2012年3月のこびん

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<第0606号 2012年3月25日(日)>

       あせび

         あせびあせび
         教えておくれ
         もろての毒の
         そのわけを
         
         あせびあせび
         教えておくれ
         ひとみの鈴の
         そのわけを
         
         とおくでじっと見てるとき
         ちかくでほほをよせるとき
         おもわずそっとふれるとき
         
         あせびあせび
         教えておくれ
         おまえの気持ちは
         どちらかと


   * 挿一輪 *

 ひだまりにあせびの花を見つけました。
 鈴のような花はとても可憐です。
 でもその花とはうらはらに葉には毒があります。
 
 馬酔木の名の所以は、
 その葉が馬をもしびれさせるほどの毒をもっているからです。
 
 不思議なようですが木には木の生き様があります。
 花には受粉のため虫を誘わなくてはならないし、
 さりとて自らが獣に食べられては困ります。
 
 木の持つさまざまな匂いや毒には、
 それなりの生き残る術があるはずです。
 
 人間にも誘う花と嫌う毒があるのでしょうか。
 生きるための知恵とはいい、
 ふかく知れば知るほど不思議な世界ですね。


<第0605号 2012年3月18日(日)>

       なみだ

         雨の日の葉に育つ
         透明な水滴のように
         ゆっくり大きくなり
         ついにはたえきれず
         
         ぽとりと落ちる
         大粒のなみだ
         でも雨はまだふりつづく
         水滴は大きくなり落ちて
         
         空の傷口からのなみだ
         がまんしなくてもいいから
         むりをしなくてもいいから
         
         泣いてごらん泣いてごらん
         雨がふりやむまでは
         傷口が癒されるまでは


   * 挿一輪 *

 泣きたくても泣けないときがあります。
 泣いてからといってどうにもならないときには、
 そう自分の気が張っているときには涙は出てきません。
 
 最初の涙の一滴がどこかでひっかかって出てこないのです。
 あふれそうな水がコップの淵で表面張力の力によって、
 ぎりぎりの均衡を保っているのを見ているようです。
 
 でも、何かの拍子でその均衡が崩れ、
 最初の一滴が出てしまうと、
 後はもうとどめようもなく涙が次々とあふれてきます。
 
 まるで雨の日の葉についた水滴が、
 どんどん大きくなっては落ちてゆくのを繰り返すように。
 
 雨はいつかふりやみます。
 そのとき水滴も止まり静かに空に帰ります。
 後には雲ひとつない空が待っていることが多いのです。
 
 がまんしないで泣くことは決して恥ずかしいことではありません。
 どうしても泣けないときは仕方がないとしても、
 傷口からこぼれるようにただ泣いてみるのもいいのかもしれません。
 
 雨のやむ日があるように涙も止まる日があると思います。
 傷口が癒されたのなら青空をじっと見上げてみませんか。


<第0604号 2012年3月11日(日)>

       いのちの

         無理なくゆっくりと
         歩く速さは
         自分にいちばんここちよい
         いのちの速さ
         
         競うように走るより
         疲れたように足をひきずるより
         自分にいちばんここちよい
         いのちのリズム
         
         吹く風のように
         見上げる空の雲のように
         まかせきる鼓動のように
         
         変わらないようで
         決して同じ時がない
         繰り返すいのちの波紋


   * 挿一輪 *

 むずかしいことでしょうか、
 自分にいちばん心地よい速さで歩くことが。
 
 むずかしいことでしょうか、
 自分にいちばん心地よい速さで生きることが。
 
 まっすぐ前を向いているつもりが、
 いつのまにか横に歩いているだれかしか目に入らなくなったり、
 数え切れない人たちの乱舞のような雑踏に、
 自分の行く方向を見失ったり。
 
 ゆったりと生きることは輪郭をぼかすことではありません。
 くっきりと自分の立ち位置を確かめるきっかけになります。
 
 自分のいのちの速さで生きること。
 それがいちばんの生き方かもしれませんね。


<第0603号 2012年3月4日(日)>

       はこぶ

         運命とは
         いのちをはこぶこと
         いっときいっときを
         ていねいにこわさずに
         
         はこぶうつわはあなた自身
         選ばれて選ばれて
         あるときぽんと
         いのちを入れられた
         
         ゆっくりと歩くあなた
         全速力で翔けるあなた
         立ち止まって休むあなた
         
         どんなときでも
         いのちはしっかりとはこばれている
         感謝をこめて返せる日まで


   * 挿一輪 *

 運命ということばには強い響きがあります。
 まるで決まってしまって抗うことができない、
 あきらめのような感じを持つことが多いような気がします。
 
 しかし、運命とは押しつけられたものでもありませんし、
 決定して変えられないものでもありません。
 自分で切り開いてゆくことも可能なものです。
 
 運命を「いのちをはこぶ」と読んだらどうでしょうか。
 生まれたときに与えられたいのちを、
 自分と言ううつわに入れて、
 生きているあいだ運んでゆく。
 そして、最後にそっとうつわを開いて返してゆく。
 
 ひとときの借りたものだから、
 自分を選んでもらって入れてもらったものだから、
 大切にていねいに運んでゆきたいですね。
 
 運命とは「いのちをはこぶ」こと、
 そう思ったら意外と自然体で生きることができるのかもしれません。
 一日一日、ていねいに大切にいのちを運ぶことだけを、
 それだけをこころがければいいのですから。




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