<第0776号 2015年6月28日(日)> 行ってみないか 雨雲のうえには 青空があるって だれもが 知っているけど たったいま見あげる 雨雲のうえには ほんとうは なにがあるのだろうか 雨があがりかけて 雲の切れ間が見えたなら 行ってみないか 行ってみないか 雨雲のうえの 青空があるあたり ひかりのことばを たぐり寄せて * 挿一輪 * 知っていることと、体験することはちがいます。 どんなに知識が膨大でも、 自分が直接体験することで、 はじめておさまるところにおさまります。 人間の共有する知識は膨大ですが、 体験できることはほんのわずかですね。 <第0775号 2015年6月21日(日)> 生きつづけることは 生きつづけることは うたいつづけること うれしくても かなしくても ごまかさないで わたしのこえで 生きつづけることは おもいつづけること ドキドキしても くるしくても まっすぐむきあって わたしのめで 生きつづけることは あゆみつづけること あじさいのはなにくる あめのことばたちを ひろいつづけること わたしのいまで * 挿一輪 * たったいま起こっていること。 楽しいですか? もっと続いてほしいですか? 苦しいですか? はやく終わってほしいですか 明日になればすっかり忘れているかもしれません。 それともその気持ちを引きずってしまっているかもしれません。 そして明日になれば、 もっと楽しいことがあったり、 苦しみすら懐かしむほどの大変なことに出会ったり。 生きつづけているといろいろなことに出会います。 生きつづけているといろいろなわたしに出会います。 同じような場面に遭遇しても対応や感情は微妙に異なってきます。 生きつづけていることは不思議なことですね。 その不思議さに注目し見つめることで、 生きつづけているわたしにいとおしさを感じられるようになってきます。 こんなわたしでも、こうして生きつづけているんだ、って。 そんな、わたし、しっかり、だきしめてあげて、ください、ね。 <第0774号 2015年6月14日(日)> カタバミ 黄色い花は 無垢のこころ どんな片すみでも はじけるかがやき 三角の葉は 祈りの手 寝静まった夜中 手をしっかりとあわせ いのちの根は どこまでも 地中のびてのびて 強いちからをもとめ カタバミカタバミ わたしになあれ カタバミカタバミ わたしになあれ 雨がふっても 風がふいても わたしのこころを みがきぬけ * 挿一輪 * ゆめがあります。 どうしてもなりたいもの。 生まれてきた自分が、 そのいのちと対等の重さでほしいもの。 いつか到達できる自分のかたち。 だれとも違うしあわせのかたち。 そのために必要なのは、 輝きと祈りと力強さ。 古代、真鍮製の鏡は、かたばみの葉で磨かれたといいます。 かがやくためには、 自分を強い力で磨きあげるしかありません。 しあわせがあります。 自分だけのしあわせがあります。 自分でしか手にいれられないしあわせがあります。 あなたは、カタバミになれますか? <第0773号 2015年6月7日(日)> しろ まっしろなつつじ あなたは 何色に染まる しろは わたしの しろ 染まるための しろじゃない いま 生きている しろ こんなにもまぶしい しろ * 挿一輪 * 自分を生きるのは、 ほかのだれでもない自分です。 自分を生ききること。 それがいちばん大切なことですね。 |
|||
Copyright© 2015 Kokoro no Kobin