<第0628号 2012年8月26日(日)> 時計屋 時計屋の時計は 気ままな時計 となりどうしでも 同じ顔でも 好きに時間を刻んでいる 時計屋の時計は 気ままな時計 おなかがすいたら ぱたりと昼寝 寝ぼけまなこで 勝手に正午 それでも主人の標準時計 文句一つもいわないで 基準はおれさ正確無比と 5分遅れの時報をならす 時計屋の時計は 気ままな時計 ネコもまるまる 気ままな時計 * 挿一輪 * 街中に古い時計屋をみつけることがあります。 お客さんの姿もなくひっそりとたたずんでいたりします。 ショーウインドウには掛け時計や腕時計が並んでいます。 値札は日に焼けて色あせています。 時間はそれぞれ勝手な時間を教えています。 電池切れなのか動かない時計もあります。 ちょっと時間が知りたいときなど困ってしまいます。 考えてみると時間は不思議です。 だれでも同じ時間が流れているからです。 24時間だれにも等しく配られています。 でも、ほんとうは、 それぞれに違った時間が流れているのではないのでしょうか。 いま、たまたま隣同士の人が、同じ時間で生きているのでしょうか。 それぞれの時間が流れていてもいいと思いますが、 それならば、好きな時間の使い方ができそうですね。 時計屋さんの大きな柱時計。 基準の時間をしっかりと刻んだはずが、 もうお疲れなのか、少し遅れ気味です。 わたしは、そんな時計たちが妙に愛しくて仕方がありません。 <第0627号 2012年8月19日(日)> せみしぐれ だれかが お宮の杜の 洗濯機のスイッチを入れた シャワシャワシャワと わたしのまわりで せみしぐれが おそろしいいきおいで まわりはじめた 見上げたら 緑の木漏れ日のネット 気持ちの良い 風の洗剤まで注入されて わたしは 頭からつま先まで 洗いざらしの夏になる * 挿一輪 * お宮の杜は子どものころからの遊び場でした。 夏休みに入ると友達と虫取りに行ったものです。 どんなに暑くても涼しい風と木漏れ日が揺れて、 おまけにうるさいほどのせみたちの合唱。 思わず高い高い杜の木立を見上げて、 その時は妙に静かに神妙になったいました。 なにか得体の知れない大きなものに包まれた思いで、 知らず知らずのうちに自然の力を感じていたのかもしれません。 子どものころにわけも分からず感じた感触を、 大人になってもお宮の杜で感じています。 自然の懐は、いつまでも深く深く残っていてほしいですね。 <第0626号 2012年8月12日(日)> 不器用 角を曲がったら 破裂したように ジジッと飛び立った へいにぶつかり 車のボンネットにぶつかり 洗濯物をかすって 屋根のむこうにころげていった そんなにあわてなくても 大丈夫なのに こんなに広い空だから おおらかに飛べばいいのに せみは 二日目の羽をさすりながら やっと夏の続きをうたいはじめた * 挿一輪 * 8月も半ばくらいになると、落ちて動かなくなったせみの姿が、 ひとつ、ふたつと目につき始めます。 七年間の地中の後に、地上に出てからの7日あまりのいのち。 そのためでしょうか、どうも飛び方がうまくないように思います。 鳴き続けていたせみの声がふととまったかと思うと、 何かに驚いたように飛び立ってゆくのですが、 大きくカーブを描いては、建物や電柱などに当たって、 ほうほうのていで逃げてゆくようにさえ思えます。 昆虫たちのなかでも、 「おまえ、ほんとうに不器用だな」と、 あきれ返られているのかもしれません。 しかし、どんなに不器用でも、短い間に生きる力は強く、 ひっくり返っているせみでも、また飛び始めるものもあるくらいです。 そんなセミの姿を見ていると、 不器用なことをそのままの形で見守りたくなりますね。 <第0625号 2012年8月5日(日)> 扇風機 風をつむぎだす 四枚の羽 動き出すと 姿が消える 姿を消して風になって 羽は遠くに行ってみた あの高い青の草原の 真っ白な馬を翔けさせるために じっとみつめている 小さな瞳は気がつかない 透明な羽が 回っているあいだだけ 羽は空いっぱいの 四つ葉のクローバー * 挿一輪 * 扇風機の羽を見ることができるのは止まっているときだけです。 涼しい風にあたっている時は見えません。 風をつむぎだすときに羽は透明になり、 いったいどこに行ってしまったのでしょうか。 夏空を見上げると、空いっぱいに風が吹き、 大きな白い雲がゆっくりと動き始めます。 羽は空に風を作りにいったのでしょうか。 いっしょに透明な羽になり、 大空の白い雲を動かしてみたいですね。 |
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