<第0676号 2013年7月28日(日)> ここに 更地に建てはじめた家 目の前をよぎるつばめ 少し離れて赤ん坊の声 いつのまにか止んだ小雨 ベランダに落ちているかなぶん 青空を包みこむ雲 近づき離れる飛行機のくぐもり 歩いてくる靴の音 去ってゆくサンダルの音 仕事は休み カーテンにほこり 流れてくる音楽 ふと思い出す名前 カレンダーに並ぶ日付 どこかで見た一日 それとも夢で見た一日 明日にはもう忘れる いや通り過ぎるそばから 瞳の裏にもぐりこむ それでも いつか突然思い出すかもしれない この一瞬 * 挿一輪 * かいまみるこのひととき。 流れる日常のなかの一瞬にすぎません。 なにか特別のことがあったわけでもなく、 きっと後になって思い出すこともない時間なのでしょう。 でも、 このなにげない時間の流れが、 とても愛おしく感じることがあります。 どうしてと思うほど、 空気感まで思い出すこともあります。 特別な日とはなんでしょうか? 特別でない日とはなんでしょうか? 目の前の光景。 耳に飛びこんでくる音たち。 似ているようで二度と同じときが戻らない一瞬。 そう、 あなたは、たしかにいます、 ここに。 <第0675号 2013年7月21日(日)> ふるさと 山が削られ 丘が削られ 細い踏み跡が 道々の枝折りが削られ みあげる空はおなじでも のぞむひかる海原はおなじでも もう立つことのできない あの樹の下には ここは 見知らぬ風が吹いている 時が削られ 想いが削られ 小さな墓地が 片寄せあって残り かたわらのホタルブクロはおなじでも さえずる鳥の声はおなじでも もう会うことのない あの日の笑い声には いまは 帰らぬ時間がよどんでいる * 挿一輪 * 「ふるさとは遠きにありて思ふもの 」 犀星の詩にうたわれたふるさと。 その距離に関わらず、 だれもが持っているふるさとはなつかしいものです。 子どものころの自分がいまでもそこにかけているような、 思わず錯覚をおこすような、 そんな昔と変わらないふるさとならいいのでしょうが、 いつのまにか形を変えてしまい、 その場所すらわからなくなってしまうことさえ珍しくありません。 私たちが住んでいる日本という国は、 豊かな緑や澄んだ水におおわれた美しい国だったはずなのですが、 わずかここ一世紀あまりのあいだに、 悲しい変化をとげてしまったようです。 なにかをつくるのではなく、 なにもないものをそのまま残す。 ほんとうは大切なことが、 この国ではなおざりにされてしまったような気がしてなりません。 ふるさと再生などというまえに、 まず身のまわりの小さな自然をみまもり慈しむことを、 ひとりひとりが気をつけるようにしたいと思いませんか。 <第0674号 2013年7月14日(日)> ジャンプ 吹き抜ける 強い風 真っ白な雲 小さくちぎられて それはならんだ島 飛び石のように 見上げる頭上から あの山の端に向かって ジャンプ ジャンプ ジャンプ 雲が消える前に 翔けぬけろ * 挿一輪 * 夏空に白い雲。 風が強いと次々と流れてゆきます。 いろいろなかたちに変わってゆくのがおもしろくて、 子どものころずっと見ていた覚えがあります。 時には飛び石のように、 端から端までポンポンポンと続き、 そのまま雲に乗ったなら、 空の端まで翔けてゆけそうです。 でもじっと見ているといつのまにか雲の島は消えて、 ぽっかりと大きな空の湾があらわれます。 一瞬のチャンスを逃すと道は閉じられます。 日常でも、 変わらないようで時間の風は吹きぬけています。 チャンスは数限りなくやってきます。 ただしっかりとそれを見ているか。 そして来たときにチャンスにジャンプして乗ることができるか。 じっと見つめるのも大切です。 そして、 ふとなにかが呼んでいるような感じがしたら、 勇気を出して一瞬の雲の島に乗ってみるのも必要でしょうか。 <第0673号 2013年7月7日(日)> たなばた まっしろなこころの短冊に なみだで書いた ねがいごと はるかとおく海をこえて 湿った明るい南風 なぞるように 短冊ゆらす まっしろなこころの短冊に おもいを書いた ねがいごと にぎったてのひらに あぶりだされて おどりでた たったひとつの風の文字 群青色の空の端に 瑠璃赤色の星の端に ただ届けよと ただ届けよと * 挿一輪 * そう、笹の葉につるす短冊の願い。 あなたはなにを書きますか。 文字にするのが照れくさかったら、 こころの短冊に気持ちで書いて。 もうすっかり夏の風に、 あぶりだしてもらいましょうか。 |
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