2009年10月のこびん

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<第0480号 2009年10月25日(日)>

       あなたに 43

         あなたがうらやましいと
         憧れているもの
         あなたがまぶしいと
         あおぎみるもの
         
         あなたがもっていないものを
         もっている人は
         あなた以外の
         すべての人
         
         でもあなたしか
         もっていないものに
         気づいてごらん
         
         ないものをさがすのなら
         あなたにしかないものを
         さがしてごらん


   * 挿一輪 *

 たくさんのものがあふれています。
 見えるもの見えないもの、形のあるものないものを含め、
 この地球上には数え切れないものがつまっています。
 
 考えてみれば、あなたの持っているものはほんのわずかです。
 逆を考えれば、あなたの持っていないものがほとんどです。
 持っていないものを欲しくなるのならば、
 それこそ限がないくらいに訪ね歩かなくてはいけません。
 
 だれもがそうして訪ね歩いているのならば、
 いつかはあなたのところにやってくるかもしれません。
 「私の欲しかったものはあなたなのです」と。
 
 外ばかり見ていたあなたは怪訝に思うでしょう。
 あなた自身が探し求められる対象であったなんて。
 
 たくさんのものがあふれているなかで、
 まったく同じもののように見えてもどこか違って
 在るものはそれぞれの価値をなくすことはありません。
 
 ないものをさがして地球上をかけまわるよりも、
 あなたの持っているたったひとつのオリジナルを、
 時間をかけてみがいてみませんか。
 それだけの価値をあなた自身が持っていることを、
 いつもこころにかみしめて生きてゆくことが大切なのですから。


<第0479号 2009年10月18日(日)>

       あなたに 42

         陽だまりにいて
         いちばん思うこと
         陽だまりに
         なりたい
         
         いちばん
         しあわせなのは
         好きなものに
         なれたときだから
         
         金木犀の
         あまい匂い
         そのものにも
         
         海のような秋空の
         風のゆらぎ
         そのものにも


   * 挿一輪 *

 秋の午後、陽だまりを歩いていたら甘い匂いがしてきました。
 ふと立ち止まりあたりを見まわすと橙色の小さな花が。
 金木犀の大きな樹が青空の下に静かに立っていました。
 
 秋を感じる基準はひとそれぞれだと思いますが、
 この金木犀の匂いを待っている方も多いのではないでしょうか。
 橙色の小さな花も秋の青空にとてもよく似合います。
 
 そんな匂いにつつまれながら秋の陽だまりにたたずんでいると、
 そこはかとなくしあわせを感じることがあります。
 特別なできごとがあったわけではなく、
 他人からみたらなんでもないことでしかないのですが、
 ひとにはそれぞれのしあわせの基準があるように思います。
 
 自分が好きでたまらないもの、
 それは趣味でもその場所でも一緒にいる人でもかまいませんが、
 寄り添って同じ空気を吸っているだけで、ただそこにいるだけで、
 しあわせをどんな時よりしみじみと感じることがあるものです。
 
 夢や希望を達成したときの喜びは大きいものです。
 でも日常の小さなできごとのなかで、
 いくつものしあわせになれるキーワードを持っていられたほうが、
 しあわせの度合いはむしろ多いように思います。
 
 しあわせは自分の肌のすぐそばで見つけるのがいいですね。


<第0478号 2009年10月11日(日)>

       あなたに 41

         まっすぐむいている
         前を
         まっすぐみつめている
         はるか遠くを
         
         じっときいている
         音を
         じっとたずねている
         風を
         
         ひたむきに
         むきあえるときこそ
         いのちの輝き
         
         たとえ
         いつかその輝きが
         消えゆくものだとしても


   * 挿一輪 *

 子どものころ、空がはてしもなく高く感じませんでしたか。
 小さな原っぱも広々と感じ、お使いの買い物や、友だちの家も、
 すこし離れたところでさえも、とても遠く感じるほどでした。
 
 それが、大人になって、たしかに身長も体も大きくなり、
 歩く歩幅も広くなり、自転車や車も使えるようになり、
 それ以上に、距離感や感覚の意識が変わってきて、
 高くも、遠くも、果てしもなく感じることが、少なくなりました。
 
 でも、見上げる空はやはり、はてしもなく高いままですし、
 頭で考えた距離感は、実際行ってみると、よく裏切られます。
 
 たしかに大人になることで経験から得たものは多いのですが、
 ほんの少しばかりの体の成長や知識と引き換えに、
 驕りや勘違いから、失ってしまったものも多いように思います。
 
 まっすぐむきあうこと。
 じっと耳をかたむけること。
 ひたむきにむきあうこと。
 
 子どものときだったら、日常のなかで普通にできたことが、
 生き方の本やセミナーのなかで、特別のように語られています。
 生まれたときから、自然に身に備わった能力をそのまま使うこと、
 あたりまえのことを正面からとらえることが、
 案外、大切なものをみつける一番の近道なのかもしれませんね。


<第0477号 2009年10月4日(日)>

       あなたに 40

         見つめることはできない
         けれど
         見つめられている
         いつも
         
         なぞることはできない
         けれど
         ふれられている
         気がつくと
         
         生まれたときから
         そっと
         あなたは見守られてきた
         
         だからこそ
         やわらかなぬくもり
         背中


   * 挿一輪 *

 鏡に映った姿でしか見られないのが、あなたの背中。
 生まれてからずっとつきあっているのに、正対したことがありません。
 考えてみれば不思議な関係です。
 
 他人からは、かんたんに見つめられる機会が多いというのに。
 その視線に気がつくことなく、あなたはさらりと通り過ぎます。
 実は、あなたの背中はあなたの正面の目よりも、
 多くのものを見たり感じたりしているのにちがいありません。
 
 歩くときでも時間の流れでも、先のことばかりが気になります。
 忘れ去られた後ろの変化は、背中が一手に引き受けているのです。
 
 そういえば、顔は、寒さや暑さ、それに面と向かっての攻防と、
 表面を強く厚くすることで、あなたの日常を守り続けてきました。
 
 それに比べると、背中はとても敏感なままここまで来たはずです。
 なにげないやさしさやぬくもりを、
 背中は、木漏れ日を掌でそっとすくいとるように感じています。
 
 時に嘘をつかなくてはならない顔よりも、背中のほうが、
 もしかしたらあなたの本音を表わしているのかもしれませんね。
 
 めったに背中を意識せずに一生を過ごすかもしれません。
 でも気がついたときでもいいですから、
 あなたの背中にも、ふと想いを巡らせてみることをしてみませんか。



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