2011年11月のこびん

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<第0589号 2011年11月27日(日)>

       雨の旅

         垂直のスケートリンクを
         雨の粒がすべってゆく
         
         大きな瞳の光の種を
         なめらかな背にのせて
         
         風が押して進路を変える
         出会いがしらの挨拶が
         ふたつの光をひとつに
         
         加速される風景
         のぞく顔を包んでゆれる
         
         一本のバーが仮の到達点
         次々と集まって
         盛り上がって
         次のリンクへの透明な切符を
         待っている
         
         さあ一緒に旅に出よう
         雨の日限定の特別便
         早くしないと
         虹のベルが終着を告げるから


   * 挿一輪 *

 朝からしっかりとした雨の一日です。
 窓ガラスに当たる雨の粒を見て憂鬱になってきます。
 
 でも、そんな窓ガラスの雨の粒を見てください。
 雨が降れば降るほど粒は大きくなり、
 ついには耐え切れなくなって下へ滑り出します。
 
 次から次へと続く雨の粒。
 二つ合わさるとスピードも増します。
 まるでガラスの上でスケートをしているようです。
 
 途中で仕切りがあると一時的にたまって盛り上がります。
 まだ雨はやみません。
 続々と雨の粒が到着してそろそろ限界でしょうか。
 
 もっと大きな雨の粒になって下の世界へと出発の時です。
 さあ、一緒に雨の世界を楽しんでみませんか。


<第0588号 2011年11月20日(日)>

       金のボタン

         ふと踏んだ
         金のボタン
         
         道路の片隅の
         すり減った突起
         
         靴の底が覚えてしまいそうな
         行き帰りの道の
         初めて出会った未知のしるべ
         
         足の裏の
         ささやかな反発が
         点字ブロックの杖先のように
         教えてくれた
         「わたしはここ」
         
         なにか語りかけたいのか
         なにか触れあいたいのか
         
         いま、ここ、での
         感触の伝言
         
         足裏のことばをたずさえて
         ふりかえったら
         かたむく西日のなかで
         アイコンタクトのように
         光ったきらり


   * 挿一輪 *

 いつもの道を歩いていたら、靴の底に感じる突起があります。
 石だろうか、段差だろうか、
 点字ブロックはここにはなかったはずだけれど、
 そう思って立ち止まると小さな金属の突起物がありました。
 
 きっとなにかの指標でしょうか、それとも工事の後の置き土産、
 ずっと前からあったのかもしれません、踏まれてすり減って、
 角が丸くなった金色のボタンのようです。
 
 数え切れないほど往復に使った道なので、
 ただ気がつかなかったとしかいいようがありません。
 足の裏のかすかな感触だけが、初めての出会いを教えてくれました。
 
 それにしても、
 この金色のボタンはなにかを伝えたかったのでしょうか。
 偶然の出会いを求めて、風雨にさらされながら待っていたのでしょうか。
 
 気がついてみると、そんなささやかな出会いが、
 街のなかにはどこにもあるように思えます。
 なんだ、つまずくとあぶないじゃないか、なんて眉をひそめないで、
 小さな驚きを楽しむ気持ちをもちたいものです。


<第0587号 2011年11月13日(日)>

       水滴

         生まれたばかりの
         小さな水滴が
         雨の街を
         サラリと着ている
         
         数ある秋の衣装箱から
         いちばん地味な
         けれどしっとりとした
         薄い鏡をまとっている
         
         昨夜の夢を
         ひっそりと抱きながら
         だれが覗きこんでも
         想いをあかさない
         
         生まれたばかりの
         小さな水滴が
         雨の街を
         揺らしている
         
         自分を支えられる
         ぎりぎりの重さまで
         羽衣の衣装を
         空に返すまで


   * 挿一輪 *

 雨の日の水滴に景色が映りこんでいます。
 こんな小さな水滴なのに、
 のぞきこむ自分を含めて周りがぐるりと入っています。
 
 水滴は透明なので色はありません。
 映るものを見るのは自分の目ですし、
 表面にはその都度衣装を変えるように模様が変わります。
 
 水滴はだんだん大きくなって、
 映る景色も大きくなって、
 ぎりぎりのところまでいって、ぽとりと落ちます。
 
 表面の景色はそれとともに消え、
 また新しい水滴が次々と生まれてきます。
 
 じっと見ていると飽きません。
 自分もこうしてこの世の景色を仮の衣装として身に映して、
 生きているのでしょうか。
 
 それにしても透明なままの水滴の無垢なこと。
 いのちの本来の姿は、
 こんなにも澄んでいるのかもしれませんね。


<第0586号 2011年11月6日(日)>

       視線

         ふと感じる
         視線
         
         壁に打ってあるふたつの鋲
         眠そうな目
         
         雨あがりのアスファルト
         とがったくちばしの鳥
         
         並んだたんぽぽ
         太陽のめがね
         
         無意識に探している
         視線
         
         生きてゆくことは
         だれかと
         なにかと
         目を合わすこと
         
         うつむくことも
         みあげることも
         いつかつながる
         新しい視線に


   * 挿一輪 *

 歩いていてふと感じる視線。
 あれ?と思って立ち止まってもだれもいません。
 
 用事があるとそのまま歩き出してしまいますが、
 散歩のときはキョロキョロと見回します。
 
 しばらく探していると目が合います。
 こちらを見ている小さなものたちの視線と。
 
 なんだ、顔の目に見えてしまう、掲示板の画鋲じゃないか、とか、
 昨夜の雨が残していった道路のしみではないか、とか、
 他愛のないものかもしれません。
 
 でも、最初に呼び止められたような視線の感じ。
 意外と自分が無意識に探しているものかもしれません。
 
 人は人をいつもどこかで探しているものなのでしょうか?
 視線を意識するのは生きているひとつの糧かもしれませんね。




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