<第0807号 2016年1月31日(日)> ひろう ひろう ひとつでも ちいさくても かなしくても つたなくても ひろう たったひとつでも じぶんの てで じぶんの いしで じぶんの こころに ひろう だれかがみたら ガラクタにすぎない そんなことはかまわない ひろうのはじぶんの て * 挿一輪 * 生きているこの一日。 その証しになにを残すのでしょうか。 通りすぎた小さなできごと。 ふと、こころにひっかかった景色。 かたすみに置き忘れたことば。 一日、ひとつのものを、ひろって。 でも、いつまでたっても、いっぱいにはならないのです。 こころは、どこまで大きいのでしょうか。 <第0806号 2016年1月24日(日)> 開花 少し前まで 忘れ去られた黒い枝に しゃがれ声のような 小さな突起がふくれ まぶしい陽ざしに 誘われて見あげたら だれかが贈った アクセサリーのように ぽっと開いた 白い花 * 挿一輪 * 毎年咲く古木の梅の花。 今年もその姿を見せてくれました。 楽しいことがあっても悲しいことがあっても、 季節は巡り準備をしています。 自分にも、 毎年同じ花を咲かせることができるのか。 巡る季節のなかでそっとたしかめることが、 いちばん大切なことかもしれませんね。 <第0805号 2016年1月17日(日)> うつわ うたをうたいたい わたしのうたを わたしのからだで うたをうたいたい あなたのうたを あなたのからだで たとえ うたううたはおなじでも うたうからだがちがうなら うたうこころがちがうなら たったひとつの うたをうたうために いきてゆく いただいた このうつわをつかって * 挿一輪 * 新しい発見! は、なかなかありません。 はじめて見たように思えても、 今まであったものに小さな工夫を加えた結果がほとんどです。 でも、その小さな工夫が、とても大切です。 だれもができることなのに、ただ気がつかないことが多いのでしょう。 工夫する人の目が、他の人と異なっていれば、それだけで新鮮です。 最近は歌手でもカバー曲をうたう人が増えてきました。 おなじ曲をうたっても、 うたう人によってまるっきり別の楽曲にすら感じられます。 どちらが良いとか悪いとかではなく、 こんなうたいかたがあるのかとじっと耳を傾けてしまいます。 いのちはそれぞれ器(うつわ)が違います。 だからこそ、ひとつのうたがいくつものうたになるのだと思います。 「新しいものはなにもない」なんて思わないでください。 あなたが受け取ったその時点で、「新しい発見」になるのですから。 <第0804号 2016年1月10日(日)> 受け皿 いつも しずかに 口角を上げれば 贈りものを 受けとれる 口が への字に なったなら 大切なものまで ぽろりと落ちる 自分の受け皿 どっちかな * 挿一輪 * ものごとの受けとり方には二通りあるように思います。 かならず自分の糧になると、笑顔で受けとる時。 仕方がないからと、いやいや受けとる時。 同じものを受けとっても、その気持ちで大きな差がありますね。 でも、いやいや受けとると、 もしかしたら宝物だったチャンスを失うかも。 これだけものや情報があふれている時代。 受けとり方も工夫しなければいけませんね。 <第0803号 2016年1月3日(日)> ひと押し こころのすみに 刺さったように 思い切れないものが ずっと続いていた あんまり ぐずぐずしているので きっと神様が しびれをきらし どんと 背中を押したのだろう だから こんなにあたふたしても 一歩一歩が確かめられる 気がつくと すっとこだわりが抜けて こころのすみまで りんと澄んだ音がする * 挿一輪 * 優柔不断です。 いつまでも、 また今度、また今度と、延ばしていました。 そんな気持ちを察したように、 どこからかどんとひと押しが。 飛び出したなら、 もう行くしかありません。 きっかけをつくってもらったので、 アクシデントもまた、 ありがとう、の感謝です。 |
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