに 18 いっぱいいっぱい 笑顔にいっぱい いっぱいいっぱい 涙にいっぱい いっぱいいっぱい 両手にいっぱい いっぱいいっぱい 呼ぶ声にいっぱい みわたすかぎり みちているもの だれもが伝えてくれている みわたすかぎり みちているもの だれもが守ってくれている * 挿一輪 * 青く澄んだ空にぽっかりと白い雲が、こいのぼりと遊んでいます。 五月の空を見上げていると、さわやかな気持ちになりませんか。 空には何もないとわかっているのに、 見上げる人によって、それぞれの想いが浮かぶのでしょう。 不思議に穏やかな笑顔になったり、ふいに涙ぐんでしまったり、 そこには尽きることのない透明な泉が湧き出しています。 人は満ちていると安心するのかもしれません。 お腹にしても、財布にしても、こころにしても、 からっぽのときの寂しさといったらありませんから。 でもほんとうは何もない空に、満ちているものを感じるように、 逆に満ちあふれたものがあるのに関わらず、 確かめようともしないことがあります。 両手に余るほどあるのに、見渡すかぎりあるものなのに、 感じることも見ようとすることも、 自分自身で拒んでしまうのは、もったいないと思いませんか。 空気のように、あまりに当たり前すぎて、 いつも寄り添ってくれているものたちを忘れないでください。 あなた自身も五月の空のようにさわやかに、 そんな身近な「いっぱい」と歩いてみてくださいね。 |
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