<第0763号 2015年3月29日(日)> 小さな窓 どんなに こころとざしても 小さな窓が あるのなら いつでも あけることができる どんなに ひとがこいしくて 小さな窓が あるのなら ささやき つたえることがある なにか ひとつを つくるなら 小さな窓を つくればいい * 挿一輪 * 窓をひとつ。 だれかにあいたくなったなら、 ふと開けることができる。 そんなあなたの窓を、 いつでもひとつ。 <第0762号 2015年3月22日(日)> 朝陽のない朝は 朝陽のない朝は ふと下を向きたくなる 朝陽のない朝は 歩みも遅くなる 朝陽のない朝は 苦しい夢を思い出す けれど 朝陽のない朝も 早起きの鳥は鳴いている 朝陽のない朝も 笑みのたんぽぽは開いている 朝陽のない朝も あなたはどこかへむかっている ふと立ち止まって 雲に閉ざされた空を見あげ 顔に風を感じたとき 朝陽のない朝も 新しい朝だと教えられる * 挿一輪 * 迷いはだれにもあります。 迷いはいつでもあります。 じっと考えこんでも出口はなかなか見えてきません。 朝起きてカーテンを開けたとき、 もし、太陽が出ていなくても、 新しい一日の始まりに変わりはありません。 迷いや悩みを抱えながら、 それでも新しい一日は始まります。 まず一歩。 立ち止まって、また一歩。 この新しい一日を、 どんな自分のかたちでも、 しっかりと歩いてみたいものです。 <第0761号 2015年3月15日(日)> 「いま」 あなたと わたしの 「いま」は おなじじかんの 「いま」 だけど それぞれの 「いま」は ちがう 「いま」 なにが よいとか わるいとか ではなく こせいの 「いま」 たったひとつの 「いま」 * 挿一輪 * この瞬間、 「いま」を共有しているいのちは無数にあります。 でも、 そのどれをとっても同じものはひとつとしてありません。 「いま」は、 それぞれの「いま」なのです。 決して他のなにものにも変えられないたったひとつの「いま」 そう意識すると、 ふたつとない「いま」の大切さがわかります。 よいとか、わるいとかの、観念にとらわれることなく、 自分だけの「いま」をしっかりと生きてください。 <第0760号 2015年3月8日(日)> 沈丁花(じんちょうげ) しもやけの指に似た 赤いつぼみ 遠い呼び声に ふと目覚め 親鳥にえさをねだる ヒナの白い口 ひとつ またひとつと開き 曇り空の下に広がる 甘い匂いの 透明なつぶやき 夕闇の路地に 春の翼の訪れを そっと教える * 挿一輪 * 春を告げる花はいろいろあります。 梅の花やスミレの花、アセビの花、ミモザの花。 でも、匂いで春を教えてくれる花は沈丁花がいちばんです。 なにか考え事をしたり、足早に急いでいるときに、 たとえその姿が見えなくても、 甘い匂いで春を教えてくれ、 思わず立ち止まって花を探したくなります。 もうすぐ春だよ、 すぐそこまで来ているよ。 うぐいすが春告げ鳥なら、 沈丁花は春告げ花なのかも知れませんね。 <第0759号 2015年3月1日(日)> つぼみ つぼみ ふれると あたたかい つぼみ 冬が育てたのに あたたかい つぼみ ひらくときのために あたたかい つぼみ どれもおなじように あたたかい * 挿一輪 * 咲くのを待つものはあたたかです。 花に限らずだれもがあたたかです。 不思議です。 |
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