2013年2月のこびん

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<第0654号 2013年2月24日(日)>

       思いつき

         ひとりだけであびているのが
         もったいないほどの
         まぶしさ
         朝の光
         
         だれかに教えてあげたくて
         手元の紙切れに
         「見てごらん」
         それだけ書いて
         ポストに入れに
         光のなかへ
         
         仕事はずいぶん残っているが
         えーいと
         今日一日
         休みをとってしまった
         光に包まれながらの
         思いつき
         
         さぼりじゃないよ
         思いつき


   * 挿一輪 *

 ふと思いついたときに行動するのは、なかなか難しいことです。
 すぐできることも面倒だと後回しにすることも少なくありません。
 
 でも、楽しいこと、大好きなことになると、
 他のことはさておき、からだが先に動き出すこともあります。
 
 仕事を持っていると、
 思いつきで急に休みをとることはできないでしょうが、
 理由は分からなくても、
 なにか自分が求めていることが行動になります。
 
 行動は良く考えてから、と、いわれることが多いのですが、
 時には、思いつきの声に耳を傾けると、
 思わぬ出会いにつながるかもしれませんね。


<第0653号 2013年2月17日(日)>

       なみだ〜たからもの7

         そらいろのコップに
         すごしたじかんのはの
         いっぱいつまったティーバッグ
         
         しぼりだした
         あついあついなみだで
         ふりだしてゆく
         
         ゆうやみは
         ぐんじょういろの
         とりたちのはねでできている
         
         だから
         しずかにたゆとうゆげが
         なみだがのぼるゆげが
         とりたちを
         おどろかし
         とびたたせ
         
         そらいろのコップに
         もういちどうかびだす
         あなたのいちにち
         
         またひとつ
         またひとつ
         はもんがひろがり
         はもんがとける


   * 挿一輪 *

 あふれた涙の味は塩辛いのでしょうか。
 
 朝の涙。
 陽だまりのなかの涙。
 夕暮れの涙。
 
 それぞれの味は少しずつ異なりそうです。
 
 涙を流すことはあまりないとは思いますが、
 それだからこそ、いっそう、その味は忘れないのかもしれません。
 
 涙が音もなく蒸発して空に帰ったあと、
 コップの底に残る思い出の結晶を糧にして、
 新たな一日をまぶしい笑顔で始めたいものですね。


<第0652号 2013年2月10日(日)>

       すなどけい〜たからもの6

         とうめいなわたしを
         くるりとひっくりかえして
         じかんがうごきだす
         
         さらさらとさらさらと
         くすぐったいようなむおんの
         みみかきのような
         
         とうめいなわたしのなかを
         いろあざやかなすなが
         きそくただしくおちる
         
         よくみると
         あかはかなしみ
         あおはやすらぎ
         きいろはよろこび
         しろはむいしき
         
         まじりまじってわけへだてなく
         じゃますることなく
         こびることなく
         
         たんたんとたんたんと
         じかんのふりをした
         くりかえすようなだましえ
         
         とうめいなわたしを
         くるりとひっくりかえして
         あらたなじぶんがうごきだす


   * 挿一輪 *

 お店で手に取ると思わずひっくり返してみたくなりませんか。
 
 砂時計には不思議な魅力があるように思います。
 同じ時間を計るものなのに、
 文字盤を巡る針とも、デジタルの数字の変化とも異なる動き。
 
 たとえば3分計の砂時計。
 一度ひっくり返して砂の落ちるのが始まると、
 砂が落ちきるまでじっと見つめてしまう不思議さがあります。
 
 区切られた時間のなかで、その時間と寄り添っている自分という存在。
 砂を見つめているのは自分なのに、
 実際には砂の流れしか存在しないような静けさ。
 そして、きっちりと3分たてば、ふと我に返るいさぎよさ。
 
 飽きるまでくりかえしたくなるのは、
 くりかえす日常のなかの自分を、
 砂時計のなかの砂に見ているからなのでしょうか。
 
 さあ、砂時計のささやかな時間が終わりました。
 今度はあなたの日常をそっと計ってゆきましょうか。


<第0651号 2013年2月3日(日)>

       やねのうえのねこ〜たからもの5

         あさひのいっぱいあたる
         あのやねのうえに
         まっすぐにすわった
         ねこひとつ
         
         まよけのかわらのように
         ひがしをむいて
         しずかにめをとじている
         
         ねこのうえから
         ふゆのつめたくすんだそらが
         すっくとはじまり
         
         きりえのような
         きょういちにちが
         はじまってゆく
         
         ひとめみたときから
         たからものをみつけたように
         からだがあたたかくなり
         きもちがかるくなり
         えがおがもれる
         
         あさひのいっぱいあたる
         あのやねのうえのねこは
         そんなこともしらずに
         なおかがやきながら
         めをつぶって
         ただじっとすわっている


   * 挿一輪 *

 この冬の厳しい寒さ。
 家のなかでも寒さを感じるほどですから、
 外で暮らしている外ねこたちにとってはもっと厳しいはずです。
 
 冬の朝、外を歩いていると、
 陽だまりでじっと蓄熱しているねこに出会うことがあります。
 家の庭や塀の上、駐車場のスペース、屋根の上。
 
 ほんとうはその日の生き死ににもかかわるときかもしれないのに、
 ねこは静かにまるでなにか深く考えているように、
 目をつぶり、しっぽを足に巻き、前足をそろえて、
 朝陽のなかでじっとしています。
 
 せわしなく、その姿に足を止めることもなく、
 多くの人が出勤してゆきます。
 
 懸命にその日を生ききっているねこの気も知らないで、
 一緒にならんで朝陽にあたっていたいな、と思うのは、
 私だけの身勝手な考えなのでしょうか?




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