<第0476号 2009年9月27日(日)> あなたに 39 光に出会う 歩いていようと うつむいていようと 泣いていようと 光はそこにあるだけで 叫びを吸ってくれる 肩を抱いてくれる 語りかけてくる 光に出会ったなら 母の前のように 鳥になって話すがいい 光に出会ったなら 父の横のように 潮になって佇むがいい * 挿一輪 * 夏が過ぎてゆくと見なれた景色も変わってゆきます。 どこが、と、聞かれると、 まるで間違い探しのクイズのようでむずかしいものです。 ヒントは夏に比べての太陽の高さと日照時間です。 そう、斜めからの光が、いままで気がつかなかった凹凸を、 長く細い影とともに、くっきりと教えてくれることです。 秋の夕は釣瓶落とし、といわれるように、 その変化の速さが目に見えることで、 人恋しくなる時間に、いっそうの想いがこもってくるのかもしれません。 翳りはじめたなかに惜しむようにとどまる光だからこそ、 ふだん見なれた景色も光が変わると、 実はこんな表情も隠れている、そんな一面を教えてくれます。 まるで初めての道を歩いているように、 すこし不安で、どこかわくわくして、 子どもの頃の小さな冒険を思い出すようで懐かしい気持ちになります。 あなたのこころのなかには、 この光の当て方で変わる景色のような、 数え切れない時間の数々が眠るようにしまわれているはずです。 だからこそ、光の小さなスイッチが入ることで、 ふるさとのような、なつかしい光景を感じるのかもしれませんね。 <第0475号 2009年9月20日(日)> あなたに 38 ぽっかりと空(あ)くのを じっと待っていた 去年の秋の空のもとで 深い眠りについてから これだけあっさり 潔い花もない これだけしっかり 先を思う花もない どんなうわさがたとうとも う〜んと伸びして また秋の空のもとへ ここというときだけ 青い風を求めればいい 彼岸花の時間のなかで * 挿一輪 * 彼岸花は不思議な花です。 昨日までなにもなかった空間に、突然あでやかな花を広げます。 そこに茎や葉があったのに気がつかなかったのではなく、 茎がにょきっと出ていきなり原色の王冠をかかげます。 その出現のしかたや、秋に似合わない派手な姿態に、 いにしえから眉をひそめる人や占いに重ねる人も多かったのでしょう。 墓地に多く見られることから「死人花」とか、 仏教の天上の花に由来して「曼珠沙華」とか、 吉凶両方の顔を持たされた、まれに見る花です。 もっとも当の彼岸花にとっては、そんな話にはおかまいなしに、 秋の入口9月の声を聞くあたりから、 そろそろと準備に入った自分のからだのなかの声を信じて、 一気に地上に顔を出してくるのにちがいありません。 夏に茂った草たちがそろそろ勢いが衰えたときを見計らって、 自分の花を効率よくめだたさせるための巧妙な処世術。 自然の摂理にかなった個々の生き延びる知恵、なのでしょうが、 それまでじっと姿さえ見せないその徹底振りには、 自分独自の時間をしっかりともっているお手本みたいです。 出会うたびに、どこか学ぶべきものがある花だなと感心しています。 <第0474号 2009年9月13日(日)> あなたに 37 いま、とつぶやいた そのときが あなたにとっての いま 見つめる先も 振り返った後も いま、のあなたが 抱きしめている 生きてることは いま、しかできない どんないのちでも すべてがはじまり すべてがおわるのは だから、いま * 挿一輪 * 生きていることは、いま、そのものです。 それが生まれてからの積み重ねであろうと、 これからの大きなゆめを胸いっぱいにふくらませても、 たったいまがないと、すべてが意味をなしません。 逆にいうと、いま、が生きているうえでの、 いちばん大切なキーポイントになります。 どんなに苦しい状況になっていても、 いま、という一点が変わってくれば大きな転換ができます。 いままでの経験や環境、これからの道のりを、 決して軽んじるわけではありませんが、 いま、という立ち位置をつかんでいないと、 経験も生かせませんしこれからの一歩も踏み出せません。 生きていることは、いま、の連続です。 瞬いては消える光のように一瞬の連続です。 よく似た景色が続いたとしても、 まったく同じ景色には二度と出会えません。 だからこそ、しっかりと目を見開いてください。 だからこそ、しっかりと耳を澄ませてください。 だからこそ、しっかりとこころにとめてください。 その小さな積み重ねが、たったひとつのあなた、を創るのですから。 <第0473号 2009年9月6日(日)> あなたに 36 雲のひつじたちを 秋風の犬が追っている 柵のない青いはらっぱ どこへ追ってゆくのだろう ずっと見上げていると 首が疲れてしまう 寝ころがるにしても 草の絨毯はどこにある さがしものは 必要なときまで忘れている 空気のように寄り添っていても 銀色に輝くピアスだって 触れてはじめて さがしていたことに気がつく * 挿一輪 * 見あげると空一面のひつじ雲。 一頭一頭の白い背中たちがゆっくりと動いていきます。 群れを統率して追っているのは秋風の牧羊犬でしょうか。 夏の空から秋の国へとまさに移動の真っ最中かもしれません。 さがしものはなんですか、と聞いてみてら、 どういう答えが返ってくるのでしょうか。 地上のひつじなら食の糧となる青々とした草でしょうが、 空のひつじたちのさがしものを思ってみるのも楽しいですね。 それにしてもわたしたちのふだんのさがしものは、 いつのまにか忘れられてどこかに入りこんでしまったものが、 ほとんどではないのでしょうか。 すぐそばにあるのに気がつかずに、 もしかしたら身に着けているのにそれすら忘れて、 とんでもないところをかき回してさがすことがありませんか。 必要になってはじめて、置き忘れたものがさがしものになります。 必要になってはじめて、さがしものが大切なものにかわります。 でも懲りないもので、失敗は喉元を過ぎるとすぐに忘れて、 またすぐに同じ過ちをおかしてしまいます。 さがしものは、振り返ると身近にあるからこそさがしものなのです。 生きていることはさがしものを見つける旅なのかもしれませんね。 |
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