2010年4月のこびん

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<第0506号 2010年4月25日(日)>

       あめに

         あめに
         だかれると
         あめの
         こえがする
         
         あめに
         つつまれると
         あめの
         においがする
         
         たちどまったら
         このまま
         あめに
         なってしまいそうで
         
         はしりだしたら
         もうにどと
         あえなくなりそうで


   * 挿一輪 *

 朝から雨が降っています。
 用事があるのでこのまま部屋にいるわけにもいきません。
 もっとも外に出てしまうと意外に雨は苦になりません。
 傘をさして歩いていると不思議に落ち着くこともあります。
 
 自分の周りはどこまでも雨。
 傘の下だけの小さな空間も雨の音や匂いで包まれてゆきます。
 時として息苦しいくらいの大雨にもなりますが、
 春先のおだやかな雨のなかでは名残惜しくなって、
 もう少し歩いてみようかと思うこともあります。
 
 太陽の陽だまりに包まれているときとおなじように、
 母なる海に抱かれている気持ちになってほっとするのかもしれません。
 
 ともすると濡れることなく目的地に着くことができる便利な時代ですが、
 時には、体にとってこうした雨の音や匂いを感じることが、
 ミネラルのような必須ビタミンの役割をするのかもしれません。
 
 雨の多い今の季節ですが、鮮やかさを増してくる樹々の若葉に並んで、
 自然の恵みを無為に受け入れてみることはいかがでしょうか。


<第0505号 2010年4月18日(日)>

       なみだ

         ふいに
         おちる
         なみだ
         
         どうしても
         あいたかった
         でも
         だれにあっていいか
         わからないから
         
         さがしあぐねて
         さがしつかれて
         
         ふいに
         あった
         なみだ
         
         であったしゅんかん
         そう
         あなたに
         あいたかった
         
         という
         なっとくの
         なみだ


   * 挿一輪 *

 突然前触れもなく涙が落ちることがありませんか。
 悲しいとか嬉しいとか興奮したとかいう理由もなく、
 ふとしたきっかけで急に涙が止まらなくなったことが。
 
 ふとしたきっかけというのがささやかな原因なのでしょうが、
 こころあたりといえば、聞き覚えのあるメロディーを聴いたとか、
 一行の詩句を読んだとか、懐かしい匂いに立ち止まったとか、
 どこかで見覚えのある小さな路地の入り口に立ったときとか。
 
 共通点といえば、以前どこかで体験していても、
 もうとうに忘れてしまっている、記憶の奥にしまわれてしまっている、
 そんな何気ない断片たちがふと声をかけてきたことです。
 
 なくしたまま、こころのどこかでずっと探し続けていた宝物に再会した、
 その思いが涙という形でふいに「ただいま」と告げたのだと思います。
 自分にとって必要な宝物なのですから、ずっと求めていたのですね。
 
 咄嗟に涙という形で教えてくれた忘れられていた宝物。
 その大切なものをこれからもずっと持ち続けながら、
 あなたの毎日の糧にできたら素敵なことでしょうね。


<第0504号 2010年4月11日(日)>

       さいかい

         たったひとつの
         きらめくしずく
         
         みつめるひとみに
         そっとおちた
         
         こころのみなもに
         ひとつのはもん
         
         どこまでも
         どこまでも
         
         いつかとおいきしに
         やさしくふれて
         
         こだまのように
         かえってくるまで


   * 挿一輪 *

 はじまりはいつも突然にやってきます。
 いつのまにか少しずつ準備されているのかもしれませんが、
 目の前に現れるのは唐突なひらめきです。
 
 わたしたちが毎日見ているもの、聞いているもの、
 それはいつも数えることのできないほど多くのものですが、
 そのほとんどがエキストラのように通り過ぎてしまい、
 意識しなければ記憶にすら残ることがありません。
 
 そのなかで、たったひとつのもの、たったひとつの出会いが、
 こころに雫が落ちるように、声をかけてゆくことがあります。
 
 小さな雫は波紋となって音もなく広がってゆき、
 どこにあるかわからないほど遠い岸に向かって、旅を続けてゆきます。
 
 いつか忘れるほど長い時間のはてに、
 彼方の岸からひょっこりと戻ってくるに違いありません。
 
 そのときはなつかしいふるさとに再会したように、
 もういちど自分自身と向き合うことが大切なのかもしれませんね。


<第0503号 2010年4月4日(日)>

       はる

         まっしろな
         くものゆびが
         めざめたばかりの
         さくらの
         はなびらを
         そっとなでる
         
         かぜは
         わらいながら
         くるりと
         まわって
         とうめいな
         くちぶえをふく
         
         そらは
         ほしたばかりの
         まっさおな
         しーつのしわを
         てのひらで
         ぱんとのばしたばかり


   * 挿一輪 *

 白い雲が浮かんだ春の空に洗濯物がゆれています。
 さくらの花も次々と目を覚まし、春の淡い香りで満ちています。
 4月の声を聞くと、きのうまでと同じはずの見慣れた景色も、
 どこか新しい色合いがにじみでてくるので不思議です。
 
 それでなくても春の野は間違い探しにやっきになるほど、
 すこしずつすこしずつ草木の芽が伸びてゆきます。
 ほんの小さなできごとでも日常に変化の色を添える、
 そんな気持ちを呼び起こすのが、4月という魔法の杖かもしれません。
 
 新学期も始まり、会社も学校もたくさんの新しい出会いがあります。
 わっと押し寄せるエネルギーは胸膨らます活力にもなりますが、
 地に足が着いていないと、知らないうちに無理が重なってゆきます。
 
 ずっと前を向いているばかりだと首も疲れてしまいます。
 ときどき立ち止まって、ふと青い空を見上げるか、足元に目を落とし、
 たんぽぽの花や新芽の緑に目をとめるだけでもこころが休まります。
 
 じっとみつめているのもいいでしょうが、なにか話しかけてみると、
 小さないのちから、思わぬことばが返ってくるかもしれませんね。



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