2011年5月のこびん

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<第0563号 2011年5月29日(日)>

       風の涙

         ピカリと
         風が光った
         
         ピカリと
         呼応するなにかが光った
         
         ずっと向こうから
         子どものころの
         わたしが歩いてくる
         
         近づくにつれて
         透明になって
         速度を増して
         
         ほらほら
         いつのまにか
         ピカリと光る
         風の涙になる
         
         ほんとうに
         なりたかったものが
         みえたような
         幻の絵画


   * 挿一輪 *

 木の葉のすきまから、
 自転車の車輪から、
 かかげる指の間から、
 ピカリと太陽が光ります。
 
 まぶしいほどの初夏の光がこぼれ満ち溢れ、
 思わず目をつぶってしまうほどです。
 
 光と一緒に、風が生まれます。
 それとも、風が吹くからピカリと光るのでしょうか。
 
 その一瞬の出会いのなかで、
 わたしたちいのちも呼応して光っています。
 
 子どものころからずっといままで、
 光に包まれて忘れることの出来ない記憶は、
 意外と多いのではないのでしょうか。
 
 楽しいにつけ、哀しいにつけ、
 そんな場面を積み重ねて年を重ねてゆくのかもしれません。
 
 一瞬の光のなかで書きとめた小さな絵画、
 あなたは、いくつ数えることができますか。


<第0562号 2011年5月22日(日)>

       とつぜん

         わたし
         気がついた
         
         この目がわたしのもの
         この耳がわたしのもの
         
         そして
         こころはわたしのもの
         
         ずっと
         ずっと
         生きてきて
         
         ある日
         とつぜんに
         気がついた
         
         だれかに
         教えてもらったのか
         教えてもらっていても
         無視していたのか
         
         でも
         わたし
         気がついた
         
         夏をむかえる
         雷雨のように
         
         ピカリと


   * 挿一輪 *

 気がつくということは、不意にやってきます。
 
 ほんとうはずっと準備期間があって、
 その結果見えてくるのですが、
 ある日突然堰を切ったように、
 「あ、そうか」って、納得するまで、
 ずっともやもやと気がつかないものです。
 
 不思議ですね。
 気がつく、って。
 気がつけること、って。
 
 まだまだ捨てたものではありません。
 まだまだ諦めるものではありません。
 
 大切なのは、
 ずっと気がつかないほど長い準備期間。
 疑問は捨てないこと。
 どんなことでも、自分のこころに留めておくこと。
 
 そうすれば、ある日なにかがきっかけで、
 ほら、ピカリと。


<第0561号 2011年5月15日(日)>

       よろこんで

         五月の息のように
         話すあなた
         
         五月の息のように
         さえずるひばり
         
         五月の息のように
         ゆれるひめじょうおん
         
         でもほんとうは
         五月の息は
         どんな匂いをしている
         どんな爪で触れてくる
         
         五月の息を思いっきり
         いいかげんくたびれた肺に
         吸いこみ吸いこみ
         富山の薬屋さんからもらった
         紙風船のように
         しわしわとふくらまし
         
         わたしでもそのまま
         五月の息になれるなら
         そのために
         パンと破裂しなければならぬなら
         
         よろこんで
         よろこんで
         やっとみつけた場所のように
         よろこんで
         
         五月の息そのままになる
         わたし


   * 挿一輪 *

 いのちと引き換えにしても欲しいもの、ってありますか。
 
 ちょっと過激なことばですが、
 そうまで思いつめて欲しくなるものがすぐに思いつく人は、
 しっかりと目標を定めて生きてゆける人かもしれません。
 
 実際、いのちと引き換えにしたら、
 当の本人はいなくなるのですから、
 その欲しいものを手にとって見ることもできないかもしれません。
 
 それでも、どうしても欲しい、形のあるものにしろ、ないものにしろ。
 
 人間の欲には際限がないといわれますが、
 欲望の数だけではなく、その求め方にも当てはまるのでしょう。
 
 そこまでして、と思う人がほとんどでしょうが、
 はてさて、では、ほんとうにありませんか、と聞かれたなら、
 あなたはどんなイメージをもちますか?
 
 たまには、部屋の整理をするように、
 ごそごそとこころのなかの整理をしてみたらいかがでしょう。
 
 ずっと、忘れてしまっていた、ほんとうに欲しいもの、
 が、みつかるかもしれませんから。


<第0560号 2011年5月8日(日)>

       とうめいな

         ささえ
         ぽんと蹴ってみた
         
         ささえ
         ぽんとはずれて
         ころころころころ
         風に追われ
         
         ささえ
         なくなったから
         
         わたし
         たおれるのかな
         
         ささえ
         ころりととまって
         ひだまりで
         にっこり笑み
         
         ささえ
         見えないけれど
         
         わたし
         なかからのびてきた
         
         とうめいな
         とうめいな
         五月の息のように


   * 挿一輪 *

 ささえは大切です。
 しっかりと作っておかないと倒れてしまいます。
 ささえがあると安心です。
 いつまでもそこにいて欲しいと願っています。
 
 でも、ささえられていることは危ういことです。
 なにかの拍子にはずれてしまうと大変です。
 いえ、はずれてしまったらと心配するとそれだけで気になります。
 
 そのささえがポンと音をたててはずれたら、
 あっというまに倒れてしまうのでしょうか。
 もう起き上がれないのでしょうか。
 
 いえいえ、目をしっかり開けてみてください。
 倒れることなく立っています。
 不思議ですね。
 
 恐る恐る見てみると、
 なにもないはずのところに、
 静かにささえてくれているものがありませんか。
 あなたのなかから伸びてきたささえです。
 
 いのちはとても強いものです。
 自身のささえを信じて歩き始めてください。
 さわやかな五月の風のなかを。


<第0559号 2011年5月1日(日)>

       守るもの

         笑みのように
         守る
         しずかにひっそりと
         
         あなたにとって
         他愛もないもの
         通りすぎるもの
         困らないもの
         
         たったひとつ
         守る
         わたしのこころで
         
         やわらかなまなざし
         かたちのないよびかけ
         ふるさとのかおり
         
         なすすべもなく
         守る
         ひとつのからだで
         
         ああ あれからずっと
         とどまることなく
         脈打ち呼吸し流れ続ける
         このいのちが
         
         そうまでもして
         守る
         守りたい
         
         とるにたりない折れてしまいそうな
         小さな小さなささやかな消えそうな
         ささえ


   * 挿一輪 *

 あなたとわたしでは守るものが違います。
 
 どんなに小さなものささやかなものでも、
 だれかにとって守るものであるのなら、
 それは特別の意味をもつことになります。
 
 不思議ですね。
 あなたが目にもとめずに通り過ぎるものも、
 わたしにとっては愛おしいものかもしれませんし、
 その逆に、
 あなたがとても大切に思うものを、
 わたしがないがしろにしているかもしれません。
 
 守りたい、と思う気持ちの強さは同じでも、
 その対象は時には相反して敵対することもあります。
 
 それでも、
 どんなささやかなものでも、
 守りたい。
 力およばず、身を切るほどの思いをしても、
 守りたい。
 それは決して否定されることではありません。
 
 守るものがあったのなら、
 また、見つかったのなら、
 全身全霊をこめて守ってください。
 
 それが、あなたのいのちの求めるものなのですから。




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