2010年5月のこびん

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<第0511号 2010年5月30日(日)>

       そらのかわ

         ひとすじの
         あおい
         そら
         
         しろい
         くもに
         ふちどられて
         
         みなみへ
         みなみへ
         と
         
         ひたすら
         ながれる
         かぜの
         
         ことばを
         つたえる
         そらの
         かわ


   * 挿一輪 *

 陽がさしているのににわか雨、狐の嫁入りです。
 先ほどまでの青空も見上げると雲におおわれ始めています。
 湿った風のせいか天気が不安定になっているようです。
 
 雲の形を見ているといつまでも飽きないことがありますが、
 雲に縁どられた空の形もおもしろいものがあります。
 まるで空に一筋の川が流れているかのように、
 白い雲の土手に挟まれて、青空が細い幅で南北に伸びています。
 
 流れてゆくのは水の代わりに吹き抜ける風なのでしょうか。
 風の背中には透明なことばが乗って伝言を次々と運んでゆきます。
 
 風の通り道の樹々や花、鳥や虫たちは、耳をかたむけています。
 もうすぐやってくる新しい季節の想いは、
 まるで吟遊詩人の歩みのように先へ先へと伝えられます。
 
 あなたも頬に風を感じたり、何かが呼び止めたような気がしたら、
 ふと立ち止まり空を見上げてみてください。
 いつもと違った空のカンバスにきっと伝言があるはずです。
 そういえば狐の嫁入りも終わって、川も河口近くに広がってきましたよ。


<第0510号 2010年5月23日(日)>

       すいてき

         じょうはつすれば
         きえてしまう
         ほんの
         わずかな
         そのじかんに
         
         まわりの
         すべてを
         うつしこんで
         きらきらと
         かがやく
         
         ただ
         それだけのために
         うまれてくる
         すいてき


   * 挿一輪 *

 雨上がりの朝、ふと通りかかった家の塀からピンクのバラの花が。
 もう散り始めようとしている花びらには水滴がびっしりと。
 
 立ち止まって、何気なくその水滴をのぞきこんでみると、
 自分の顔と一緒に周りの景色がこぼれんばかりに映っています。
 それもひとつだけではなくついている水滴すべてに、同じ景色が。
 
 少し角度を変えてみると別のバラの花が入ってきたり、
 見上げるようにすると少し開けてきた青空までもが映りこんだり。
 生まれたばかりの天然のレンズは魚眼レンズのように、
 ひとつも残さないように雨上がりの朝を持っています。
 
 考えてみると不思議です、水滴はいずれ蒸発して消えてしまいます。
 そのわずかなあいだだけでも、見ることのできる世界を映しきって、
 きらきらと輝きながらこうして見せてくれます。
 
 気がつくことがなければだれも知る由もない片隅でさえ、
 ちいさなきらめきの出会いが、これほどはっとさせるのです。
 「生まれて、そして消えてゆく」
 水滴ひとつにしても、教えられることは多いですね。


<第0509号 2010年5月16日(日)>

       はくし

         まっしろな
         かみ
         
         はくし
         といっても
         なにも
         ないわけではない
         
         そこには
         ある
         はくしという
         じじつが
         
         たいじする
         じぶんまでも
         はくしに
         なって
         
         さあ
         これから
         なにを
         かきはじめる


   * 挿一輪 *

 白紙を目の前にすると気が引き締まります。
 まっさらな紙にこれから何を書き綴るのかじっと考えます。
 
 時には自分自身までも一度まっさらになって、
 白紙と対峙する必要がでてくることもあります。
 何もない紙に対してなぜそこまで向き合うのでしょうか。
 
 目の前にある白紙には何も書かれていないのに、
 白紙があるという事実が横たわっています。
 ほんとうに何もないというのなら気にすることもなく、
 ゆっくりとくつろいでいればいいのでしょうが。
 
 わたしはこうしてまっさらですが、
 さてあなたもまっさらになって向き合うことはできますか?
 まるでそう問いかけたげに白紙はこころを見つめています。
 
 知らない間に積もり積もって、ついにはそのことにすら気がつかない、
 そんなこころの滓のようなものが白紙には見えるに違いありません。
 白紙に向き合うことで本来持っている自分の白紙を思い出して、
 ほんとうの自分を見つける手助けにしたいものですね。


<第0508号 2010年5月9日(日)>

       かいが

         みあげると
         いちまいの
         えのように
         
         でまどに
         きっちりと
         すわるねこ
         
         こもれびの
         すぽっとらいとに
         てらされて
         
         はじめてのろじ
         わたしだけの
         びじゅつかん


   * 挿一輪 *

 ふと視線を感じて立ち止まりました。
 いつもこうして外を見ているのでしょうか、
 見上げると出窓の内側に一匹のねこが行儀良く座っています。
 
 窓枠が額縁代わりになってまるで一枚の絵のようでした。
 カメラを片手に休日に歩いているとこんな出会いもあります。
 
 部屋に絵を飾ってみたいと思うことはありますか。
 自分で絵を描けるのならいちばんいいのですが、
 どこかでみつけたお気に入りの絵を買ってきてもいいですし、
 こうして写真をとって飾っておくのもいいと思います。
 
 ふと立ち止まった景色には自分がどこかで惹かれるものがあります。
 そのときには理由がわからなくても、
 いつかどこかで見た風景だったり子どものころの記憶に似ていたり、
 それ以上にしばらくここにとどまっていたいと思うこともあります。
 
 ほっとしたりくつろいだり元気をもらったり、
 受け取るものはいろいろでしょうが、
 あなただけのささやかな美術館、そんな絵や写真をいかがですか?


<第0507号 2010年5月2日(日)>

       もしも

         せなかに
         かぜが
         はえたなら
         とべる
         そらを
         
         むねに
         いずみが
         わいたなら
         だける
         うみを
         
         ひとみに
         ひかりが
         とけたなら
         うつす
         にじいろの
         ゆめを


   * 挿一輪 *

 もしも、と、想像することは楽しいことです。
 ちょっと考えてみたらできそうなことから、
 物語の世界でないと絶対にできないことまで。
 
 どんなに荒唐無稽なことを考え出しても、
 莫大な資金もいらなければ特別な才能もいりません。
 ほんのわずかな時間と心地よい場所があるだけで、
 この世にひとつだけの思いのままの旅行ができるはずです。
 
 毎日仕事などのスケジュールがびっしりと詰まっている人も、
 一息つくくらいの短い時間はどこかにあるはずです。
 本を読んだり音楽を聴いたりするのもすごし方のひとつですけれど、
 あいにく本も聴く音楽もない時は、ぼーっとして終わっていませんか。
 
 そんなわずかな時間に想像の世界に入り込むことが、
 意外と新しい発見や休息をもたらすヒントになるかもしれません。
 もてあますはずの時間を優しい時間に変えるのは自分自身です。
 
 毎日少しずつでも想像の世界に飛び出すことができたなら、
 ある日気がつくと、大きな夢の虹が空にかかっているかもしれませんね。



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