2009年6月のこびん

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<第0463号 2009年6月28日(日)>

       あなたに 26

         ゆっくりと歩く
         木漏れ日のなか
         呼吸をあずけて
         呼吸をもらって
         
         クチナシの匂い
         あじさいの瞳の光
         みつばちの羽音
         ひとつひとつ
         
         はなしながら
         ゆらしながら
         あそばせながら
         
         ありふれた記念日
         いつかあなたを
         そっとささえてくれる


   * 挿一輪 *

 記念日はだれにでもあるものです。
 卒業の日や誕生日、結婚記念日、出会いの日、別れの日。
 
 正確に日付を覚えている日もあれば、
 何日かは忘れても、その場面がありありと目に浮ぶ日もあります。
 
 記念日はひとつの通過点でもありますが、
 同時に思い出のなかで戻ることができる、
 こころの区切りの時でもあります。
 
 たとえば歩いていて道に迷ってしまっても、
 すこし前の道しるべまで戻ればもう一度正しい道を探せる、
 そんな気づきも記念日のなせる技かもしれません。
 
 あなたはどんな記念日をもっていますか。
 指を折って数えてゆける人もあるでしょうし、
 片手が満たないうちに考えこむ人もあるかもしれません。
 
 でもだれでもこころに刻んで忘れられない光景、
 ふと忘れられないまぶしさ、立ち止まる垣根の花の匂い、
 かすかに聞こえる虫の羽音。
 
 そのひとつひとつが、あなただけの名もない記念日を作っています。
 そしていつかあなたがみちしるべをさがして戻るとき、
 しっかりと受け止め、道を教えてくれるに違いありません。


<第0462号 2009年6月21日(日)>

       あなたに 25

         変わることは
         突然やってはこない
         変わることは
         砂時計の砂のように
         
         ゆっくりと
         たゆまなく
         隠れることなく
         おもねることなく
         
         生きているかぎり
         あなたは変わってゆく
         たゆとう水のように
         
         生きているあなたを
         知りたいのなら
         変わりゆく姿をみつめて


   * 挿一輪 *

 不思議なことに小さな変化は目立ちません。
 そればかりか毎日すごしている自分のまわりでは、
 意外に大きな変化でも見過ごすことがあります。
 
 ある日ふと今までとどこか違った光景に、
 間違い探しのクイズが解けないもどかしさのように、
 めまいのような違和感から気がつくことが多いのです。
 
 無常ということばを持ち出すまでもなく、同じ状態は続かず、
 たとえ変わっていないように見えても止まるものはありません。
 
 人間とは都合のいいもので、
 いまがとてもうまくいっていたり明るい展望があったりすると、
 このまま変わってほしくないと願います。
 
 一方でうまくいかなかったり閉塞感が漂っていると、
 なにか変わったことはないか、
 どこか別の道はないかとうろうろと探し回ります。
 
 変わることがあたりまえで、
 大きな変化の川の流れにゆったりと乗っていると思えば、
 どんなときでも自分という船を見失うことはありません。
 
 変わることを受け入れる、
 たったそれだけのことで生き方の視野が広がると思います。


<第0461号 2009年6月14日(日)>

       あなたに 24

         夜のひつじぐもを見たか
         月の冴えた空に
         だれもが眠りにつくなか
         ひつじぐもだけどこまでも
         
         足音もなく私語もなく
         だからといって
         やわらかに満ちる
         羽根のすれるため息もなく
         
         夜にひつじぐもを見るなんて
         自分がうまれてきたことが
         どきりとしないかい
         
         妖しげに光る
         月の羊飼いの背中を
         影のように追ってみないかい


   * 挿一輪 *

 空に浮かぶ雲。
 ゆったりとのどかに、またふとのびをしたくなるように、
 さわやかに風とともに。
 
 そんなイメージの雲はたいてい明るい空のなかですが、
 夜の雲を見たことがありますか。
 
 月が出ている夜に、
 不思議にぽっかりと雲が浮いていたり、
 小さな雲が群れをなしていたり、
 どこか不思議な気持ちになって立ち止まって見上げることが。
 
 小さな物語の発端は日常の何気ない出会いから始まります。
 どんなに壮大なストーリーでも、
 まるで私小説の書き出しのように、
 いつも目にする光景が異次元の世界の入口になりえます。
 
 たとえば夜の空の羊雲に出会ったなら、
 さながら光る月は羊飼いの姿なのでしょうか。
 
 動かないように見えてゆっくりと移動する、
 空いっぱいの羊の群れを追いかけて、
 あなたもひとつの物語の世界に足を踏み入れてみませんか。
 自分がこの世に生を受けたことが、
 すこしだけ誇りに思えるかもしれませんね。


<第0460号 2009年6月7日(日)>

       あなたに 23

         ゆらゆらゆれて
         やじろべえ
         わずかの風にも
         休みもせずに
         
         大きな荷物も
         すっからかんでも
         やわやわゆらゆら
         ふわふわほわほわ
         
         もしも大きく傾いたなら
         すっぱり荷物を
         おろしてごらん
         
         さてと右にひとつ乗せ
         さてと左にひとつ乗せ
         また一から始めてごらん


   * 挿一輪 *

 あまり見ることがありませんが、
 何かで見かけると、ついさわりたくなるのが、
 ゆらゆらゆれるやじろべえです。
 
 今にも落ちそうな危うい状態で、
 それでも大きくかしいでも落ちることなく、
 ゆらりゆらりと元の位置に戻ります。
 
 そのユーモラスな仕草と似合わない粘り強さに、
 時間もたつのも忘れて付き合ってしまいますが、
 その魅力は絶妙なバランス感覚でしょうか。
 
 重りをつけてみたとしても、
 左右が同じならばゆらりゆらりとどこ吹く風。
 そのくせわずかな重さの違いにも、
 機敏に反応して違いは何?と問いかけてくる気がします。
 
 そういえばわたしたちの日常も、
 左右に傾き行ったり来たりしながら、
 毎日の違いは何?と問いかける連続のような気がします。
 
 右に左に少しずつ修正を重ねていると、
 重りばかり重くなって支える腕に負担がかかってきます。
 もしも分からなくなったら、一度荷物を降ろしてから、
 もう一度ひとつずつ始めてみるのが本道かもしれませんね。



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