<第0528号 2010年9月26日(日)> エプロン エプロンをかけると きりっとしまる エプロンをかけると やさしくなれる エプロンをかけると しんと澄んでくる エプロンをかけると 口元がほころぶ エプロンをかけると トンボが止まる エプロンをかけると ねこも擦り寄ってくる エプロンをかけると わたしが見えてくる * 挿一輪 * コスプレが人気です。 自分の好きなアニメのキャラに扮して颯爽と演じきります。 コスプレに限らず服装によって気持ちが切り替わります。 休みの日のトレーナーや、もしかして寝坊のパジャマ姿から、 お出かけや仕事のスーツ姿まで、気持ちは簡単に切り替わります。 小さなアクセサリーをつけても気分転換になるのですから、 性格を変えようなどと、大それたことを思い込まなくても、 小さな工夫で、案外その時々の別の自分を演じることができるものです。 秋は文化祭などの行事が多く見られます。 身近なイベントなどの機会があってエプロンをつけてみると、 別の気持ちになってわくわくすることがあるかもしれません。 そんな気持ちの変化を見透かすように、 秋の虫たちや動物もいつもより身近になるのかもしれません。 人は様々な衣装を羽織ることができます。 そして、その多様性に楽しんで順応する能力があります。 秋の空の下、あなたも新しい役を演じてみませんか。 きっと新しい発見があるにちがいありませんから。 <第0527号 2010年9月19日(日)> 雨の音 立ち止まれないのなら 歩くしかない どこまでも いつまでも わからないままに 雨の音がする 肩のあたりだろうか 爪先のあたりだろうか 記憶という うすぼんやりとした 樹海の中だろうか * 挿一輪 * 立ち止まれないときがあります。 どんなに辛くても歩かなければならないことがあります。 足を引きずってでも、ため息をついてでも、たったひとりでも、 一歩一歩と前へ歩かなければならないことがあります。 雨は恵みになるのでしょうか。 辛さに追い討ちをかけることになるのでしょうか。 歩いているいまはわかりません。 いえ、後から思い返してもはっきりとわからないかもしれません。 もう少しとか、あそこまでとか、先が見えれば、 目標をもつことができるかもしれません。 でも、果てがないように思えるときもあります。 ただ、たったひとつ確かめることができることがあります。 歩いていることは、生きている証です。 たったいま生きていることの証です。 歩く一歩は、生きている一歩。 たしかな自分の生を、かみしめて歩いてゆきたいと思います。 <第0526号 2010年9月12日(日)> 見つめる いちばん 大切なことは まっすぐに 見つめること 路地奥に 静かにたたずむ 一匹の ねこのように * 挿一輪 * 気がつくと猫にじっと見つめられていた、ということはありませんか。 ふと視線を感じてか、それとも偶然に見つけたのか、 一匹の猫がひっそりとたたずんでいるのに気がつきます。 猫はきっとずいぶん前から気がついて見ていたに違いありません。 動物にとっては身の危険に関わることなので、 相手を観察することが必要不可欠だからです。 人間同士が相対すときや話し合うときに目を合わさないことは、 危害が加えられないという前提にたってのことなのでしょう。 でなければ、相手を見ないということは、自身に危険なことですから。 まっすぐに見つめてじっと観察する、 そのときこころのなかではあらゆる生命機能を動員して、 対象物が危険か否かを確認しようとしています、 それが人であろうと、猫であろうと、物であろうと。 まっすぐに見つめること。 日常で以外にやっていないことではないでしょうか。 意識して少しずつでも始めてみると、得るものがあるかもしれませんね。 <第0525号 2010年9月5日(日)> 残夏 無人島のような 楠の日影から もうどこへも 出てゆくことが できない 平日の 真昼 鳴いていた蝉が ぽとりと落ちて 日向に おなかを見せた 休日の 真昼 汗のように 溶けてゆく べっ甲飴の時間 * 挿一輪 * まるで常夏の国になってしまったような毎日です。 樹も虫も空気までもが疲れているように思えてしまいます。 9月の声を聞いても日差しの強さは変わりません。 日影を選んで歩いているときは、まだいいのですが、 さあ、ここからしばらくは炎天下だ、と思うと、 最後の日影がオアシスのように思えて、次の一歩が踏み出せません。 それにしても、今年ほど秋風が待たれる年はないように思います。 気持ちよく青空を見上げる季節が来たなら、 この暑さも語り草になるのでしょうか。 |
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