<第0793号 2015年10月25日(日)> 秋の夢 秋の青空いっぱいに 時を綴った首飾り 引きちぎってばらまいて あわてて雲間にひろいだす 秋の青空いっぱいに ただいとおしくまぶしくて 声をかけたいあのひとは 樹の陰裏に消えてゆく かなしいことは好きですか さびしいことは好きですか 夢のなかでもいやなのに やさしいことは好きですか いつくしむのは好きですか 夢のなかでもできはせず * 挿一輪 * 秋の一日は短かく感じます。 日暮れが早いためでしょうか。 ひんやりとした空気のせいでしょうか。 夕方は少しせわしくて、 その分夜の時間はとても長く感じます。 そして、ふと、 遠い秋の一日が思い出されることがあります。 時をさかのぼるのではなく、 ひょいとステップを踏むように、 そんな一日に戻れたらいいのにな、と。 あなたにとっての、秋の一日。 どんなひとときがあったのでしょうか? <第0792号 2015年10月18日(日)> ふと みつからないこと みつけたいものが みつからないこと みつけないこと あわててすぐに みつけないこと みつかったなら たしかめること みつかったなら やっぱりちがったら もういちどはじめること やっぱりちがったと みつからないこと あしもとをみて みつかること ふと * 挿一輪 * ひとは目でものを見ます。 でも、目の前にあっても興味のないものなら見ていません。 見ていても脳が情報として取り入れません。 必要なことだけ覚えていて、いらないものは忘れてしまう、 そんな都合の良い(都合の悪い?)機能です。 なにもないと諦めていても、ただ見えていないのかもしれません。 逆に見えすぎていてまぎれているのかもしれません。 どちらにしろ、目的を持って見ていないとみつかりません。 なにを見るか。 まずそれを確かめるのが大切です。 さて、あなたはなにを見たいのですか? <第0791号 2015年10月11日(日)> うごかして ちいさなことでいい ほんのちいさなことで ひとつのことでいい たったひとつのことで あゆみをとめた わたしのあしを ふしぜんなかたちで かたまったこころを ほんのはんぽでも たとえあとずさりでさえも うごかしてほしい うごかしてほしい みみからめからごかんから わたしがわたしであるために * 挿一輪 * いつのまにか見失ったものを、取り戻すのはむずかしいことです。 いつ失くしたか思い出せない大切なものを、探すのとおなじです。 なにから手をつけていいのか。 どう動きはじめたらいいのか。 最初の一歩さえ踏み出せれば、もう見失ったものがわかります。 見失ったものがわかれば、次の一歩が続けますね。 とても大きなエネルギーが必要です。 でも、それをしないとまた見失ったことを忘れてしまいます。 辛くても、この一歩を踏み出すことができるのなら。 それがすべてのはじまりになります。 <第0790号 2015年10月4日(日)> 実りの秋 雨あがりの風は かなしみをとおりすぎた風 雨あがりの風は かわきをいやしたあとの風 雨あがりの風は 明日への種子を抱いた 実りの秋の風 * 挿一輪 * 風は立ち止まりません。 止まることなく通りすぎたひとつひとつの出会いを教えてくれます。 雨のなかを通りすぎた風は、雨を。 かがやきを通りすぎた風は、かがやきを。 そして、季節を通りすぎた風は、いま秋にたどりつきました。 秋は実りの季節です。 また、冬への備えの季節です。 どんな冬でも越せそうな、しっかりした果実。 自分のなかでも実らせたいですね。 |
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