<第0598号 2012年1月29日(日)> 琥珀 かたちあるものが こうして閉じこめられる どんなにちいさくても どんなにやわらかくても ジュラ紀や白亜紀の 骨格さえおよばないほど つややかなおだやかな 光に抱かれつづける もしも 想いやまなざしや 涙やことばをそのままに 琥珀色のこころに封じ 三千万年の眠りのように あなたのてのひらにのせたなら * 挿一輪 * 琥珀(こはく)色の語源になる琥珀は樹脂が固まったものです。 とても神秘的な色をしていますが、 そのなかに数千万年前もの昆虫たちが閉じ込められたものがあります。 普通に地表に置いておかれたらすぐに形が無くなってしまうものも、 琥珀に閉じ込められたおかげでそのままの形を保っています。 化石や恐竜の骨など発掘されるものは、固いものに限られますが、 ハチやアリやチョウのような儚げな虫たちが、 目の前にそのままの姿で見られることは奇跡的なことです。 いまこの瞬間にもどこかで松ヤニなどの樹脂に閉じ込められて、 何千万年後かに琥珀になるものがあるかもしれません。 けれど、琥珀に閉じ込められるのは形あるもののみです。 形のないこころや想い、ことばなどは、 どんなに奇跡が起ころうと琥珀のなかに閉じ込めることはできません。 このままの想いを伝えたい、そう思ったなら、 いますぐ直接伝えないとだめなのでしょうか。 そんな気持ちなど我知らずというように、、 琥珀は相変わらず魅惑的な光を送り続けています。 <第0597号 2012年1月22日(日)> 春になるまで てぶくろが あたたかいのは あなたの手が あたたかいから てぶくろが あたたかいのは わたしの手が あたたかいから てぶくろから 片方ずつ出してつなぐ あなたの手とわたしの手 春になるまでは それぞれの手が それぞれのてぶくろ * 挿一輪 * 寒い日が続きます。 二十四節気も小寒を過ぎ大寒へと入りました。 今年の冬は例年より厳しく、 指先の赤いしもやけをさすりながらあたたかな季節を想います。 てぶくろやマフラー、ダウンジャケットやヒートテックなど、 防寒具は年々工夫がほどこされ、保温効果が良くなっています。 でも、どんな防寒具でも、あたためるのは自分の体温です。 自分のあたたかさを逃がさず保つ工夫、それに尽きるようです。 暖房はいちばん手軽ですが、あたためたその時は良いのですが、 外出するときは空気と一緒には持ってゆけません。 その点、自分の体温は逃がさない限り大丈夫ですね。 生きていることは、それ自身があたたかいことなのでしょう。 あたたかな手とあたたかな手をつなぐとき、 お互いが生きていることをしっかりと感じます。 二十四節気の大寒を過ぎると次は何かご存知ですか。 そう、立春です。 春の入り口はもうすぐですね。 <第0596号 2012年1月15日(日)> スローモーション ちょうの羽が動く スローモーションの画面で ゆっくりとゆっくりと リズムをきざむ わたしのことばは どんな飛翔になる 口から飛び出した 無防備なこころは 一秒のなかで 何百何千もの 焼き尽くす元の火花 一秒のなかで 何百何千もの マークされた光る待ち針 * 挿一輪 * 蝶々の飛翔のビデオを見ました。 高速撮影のためスローモーションの画面で、 羽の動きがゆっくりゆっくりとよく分かりました。 普段見ているものをスローモーションで見ると、 とても不思議な動きに魅入られてしまいます。 見ている世界のなかで、実は見えていない世界。 時間は縦にも横にも立体的な一瞬一瞬を含んで動きます。 あなたの話すことばはどうでしょう。 短い間に伝えられるさまざまなことばたち。 スローモーションでもし見ることができるのなら、 どんな形でどんな飛び方をするのでしょう。 当たり前のように交わされる会話。 変わらないように思える日常のひとコマ。 じっくりと見て、美しい飛翔ならほっと安心できますね。 <第0595号 2012年1月8日(日)> ただ 群青色の大きなえいの ひらひら波打つ 背中に乗って 冬の空に始まる旅 シナモンの枝一本 くちばしにはさみ そのまま 青い湾に浮かぶ鳥になる 翼はどこからでも生える ただ見えないだけ ただ澄みきっているだけ ことばはいつでも生まれる ただ聞こえないだけ ただ白磁の波紋だけ * 挿一輪 * 抜けるような青空、形を変える白い雲。 時々、仰ぎ見ていると大海原を俯瞰(ふかん)している錯覚に。 人の目はだまされやすく、 だからこそ遠近法や3Dの効果が楽しめます。 見えるもの、聞こえるものが、そのままこの世界全部だと思うと、 とんでもない間違いをしたり、損をしたりします。 いえ、それどころか、 見えているもの、聞こえているものでも、認識し覚えているものは、 この世界の中でほんのわずかに過ぎません。 だからこそ、身近の、日常の中に、未知と思われる発見があります。 なあんだ、と、がっかりするか、 あ、こんなものがあったんだ、と新鮮な驚きを感じるか、 その差だけでも、小さな積み重ねだけでも、 生きてゆくうえで大きな違いが出てきます。 遠くへ行かなくても、特殊な技術を身につけなくても、 あなたの身の回りで、日々、新しいもの、見つけられます。 ぜひ、毎日、ひとつでもいいから、発見してくださいね。 <第0594号 2012年1月1日(日)> はじまり いつも ポケットのなかに メモ帳と鉛筆 小さなカメラ いつでも たずねてくる 香りの波紋 肩たたく音 うまれるものは 陽だまり 鼓動 うまれるものは 「いま」 「わたし」 * 挿一輪 * 「わたし」は生きています。 いのちを入れた器(うつわ)です。 器は外界に触れ五感をいのちに伝えます。 それはだれでも同じなのですが。 生きている「わたし」のいのちが、 それにどう反応するか、どう応対するかは、 それぞれの「わたし」によって違います。 だからこそ、たったひとつの「わたし」 外界が同じでもいのちは「わたし」の数だけある理由。 その「わたし」 今年もまた新たないのちを刻みはじめます。 目を見開いてください。 耳を澄ませてください。 小さな、でもたしかな鼓動が確かめられますか。 「わたし」の器に当たってくる外界が。 「わたし」のなかのいのちの反応が。 生きているこの瞬間を、 そのまま「わたし」にしてください。 |
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