<第0485号 2009年11月29日(日)> あなたに 48 わからなくなったなら 迷ってしまったら 見えなくなってしまったら 歩けなくなってしまったら 大切ななにかを ずっと持っているなにかを ふと 忘れてしまっているはず なくしたわけではない 消えたわけではない 場所を忘れただけだから ふるさとのように 帰っておいで こころのなかの「いどころ」に * 挿一輪 * 足もとの影が長くなってゆきます。 伸びて伸びて道路をまたぎ家の壁を這い登り、空に着こうとしたとたん、 ふっと消えて陽が西の山の端に沈みました。 自分の影を見ていると不思議です。 太陽の出ているとき、夜ならば電灯のそばにいるとき、 短かったり長かったり、変にひしゃげておばけになったり、 影絵遊びのように自分の影を変えてみたり、変幻自在の生き物です。 影をつくるためには光が必要なのはわかります。 でも、もうひとつ大切な要素は、影になるための自分自身です。 あたりまえのことに思われるでしょうが、 自分がいなければ自分の影はできません。 でも自分がいても、光がなくなると影は消えます。 光源がなくなれば影ができないのは当然ですが、 では、自分自身も消えてなくなってしまったのでしょうか。 いえ、自分はたしかにここにいます。 光がないから影にならないだけです。 そして影が見えないと影のことなど忘れてしまいます。 なにかをなくしたと思って迷うことは、 光がなくなって影を見失ったのと同じことです。 自分自身は「ここ」にいるからこそ、いつでも帰ってこれるのです。 <第0484号 2009年11月22日(日)> あなたに 47 群青色の空を 知っているかい 夕暮れのあとの 黄昏どきの空を 山の端と 空との囁きが ようやっと 聞けるくらいの境を じっと見ていると 溶けだしてくる ふるさとの雫 じっと見ていると 燃えつづける たましいの色 * 挿一輪 * 秋になって日暮れが早くなりました。 帰宅途中に夕陽が沈むのと追いかけっこをするのですが、 気がつくと山の端のむこうに姿が消えてしまっています。 暗くなってうつむきかげんになり歩調も速くなりがちです。 でもそんな時、ふと空を見上げてみてください。 燃えるような夕焼けのオレンジから濃い紺色までの、 とても美しいグラデュエーションが見られます。 そして時間とともに色は消えてゆき、 闇の黒に溶ける前の空が群青色に静まるとき、 とてもなつかしい気持ちになることがあります。 ふるさとのイメージはひとそれぞれ違うのでしょうが、 子どものころの夕暮れ時の心細さと静けさは、 大人になってもこうして切ないくらいに感じるものです。 ずっとこころのなかに残っている深い色。 まるで時間の壁を溶かすような抜け道が、 あらかじめセットされているかのような気がします。 夕暮れ時の群青色を見るたびに、 たましいの好む色がそれぞれにあるのではないかと思います。 あなたの好きな夕暮れ時の色は、さて何色でしょうか。 <第0483号 2009年11月15日(日)> あなたに 46 こつこつ こつこつ こつこつ こつこつ わからなくなったら たちどまったなら こつこつ こつこつ こつこつ こつこつ いつもやっている なんでもないことを すきまをうめるように そっとみまもるように じぶんとかたるように つづけてみよう つづけてみよう こつこつ こつこつ * 挿一輪 * あなたの好きなことは何ですか? あなたのいちばんおちつくところはどこですか? だれかに自慢できることではなくても、続けていることは何ですか? 小さなことでかまいません。 日常なにげなく習慣のように行っていることで大丈夫です。 たとえば、毎日のできごとをメモしているとか、 たとえば、デジカメをもって散歩に行くとか。 たくさんある必要はありません。 ひとつでもふたつでも数は関係ありません。 ただ身近にあるもの、わずかの時間で続けられるものでいいのです。 調子のいいときには空気のような存在感しかなく、 ただ習慣になって続けているだけでいいのです。 こころに余裕のあるときに始めるのがいいのかもしれません。 まるですきま家具みたいなものだと思ってください。 でも、不調のときに、なにも手につかなくなったときに、 そんな小さな習慣が、影のようにあなたを守ってくれます。 心配ごとに気をとられながらも、大きなため息をつきながらも、 なにげないいつものことを無意識に行っているはずです。 こつこつこつこつと、いつのまにか小さなリズムが生まれ、 気がつくとあなた自身を立て直し、出口に導いてくれるはずですから。 <第0482号 2009年11月8日(日)> あなたに 45 朝陽を浴びる 真正面から 強い光の壁に 足を止められ 朝陽は導く 真正面から 強い光の管に 吸い込まれ まぶしいと顔をそむけ ふと後ろを見ると あなたの長い影 しっかりと支える たしかにここにいる さあ進もう * 挿一輪 * 秋から冬へと日の出が遅くなってきました。 空気が冷たく澄んでくるのも手伝って、 いままで感じなかったほどのまぶしさを、 真正面からの朝陽に感じるようになります。 まるで光の壁に阻まれるように足が止まります。 そうかと思えば光の無数の管に生気を吸われるように、 体ごと朝陽に吸い込まれそうになります。 その圧倒的な力の前に自分の小ささや無力さを、 哀しいほどに感じ、切なくなることもあります。 でも光を避けるようにふと後ろを振り返ると、 そこにはくっきりと黒く伸びる確かな影があります。 どんなに強い朝陽にも決して溶けず飛ばされない、 しっかりとした自分自身の存在が見つけられます。 小さくて儚いいのちであろうとも、 こうして自分はこの世界に生きています。 大地に伸びる影はしっかりと両足で踏ん張っています。 生きていることを実感するときは、 自分よりも圧倒的な力の前でもしっかりと生きている、 そんな自分を再確認したときなのではないのでしょうか。 この季節しっかりと朝陽を浴びて、からだごと対峙してみませんか。 <第0481号 2009年11月1日(日)> あなたに 44 陽の光が ふりそそぐ日には 陽の光が 見つからない 曇りの日に 一筋の陽が漏れると 胸をうつことば うつむくほほも染まる 呼びとめるものは 強さでも 輝きでもない 呼びとめるものは 一瞬にかけぬける 風のようないのち * 挿一輪 * 秋の天気は変わりやすいといわれます。 風が吹きぬけ雲を吹き飛ばし宇宙まで見えるような、 秋の空の一日が続けばいいのですが、 びっしりと白い羊たちを連れた雲の羊飼いたちや、 きれい好きで掃除の跡を残したすじ雲の魔女たちが、 天気の変わり目を告げながら、瞬く間に通り過ぎてゆきます。 変化しないものはないといって過言ではありませんが、 変わることによって、いつも見落としがちな日常も、 時によっては神秘的とさえ言える贈り物を届けてくれます。 晴れた一日は気持ちの良いものですが、 意外と明るさとまぶしさにさえ慣れてしまいます。 さんさんとふりそそぐ光のなかで、 気がついてみるとその光さえ忘れてしまうこともあります。 逆に曇りがちで雨をも呼びそうな空から、 一筋の陽の光が雲間からさっとさしてきたなら、 とても印象深い光景となって忘れない一場面になります。 一瞬一瞬の変化で日常が営まれ変化してゆきます。 ちょっとした天気の変化からも教えてくれるサインがあります。 はっと気がついたとき、こころのカンバスにスケッチするように、 しばし立ち止まって思いとめてみたいものですね。 |
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