<第0667号 2013年5月26日(日)> さあゆこう 窓は 絵 耳をすます 風がくる 絵 絵は 窓 大好きな故郷 指でなぞる 窓 呼んでいる 呼んでいる さあ いまだ 新しい世界に ゆこう * 挿一輪 * 殺風景な部屋に小さな窓。 なにか壁に飾りたいと思っても、 借りている部屋の壁は釘も打てません。 ある日ぼんやりと窓を見ていると、 窓の外に小鳥がやってきます。 ちょうど小さな窓のなかに、 描かれた一枚の絵のように。 窓のない風の通らない部屋。 ある日バザーでなんとなく買った一枚の絵。 気晴らしに壁にかけてみました。 ありふれた風景画でしたが不思議ななつかしさ。 ふとなにかに呼ばれるような気がして、 絵にそっと触れようとすると、 窓をあけるように絵の世界に。 窓も絵も外への入り口なのでしょう。 そう思うと見回せば異界への入り口だらけ・・・。 そんな想像も楽しくはありませんか? さあ、窓を開いて。 さあ、絵を見つめて。 <第0666号 2013年5月19日(日)> うちそとの光 朝 カーテンのすきまから 光がまぶしい この光は どこからくるのだろう そとからくるのか うちからにじみでるのか 朝 カーテンのすきまから 光がまぶしい 呼応する うちそとの光を信じて さあ きょうをはじめよう * 挿一輪 * ふと目をあけると、カーテンからの光の一筋が朝を告げます。 外からまっすぐに入った光は、 そのまま、まっすぐにわたしにたどりつきます。 その光を感じるのは、他でもないわたし自身です。 感じた瞬間に、わたしからも光を迎えにゆく、 そんなわたしの内側からの光が感じられます。 ものごとはみな、 外からやってくるものと、内側からの呼応するものがあって、 はじめて受け渡しができるのではないのでしょうか。 まぶしい呼応を朝の出会いにして、 さあ、新しい一日をはじめましょうか。 <第0665号 2013年5月12日(日)> 五月 空には なにもありません 透明な 等高線以外には ただ歩いています わたしの足で ただつぶやいています わたしの口で 五月は 路地のすみずみまで 探検ごっこをしています そういえば こわされてなくなった 古い建物たちは 乱れ咲くひめじょうおんに 空には なにもありません 硬質な 砂糖菓子以外には * 挿一輪 * 五月は不思議な季節です。 なにもないように見えて、 息苦しくなるような濃い気体に満たされています。 植物たちは、 そんな濃厚な気体を養分にして育ちます。 まるで高カロリーの栄養食をもらっているように。 外に出たら、 大きく深呼吸をしてみてください。 からだの細胞の隅々まで、 みずみずしい五月で満たされるはずですから。 <第0664号 2013年5月5日(日)> こいのぼり こいのぼりくにゃ こいのぼりふわっ 南の風を待っていたのに 今日はなぜか冷たい山風 おなかのなかをとおりながら 大きなくしゃみ まぶしいくしゃみ それでも空は雲が飛び あしたはそろそろ届くころ 海の向こうのさかなたち おおきくはねて もっとはねて しぶきとひかりでコラボした にじの伝言受けとるために こいのぼりくにゃ こいのぼりふわっ * 挿一輪 * 5月5日はこどもの日。 大空泳ぐこいのぼりもいまは少なくなりました。 でもたまに大小さまざま、一族郎党の大所帯に出会うことがあります。 高いポールのうえで風が強ければ目いっぱい泳ぎ、 風がないときは所在なげに垂れ下がっているこいのぼり。 おなかのなかを通る風は、 いったいどんな話を伝えてくれたのでしょうか。 五月の風はさわやかです。 こいのぼりのように少し高いところに上って、 からだいっぱいに風を受けて、 さわやかな伝言を受け取ってみたくなりませんか? |
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