<第0798号 2015年11月29日(日)> 今日という名の 目覚めたばかりのあなたは まだ悪い夢をひきずっている でもいまはもう 新しい朝 朝はスムージー ひとばん寝かせたかなしみを 冷えた空気に混ぜてゆく 朝は氷菓子 ひとばん寝かせた後悔を 輝く陽ざしに溶かしてゆく ほらしっかりと見てごらん 目の前にあるのは たったひとつの まっさらな朝 大きくのびをして ゆっくりと歩み始める 今日という名の あなた * 挿一輪 * 朝目が覚めて、最初に感じるのはどんなことですか。 起きたくないな、とか。 昨日の不愉快なこと、思い出すとか。 負の遺産は、すっきりしませんね。 新しい一日のはじまりは、リセットしてまっさらに始めたいもの。 カーテンをさっとあけて、まぶしい陽ざしを入れたり、 窓をあけて、冷たい風を中に入れたり、 昨日までの重い記憶を溶かしてしまいましょう。 さて、今日一日、新しいあなたはどうすごしましょうか。 <第0797号 2015年11月22日(日)> 組成 ことばが伝わってくる 触れた手のあたたかさのように ことばが伝わってくる 肌に刺さる木枯らしのように ことばが伝わってくる 晴れた朝の目覚ましのように ことばが伝わってくる 玄関にたたずむ灯りのように でも 伝わったことばは そのままとっておくことができない だれかに手渡すことも 投げ捨てることもできない ことばが伝わってくる わたしは水と波紋でできている * 挿一輪 * 自分の気持ちを伝えることの難しさをいつも感じます。 おなじ日本語を話していても、意味を取り違えられることがあります。 口から発したことばは、確かに相手の耳に入っているのに、 どこで変わってしまうのでしょうか。 次から次へと伝えることで、 最後にはまるっきり違った内容にまでなってしまう、伝言ゲーム。 しかし、一対一ですら伝わらないのはほんとうに困りますね。 逆に、いろいろな解釈があるんだなと、おおらかな気持ちになれれば、 問題はないのでしょうが、 仕事上など意図が誤解されるとアクシデントにつながりかねません。 思い込まないで、ひとつひとつ確かめてから先に行くのが、 遠回りのようでいちばんの近道かもしれませんね。 <第0796号 2015年11月15日(日)> おかえりなさい もし あなたから おかえりなさいの ことばをかけてもらえなかったら わたしの笑顔は 迷子になっていたかもしれない もし あなたに おかえりなさいの ことばをかけていなければ わたしの時間は ずっと止まっていたかもしれない こんな 大きな 青空の下では ほんのささいな ことなのだろうけれど * 挿一輪 * ほんのひとこと。 あのとき、そのことばをかけていればよかったのに。 相手の反応を確かめないで、勝手に推測することによる思い込み。 ことばは、どんなに拙くても、伝えるための道具です。 しっかりと投げかけ、受け取ることが大切ですね。 <第0795号 2015年11月8日(日)> だれのもの 耳はふさいでいないのに 目はつぶっていないのに わたしはなんにも聞いてない わたしはなんにも見ていない 耳をふさいでいるのに 目をつぶっているのに だれかのうわさが聞こえてる だれかの悪さが見えている わたしの耳はだれの耳 わたしの瞳はだれの瞳 いつからこうしてだれのもの もっとしっかり声を聞き もっとしっかり目を開き わたしの耳と目にもどしたい * 挿一輪 * 聞こえていいものが聞こえずに、余計なことだけ聞いている。 見なければいけないものなのに、違うものが目に入る。 わたしはいったいなにを聞き、なにを見たいのか。 それを決めるのはわたし自身です。 見るもの、聴くものが、人となりを作ってゆくといいます。 積み上げる日常とは、考えてみると、おろそかにすると怖いものですね。 <第0794号 2015年11月1日(日)> うたをきいていると うたをきいていると うたをうたいたくなる うたがからだにはいりこんで こころのおもてをゆらしてくる うたをきいていると うたとひとつになってゆく このそらのむこう あのうみのむこう ながれるうたにのる ひとすじのかぜがわたし * 挿一輪 * ふと耳にしたメロディー。 ふと目にした歌詞。 うたは出会った瞬間にからだのなかに沁みこんで来ます。 不思議なことに、聴いただけではなく歌いたくなります。 自分の声で歌い、自分の耳でもまた聴き続けます。 くちずさむだけで、 食べ物を摂ったように血や肉になるような気がします。 うたをひとつ歌うと気持ちがすっと立ってゆくのは、 きっとうたとひとつになったからかもしれませんね。 |
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