<第0767号 2015年4月26日(日)> 雨のち晴れ あんなに明るかったのに 雲におおわれて ぽつりひとつぶ ほほになみだ 見あげたまま 空のなみだを受ける ひとつぶふたつぶ あっというまに水浸し どのくらいたったのだろう ほら気がついて明るい こんなにもやわらかな緑の光 濡れたほほのまま 見あげると一本の樹 からだいっぱいに新緑の光 かがやき笑っている 空のなみだは突然やってくる けれど そのあとのいっそうのまぶしさ かがやきのいっそうのまぶしさ 泣いてごらん 泣いてごらん がまんしなくていいから 空のなみだは かがやきのために必要なんだ * 挿一輪 * どうしようもないこと。 自分はなにも悪くないのにどうして、って。 突然のことに途方に暮れること。 泣くことも忘れてしまったような辛いこと。 まわりからはなにもできない。 ただじっと見守るだけ。 見守りながらこころで応援する。 そのこころをもらってしっかりと生きて。 でも涙がこぼれたら、堰を切ったように流れたら。 大丈夫、どんな雨も大地が海が受け止める。 だから、思いっきり涙の雨をふらせて、雨のち晴れ、頑張れ! <第0766号 2015年4月19日(日)> 鍵 わたしの胸のとびら 陽だまりに眠るとびら 電子キーでも 秘密の暗号でも 決して開かないとびら サクラが咲き サクラが散り 初夏を思わせる緑が 風に吹かれて影を追い あなたが残したてのひらの ぬくもりの形そのままに 目をつむって想うとき こだまのように 波紋をつくり 音も立てずにあちらから 咲けよ咲けよと ひらくとびら * 挿一輪 * 生きていることは、 見えないとびらを毎日開け続けていることなのかもしれません。 押しただけですっと開くとびらもあれば、 強固な鍵に途方に暮れるとびらもあります。 多くのとびらがあればその前で迷うでしょうし、 鍵穴をのぞきこんで探ることもあるでしょう。 とびらのむこうにはなにがあるのでしょうか。 まるっきり別の世界が待っているのでしょうか。 また新たなとびらが道を阻むのでしょうか。 とびらのまえでたたずむのもまた生きていることです。 終わりのない日常。 けれどいつかなくなる日常。 とびらのまえの陽だまりに、 ひっそりとたたずむ小さな草花に寄り添う気持ちを、 忘れないようにしたいですね。 <第0765号 2015年4月12日(日)> 動け 動け わたし 他のだれかを 動かそうとする ずっと ずっと 小さなちからで 動く わたし 風のように 光のように 動け わたし * 挿一輪 * 人頼みにせず、 人任せにせず、 まず自分が動く。 どんなに小さなことでも、 人を動かそうとするのは、 とても大きな労力が必要なものです。 けれど、 自分が動くのは軽々とすぐにできるもの。 なにかをしたいと思ったら、 まず、自分が動く、 困難打開の第一手です。 <第0764号 2015年4月5日(日)> サクラ 見あげているわたしがいる 見あげているあなたがいる 青いはずの空が 薄桃色に染まっている とおりすぎるかぜがある とおりすぎるいまがある 動かないものは ただひとつもないのに この瞬間が まるで一枚の絵のように しんと静まりかえっているのは どうしてだろう 気がついたら やさしい呼吸が聞こえた 気がついたら あたたかな指が触れた 生きているって こういうこと 教えてくれたんだね ありがとうサクラ * 挿一輪 * こんなにも、 自分の住む街にサクラの樹があったなんて、 この時期にしみじみと感じます。 一本一本の樹のそばで立ち止まっていたら、 いつになったら目的地に着くのやら。 満開のサクラには、 魔性のようなものがあります。 特に、たそがれどきは、 ひきこまれて帰ってこれないような危うさが。 それも、また、一興なのですが・・・。 |
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