<第0646号 2012年12月30日(日)> 階段 決められている 一歩の幅も 一歩の高さも 歩くリズムも 決められている 始まりも どこまで上がって折り返すかも 一休みの踊り場も すれ違うときも 声をかけれない 見つめるのは足元 空を見ることもない 少し高いところへ もっと高いところへ こわいほど深いところへ もう一段暗い深みへ 階段は 規格を検査するラインのように 不適合な足を 選んでは捨てる どんな小さな足も どんな危うげな足も ゆったりとつつみこむ やわらかな坂を だれか返してください * 挿一輪 * 駅の階段。 歩道橋。 地下への階段。 以前は坂道だった場所も滑りやすいからと階段に。 毎日数え切れないほどの階段の昇り降りがあります。 エスカレーターやエレベーターを利用できるところも、 点検や時間帯など利用できない時間帯は階段を使います。 人はそれぞれ歩幅が違います。 幼児から老人まで歩き方も千差万別です。 階段は一定の幅と高さになり、 個人別の歩き方には対応できません。 どちらかというと一般的な成人に合わせていますので、 人によってはどんな階段でも苦痛に感じる場合もあります。 坂道は人を選びません。 たしかに雨や雪のときにすべりやすくなりますが、 歩幅を気にすることはありませんし、 途中で休みながら周囲をみることもできます。 知り合いに出会ったら立ち止まって話もしやすいです。 機能を追及することは便利で必要なことでしょうが、 一度決められた規格からはずれたことをしようとすると、 悲しいほど疎外感を感じさせられます。。 毎日がなんとなくきゅうくつで息詰まる感じがあるのも、 規格外の行動が許されない環境になっているからではないでしょうか。 階段のようなきっちりした生き方だけではなく、 坂道のような生き方も必要ではないのでしょうか。 いろいろな坂道をそれぞれの歩き方で通過してゆく。 それは日常の生き方にも通じるものがあるような気がします。 <第0645号 2012年12月23日(日)> 一陽来復 ちかづいてくる すこしずつ あゆみをたしかめるように いっぽんの たしかな あらたなくぎり そっとふれて すこしのちからでおしやる そのちからをためるために たちどまって たたずんで このくぎりがみえたときに においたつことばを ききたかった このくぎりにふれたときに ささやかなおんどを さぐりたかった こえたなら とおりすぎたなら そのあとに なにがはじまるのだろうか とうじのにしのそらは もえるようにあかい とうじのあすのそらは といかけるようにあかい * 挿一輪 * 静かにやってきて静かに通り過ぎる冬至。 冬のさなか一年でいちばん昼間が短い一日です。 冬至、と聞いて、柚子やかぼちゃを思い浮かべます。 からだを温めて長く冷たい夜を過ごす知恵でしょうか。 一年365日。 同じように淡々と過ぎる時間のなか。 他の日と変わりなく、 冬至も、また出会い、そして背中を見せてゆきます。 一陽来復。 明日からまた少しずつ、 日一日と昼間の時間が長くなってゆきます。 どんな一日でも、 小さなくぎりを超えるたびに、今日を思い明日を思って かみしめるように日常を送りたいものです。 <第0644号 2012年12月16日(日)> ふゆ いき ふーっと吐く まっしろ ふわりと ひろがって いき ほーっと吸う つめたい さっくり しみてゆき くりかえし くりかえし くりかえし くりかえし 冬の空との境界線が すきとおった 皮膚一枚になって それでも それでも ふーっと吐く ほーっと吸う やめない いつかあの人と いき だけでふれあったとき わたしのいき こおりの 瞬間接着剤に * 挿一輪 * 凍りつくような冬の朝。 吐く息はまっしろでです。 吸い込む大気は冷たくて、体中がしゃきっとします。 痛いほどの空気を吸っては吐き、吸っては吐きしていると、 いつのまにか外気との境界線がなくなるようです。 冷たさでうつむき加減の顔をふと上げてみて、 そこに青い空が待っていたら、 冷たい空気も新鮮で楽しい贈り物に思えるでしょうか。 どんなに厳しいなかでも、 きっと見つかるなにかがあります。 ゆっくりでかまいません。 少し時間をかけても大丈夫です。 小さな発見、出会いを、 厳しい冬のさなかでも見つけてみてください。。 <第0643号 2012年12月9日(日)> 空はどこから 空はどこからはじまるのだろう 葉を落とした樹のてっぺんから 空はどこからはじまるのだろう 巣立ちした若鳥の羽のさきから 空はどこからはじまるのだろう よせてはくりかえす波の背から 空はどこからはじまるのだろう きのうとどいた手袋の指先から 空はどこからはじまるのだろう 溝からのぞくたんぽぽの花から 空はどこからはじまるのだろう 空はどこからはじまるのだろう そうつぶやいてふとみあげてる きらきらひかるあなたの瞳から * 挿一輪 * 冷たい冬の季節風で雲までも飛ばされた空。 見上げていると、 まるで自分が空のまんなかにいるかのようで軽いめまいすら覚えます。 どこから空なのだろうか。 子どものころ、草原にねころびながらそんなことを思っていました。 いつのまにか原っぱもなくなって、建物が空をせばめています。 前を見ている限りでは、空が視界に入らないことも多くなっています。 だからこそ、 山に登ったり、海辺に行ったりすると、 その空の大きさに圧倒され、小さい頃の空の大きさを思い出します。 ぽつんとひとり立っている小さな自分。 でも、空は、そんな自分のすぐ上から始まっています。 いえ、足元の花にとっては、 もう地面すれすれからはじまっているのに違いありません。 空の大きさ、無限に感じる高さ。 実はそのなかで自分たちの日常は営まれています。 ゆったりと、大きく、 空のまんなかで、空を感じながら、生きてゆきたいですね。 <第0642号 2012年12月2日(日)> 好きなように シュガースティック もらってきた1本の 紅茶についてきたから 封を切って 使ってくればいいのに そのままポケットに入れて 持ち帰ってきた シュガースティック もらってきた1本の 封を切って サラサラと遊び落ちるのを 薬指で受けてもいい 封を切らずに シャスシャスと振って 左の耳で聞いてもいい シュガースティック もらってきた1本の あなたの好きなように あなたがやりたいように 青空に 思いっきり 放り投げてもいいんだから 魔法のスティックのように * 挿一輪 * 好きなようにおやりなさい。 そういわれて思いのままにできますか。 そっとまわりをうかがったり、 自分の気持ちを隠してみたり。 いつのまにか常識にどっぷりとつかってしまい、 ほんとうの自分の好きなことを、 自然にできなくなっていませんか。 だれにも気兼ねをしないで、 だれの価値観にも縛られないで。 自分の好きなように、 なぜのびのびとできないのでしょうか。 それを止めているのはだれですか。 他の人の眼ですか。 それとも自分の見なれた眼ですか。 |
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