<第0533号 2010年10月31日(日)> ねずみ色 雪のようなねこが ひらめくように 目の前にあらわれる 背景の塀が 白から濃茶に かわっただけなのだが そういえば 今日のわたしは ねずみ色の空に 溶け込むような 凹凸のない 不定形生物 * 挿一輪 * 動物や昆虫、魚は、身を守るのに保護色を使います。 自分と同じ色の背景に溶け込むと、 忍者の隠れ蓑のように一瞬で姿を隠せます。 人間には保護色はありませんが、背景と同じ色の服を着ていると、 遠くから見てふと見過ごしてしまうことがあります。 目の錯覚なのですがおもしろいものですね。 雨や曇りの日の夕方は、色彩に乏しいねずみ色の風景が広がります。 気分が落ち込んでいるときに歩いていると、 そんな周囲の色の中に溶け込んで埋もれてしまいそうです。 青空の真下で、満ち溢れている光と溶け合うような、 そんな笑顔がいちばんいいのですが、 ねずみいろの景色の中ではむずかしいですね。 保護色を必要としない自分自身の色をしっかりと持って、 日々を生きてゆけたらいちばんいいのでしょうが。 <第0532号 2010年10月24日(日)> いたずら 黄色い花が咲く道を 風と一緒に歩く たったそれだけの 今朝のひとときを 透明な紙飛行機に ていねいに折りこんで 思い出の あなたのまんなかに 溶かしてみる いたずら * 挿一輪 * タイムマシンはできそうでできない夢の機械です。 時間を自由自在に旅行できたら楽しいと思う反面、 過去や未来をもし変えてしまったら大変なことになりそうです。 そんな夢の機械に頼らなくても、 人間は過去にはたやすく、思い出の中へ旅ができます。 過去を変えることはできませんが、 どんなに記憶の隅に追いやられていても、 何気ないきっかけで鮮やかにその場面に立つことができます。 だれもがこころのなかにそれぞれのタイムマシンを持っています。 たまに、今現在の自分が、そんな過去の一場面に登場したら、 そんな想像をしてしまいます。 こころのなかの一場面には、小さないたずらをしても問題はありません。 過去は決して変わりませんが、でもこうした気持ちがもてるのも、 辛いことや悲しいことまで秋の澄んだ一日のように、 しんとした気持ちで振り返ることができるようになった証拠です。 ふと、こころのタイムマシンに乗って思い出のなかに行き、 今の自分を見つめなおす、小さないたずらを楽しめたらいいですね。。 <第0531号 2010年10月17日(日)> 秋の一日 晴れた秋の昼下がりには 大工仕事の音が 気持ちの良い路地を ビリヤードの玉のように かけめぐり かけめぐり きじとらのネコと一緒に 金木犀の根元の穴に 競うように ことん ことん 運動会 * 挿一輪 * 乾いた秋の空気のなかで、いつもは気がつかない音たちが、 大きく伸びをしたり、駈け跳ねています。 秋の運動会のように、音たちも何かの種目を競っているのでしょうか。 もし障害物競走に出たのなら、 その巧みなフットワークできっと1等賞でしょうね。 いつも静かにしているから、おとなしいからといって、 存在がないわけではありません。 見方や角度を変えることによって、逆光のなかに小石が浮き出るように、 だれもがふっと浮かび上がってくることができます。 見えないものは、そこにないものではありません、 ただ見えてないだけのことにすぎません。 ふだん見えていないような小さな、 いえ逆にあまりに大きすぎて見えないものたちまでも、 秋の晴天の一日には、探してみるのもいいのかもしれません、 あなただけの澄んだ秋の瞳で。 <第0530号 2010年10月10日(日)> いい 恨み より 笑い が いい 邪魔にする より ゆずるの が いい 勝ち負けより 足下の ぴかりと光る ガラスのかけらに 語るの が いい 夏の実りではなく 冬の支度でもなく 秋の ただ秋の まんなかに ぽつりと立つの が いい * 挿一輪 * それぞれの考え方や、生き方があると思います。 十人十色、そのすべてが個性であり、尊重すべきものです。 人間だけでなく、樹や草や花、小さな虫から動物たちまで、 いのちには、いのちなりの生き方があります。 共通していることは、生まれたから死ぬまでの時間を、 それぞれの生き方で生き抜くこと。 いのちとしての自分を信じて生き抜くこと。 それがしっかりとできていれば、 後は、それぞれの輪郭がなくなるまで、 思いのままに自分を生きればいいと思います。 いちばん大切なことは、 いま、ここ、わたしを、 そのままで生ききることがいちばん。 でも。 ひっくり返って秋の空を見上げると、 「まあまあ、むずかしいことをいわないで、よっていきなよ」 田舎のおばあちゃんの顔のような雲が、 ふんわりと笑っていました。 <第0529号 2010年10月3日(日)> 矢印 矢印があると つい見てしまう 矢印の先を 見つめてしまう 沿ってゆけば なにがあるのだろう 目的地には だれがいるのだろう すぐに結果を知りたいときと しばらく探していたいときと なあんだこれと残念なときと 思わず目を輝かすときと 不思議だな 矢印 * 挿一輪 * 意識してみると身近に目に付くのが矢印です。 道路の標識、駅の構内、ショッピングセンター、 外に出てみれば、いつのまにか矢印に導かれていることがあります。 目的を持って矢印の方向に行くのがほとんどですが、 たまに何気なく矢印に沿って、 指し示す方向に行ってしまうこともあります。 矢印の先の部分には「こっち」という語りかけがあるのでしょう、 思わぬところに出てしまい笑い出してしまうこともあります。 何か探し物をしているときの矢印はこころ強いのですが、 いつでもどこでも矢印があるとは限りません。 また、逆にふと目に付いた矢印の方向に行ったなら、 かえって迷ってしまうことも意外と多いのです。 矢印は目安にしてしっかりと目的地を探したいものです。 でも、たまには矢印に沿って、 あてどもなく歩いてゆくのもおもしろいかもしれません。 その先にあるものに、新しい発見が待っていると楽しいですね。 |
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