2011年6月のこびん

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<第0567号 2011年6月26日(日)>

       切符の空間

         しめやかな
         いとおしげな
         一枚の切符
         
         立ち止まって
         切符にハサミを入れてもらった
         
         回数券なら
         切り離すタイプ
         金額によって変わる色
         
         立ち止まって
         運賃箱に回数券を入れた
         
         ほらずっと後でも
         てのひらの湿度さえも
         あざやかに
         
         鉄道もバスも
         一枚のカードで
         前を見て速足で通過できる今
         
         できるのならとっておきたい
         その一瞬の空間
         ビー玉のきらめき


   * 挿一輪 *

 とても便利な世の中になりました。
 駅の改札もバスの運賃も、一枚のカードで精算ができます。
 
 自分の持っている一枚のカードと、受ける機械がそこにあれば、
 係りの人はただ見ているだけでいいのです。
 
 切符の一枚一枚にハサミを入れていた駅の改札員や、
 運賃箱にお金や回数券を入れる時のバスの運転手さん、
 それぞれに個性があって、無愛想な人もそうでない人も、
 その場面まるごと空気感まで覚えていることもあります。
 
 カードをタッチする面だけ見てうつむいて通過する、
 そこには何も残るものがありません。
 それはそれでいいという人もあるでしょうが。
 
 引き出しの探し物をしていて、そんな切符や回数券の残りが、
 奥のほうから出てくることがあります。
 整理するのが面倒で不精をしてしまいますが、
 こんなときはつい手にとって思いにふけることもあります。
 
 そのときの場面を空気感まで含めてまるごと残す。
 そのためにも通過ではなく立ち止まることが、
 短い時間でも大切なことだと思えてなりません。


<第0566号 2011年6月19日(日)>

       紫陽花

         ふかしぎいろ
         薄い花びら
         いちまいに
         
         いくえにも
         いくえにも
         おりたたみ
         
         色彩を閉じ込めた
         6月の雲の下
         目をひらく
         
         なんにも
         なんにも
         わからなくなって
         
         そんなことないよ
         この湿った風は
         そっと触れる
         
         眠っている
         忘れている
         自分には見えない
         
         でもほんとうは
         記憶の奥からの
         こころの奥からの
         
         ふかしぎいろ
         ささやかな
         しめやかな


   * 挿一輪 *

 紫陽花の緑のがくは、七色の変化を秘めています。
 梅雨空の灰色の雲の下、艶やかな夢をもっています。
 
 紫陽花だけではなく、人もまたそうかもしれません。
 無表情な顔の下には、様々な色合いを隠しもっています。
 
 うれしいとき、かなしいとき、それぞれに色が現れてきます。
 輝く色もあればくすむ色もあり、
 複雑で喩えようのない不可思議色も漣のようによぎります。
 
 表向きに色彩が感じられなくても、
 実は数限りない色彩が集まっているのかもしれません。
 色を重ねてゆけば重ねるほど灰色に近くなります。
 
 気持ちが沈んだとき、
 その灰色の気持ちのなかに、
 実はとても豊かな色彩があることに気がつけば、
 色を紐解くことによって、
 鮮やかな三原色を取り出すことができるかもしれませんね。


<第0565号 2011年6月12日(日)>

       ちゅうちょなく

         あのころ
         すすんだみちは
         ふりかえらなかった
         
         あのころ
         ずっとさきは
         おもってもみなかった
         
         ただ
         そこにいることが
         ただ
         それだけで
         まぶしく
         やくどうしていた
         
         なにゆえ
         そのときを
         なにゆえ
         そのばしょを
         
         たしかめることも
         ふみしめることも
         ほりさげることも
         
         なくても
         きにならなかった
         
         かけられたこえに
         ちゅうちょなく
         むぼうびに
         すのままで
         ふりむけた
         
         あのころ
         ふかしぎいろ


   * 挿一輪 *

 年を重ねるたびに、様々な体験が増えます。
 社会のなかの付き合いも増え、
 ひととひととの関わりあいのなかで、学習しながら生きてゆきます。
 
 もっとはっきり言ってしまうなら、
 たくさんの糧をもらい、喜びをもらい、
 お返しにささやかな想いを贈ることもあります。
 その一方で、傷つけ、傷つけられ、
 悲しみやぞっとする憎しみの淵をみることもあります。
 
 経験はひとを育ててゆきます。
 できるなら気持ちのいい育ち方をしたいと思いますが、
 つまずく石は無数にころがっています、
 蹴飛ばして飛んでゆく小石から、行く手を阻む巨石まで。
 
 その光景を毎日目にしていると、
 かまえてしまい次の一歩がさっと出ないことが多くなります。
 ちゅうちょなく、というと、きっぱりしているようですが、
 実はとてもむずかしいものになってしまっています。
 
 経験の浅い、まだまだ子どもだったころ、
 疑いもなく、その分すばやい反応ができたあのころ。
 
 元に戻ることはできませんが、
 気持ちだけでも取り戻したいものですね。


<第0564号 2011年6月5日(日)>

       いつでもここに

         幻の絵画
         たずねあるく
         小さな画廊
         
         飾られているのは
         古びた額縁だけ
         絵もなく
         カンバスもない
         
         ふと見ると
         「売約済み」
         どんな絵があったのですか
         
         画廊の主人は
         にっこりと笑い
         お待ちしていました
         もうずっと
         お待ちしていました
         
         「売約済み」の横には
         ○○様とわたしの名が
         
         さあどうぞ
         ここからお入りください
         このなかには
         あなた自身がお入りください
         
         幻の絵画
         タイトルは
         あのころ


   * 挿一輪 *

 「あのころに戻りたい」と思うことがあります。
 ほんの少し、垣間見るほどに覗いてみたい、ということから、
 もう戻ったままずっとそこにい続きたい、という思いまで。
 
 どちらにしろ時間をさかのぼることはできないのですから、
 それは思い出に過ぎないこと・・、
 
 なのでしょうか?
 
 「あのころ」はどこにあるのでしょうか。
 遠い昔におきっぱなしにしてしまったのでしょうか。
 それにしても、時に目の前にあるように鮮やかに見えるもの。
 
 そう、「あのころ」は自分のなかにあります。
 遥か遠くで戻れないようで、
 実は、たったいま生きているこの瞬間にここにあります。
 
 ただ、触れないだけなのかもしれません。
 ただ、変えられないだけかもしれません。
 
 数え切れない「あのころ」のかたまりで、自分はできています。
 だから、いつでも訪ねてゆくことができるのです。
 
 もう「あのころ」には戻れないと嘆くより、
 額縁のなかに自分が入って、そこに静止するだけで、
 タイトル「あのころ」の絵になる、
 そんなことを、思ってみるのもいいのではないでしょうか。




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