2009年12月のこびん

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<第0489号 2009年12月27日(日)>

       あなたに 52

         空に浮かんでいるもの
         雪ウサギの雲
         大きく翼を広げた鳥
         輝くたんぽぽの綿毛
         
         海から伝えられるもの
         光と影の鈍色の鱗
         大きく跳ねる背びれ
         風の瓶につめられたことば
         
         こうして空と海のてのひらで
         あなたは生まれた
         ひなたの匂いのゆめにつつまれ
         
         こうして空と海のおとないで
         あなたは生きている
         昨日と明日に両手をつないで


   * 挿一輪 *

 空と海、光と影、昨日と明日。
 隣り合ったふたつのもののはざまでいのちは営みを続けています。
 
 ひとつの流れは別の流れを呼び、
 反発して寄り添って大きな均衡を保ってゆきます。
 
 まぶしい朝陽を仰いだときの高揚する気持ちと、
 もう少しで山の端に帰る夕陽を送る寂しさと、
 たった一日のそれも光の満ちている時間のできごとだけで、
 もしかしたら長い旅をするのと同じくらいの体験ができます。
 
 しっかりと見て聞いてたしかめて、そして感じて。
 ほんのささやかなことでも意識することで、
 生きていることはこんなにも深くなるのだと、
 あらためてたしかめることが大切なことだと思います。
 
 頭上の光も足下の影も、気がつかなくても一日は始まり終わります。
 でもふと立ち止まり、見上げて太陽を感じ、
 ふと立ち止まり、見下ろして自分の影で自分自身をみつめるとき、
 生きているいまをかみしめられるのではないでしょうか。
 
 ひとそれぞれ感じるものは違うと思いますが、
 日々の出会いのなかから見つけだす小さな宝物を、
 ひとつひとつこころにそっと貯めてゆきながら、
 たったひとつのいのちを生きぬくことができたらすてきですね。


<第0488号 2009年12月20日(日)>

       あなたに 51

         あなたの
         いま持っているもので
         あなたの
         生きかたは決まる
         
         あなたの
         いま選んでいるもので
         あなたの
         生きかたは決まる
         
         生きたい色
         生きたい音
         生きたい匂い
         
         まっすぐでも
         まがってでも
         でんぐりがえってでも


   * 挿一輪 *

 両手で持てる量には限りがあります。
 からだにこころに持てる量にも限りがあります。
 多少の差はあるかもしれませんが決して無限ではありません。
 
 あなたがいま持っているもの、思い出して数えてみてください。
 多いようで意外に少ないですか。
 それとも次から次へと出てきますか。
 
 こぼれるほどに持っていたとしてもそれをすべて使えますか。
 毎日毎日いろいろな場面で取り出し選ぶことのできるものから、
 いまあなたがいちばん気に入っているもの安心できるものを、
 取り出して両手のてのひらに乗せてみてください。
 
 あなたはいまその生き方を選んでいます。
 持ち物の多少は別としても、そのなかからてのひらに選んだのは、
 あなた自身そのもの、たったいまの等身大の姿です。
 
 てのひらのうえのあなたは、
 どんな色ですか。
 どんな音ですか。
 どんな匂いですか。
 
 しっかりと確かめたなら、からだのなかにこころのなかに、
 そっともどして、またあなたのいま道を進んでください。
 あなた自身の足取りを迷いなく踏みしめながら。


<第0487号 2009年12月13日(日)>

       あなたに 50

         あなたは消えてゆく
         どんなに長生きしても
         100年足らずで
         消えてゆく
         
         でも考えてごらん
         消えてしまういのちが
         なぜわざわざ
         こうして生まれたのだろう
         
         うまれてそして
         消えてゆく
         そのほんとうの意味を
         
         消えてそして
         うまれてくる
         そのほんとうの意味を


   * 挿一輪 *

 いつも不思議に思うことがあります。
 どうしてこの自分としてこの世に生まれてきたのだろうかと。
 
 いのちには限りがあります。
 生まれたものは時間の長短の差こそあれ、
 いつかはかならず消えてゆかなければなりません。
 
 限りがあるものがこうして生を受け生きている、
 その理由を考えると不思議に思えてなりません。
 
 たしかにいのちを引き継ぐために、
 種の保存のためにいのちは次の世代にバトンを渡し、
 個々のいのちはたとえなくなっても、
 いのちの系図は絶えることもなく続いています。
 
 でも人間というものはその個々の意識が非常に強く、
 それが故に悩んだり恐れたりなにかにすがりついたりと、
 ひたすらに生きることに専念できないような気がします。
 
 ただひたすら生きて生き抜くこと。
 いのちにとってあたりまえのことが、
 こと人間にとっては試練になってきている気がします。
 
 なぜこうして自分が生きているのか。
 この不思議さを見つめることが必要なことかもしれませんね。


<第0486号 2009年12月6日(日)>

       あなたに 49

         あすの光を信じて
         あすの自分を信じて
         ただまっすぐに
         いまを生きる
         
         いまの光をみつめて
         いまの自分をみつめて
         ただひたすらに
         いまを生きる
         
         いのちは
         空から降りてきたわけでもなく
         海から渡ってきたわけでもなく
         
         いのちは
         いまの自分を続けるために
         いまの自分を受け入れるために


   * 挿一輪 *

 雨がふっていると気が滅入ってしまうことがあります。
 ふと光の満ちあふれている晴れの日を思い浮かべてしまいます。
 今日は雨さえふらなければ予定のこともできたのにと、
 ついうらめしくなって雨空を見上げてしまうこともあります。
 
 雨の日には雨の日の楽しみ方が、晴れの日には晴れの日の楽しみ方が、
 それぞれあるとはいわれても、
 さて、明日もし晴れるのならば、雨の今日は早く過ぎてしまって、
 そう思わずにはいられないのかもしれません。
 
 生きているということは、いま、が基準になります。
 たしかに昨日から、いえ、もっと前から受けついでいるいのちであり、
 明日への糧として準備を怠らないいのちでもあるのですが、
 生きているのは、たったいま、です。
 
 いま、の生き方がすべてだといってしまうといいすぎかもしれませんが、
 いま、がなければ、昨日からの積み重ねも明日への希望もなくなります。
 生きている自分は、いま、そのものだと、
 いま、は生きている自分そのものだと、いえると思います。
 
 雨をうらめしげに見ている自分、陽の光に目を細めている自分、
 それぞれがその時々の、いま、だといえるのならば、
 しっかりと目の前のものを受け入れて生きてゆくのがベストです。
 なぜならば、小さな点が続いて一本の線になるからです。
 とぎれない線になるためにしっかりと、いま、の点を刻みたいですね。



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