<第0846号 2016年10月30日(日)> きっと きらいになっても すてられない はなれていても ちらちらみてる こころのどこかに からだのどこかに きえていかないのは つづけたいこと ひとくふうして あじつけをかえて そばにいられたら きっといつまでも * 挿一輪 * ずっとやってきたのに、ある日突然嫌になることがあります。 飽きてしまった、とか、他のものが良さそうとか、進歩がないとか。 自分で勝手に思いつめて、ついにはそのものを見るのも嫌に。 対人関係でも、好きでやってきたことでも、ふっと魔がさします。 でも、いままでずっと続いてきたのは、ほんとうは嫌でないはず。 ここで手放したりやめてしまって、あとで後悔しませんか。 好きな食べ物も続いたら飽きてしまいます。 少し味付けを変えたり、組み合わせを変えてもみたらどうでしょう。 続いていることは、あなたにとって大好きなこと。 ちょっと工夫すればより多くの魅力が再発見されますよ、きっと。 <第0845号 2016年10月23日(日)> ちょう とぶときは はねをひろげる とまるときは はねをとじる うごくときは おもいをひろげる やすむときは おもいをかみしめる * 挿一輪 * ちょうの羽は目で見ればわかりますが、 ひとの想いは一見してもわかりません。 いつも静かに想いを秘めている人も、 その想いが大きくなるとからだが自然にうごきはじめます。 じっと見つめていると、ささやかな動きも見ることができます。 秋の一日は、澄んだ想いをみつけられそうですね。 <第0844号 2016年10月16日(日)> いま ひとは ふっと生まれたわけではない ことばは ふっと生まれたわけではない 今日という日は いまというこのときは ふっと生まれたわけではない * 挿一輪 * 今日のいのちがあるのは、昨日までの生きてきたつながりです。 ふっと口から出たことばは、生き様が大きく関わっています。 気をつけて取り繕っていても、無意識な思いはこぼれてしまいます。 毎日の思いや行動の積み重ね。 生きていることとは、その一点しかみえないようですが、 実は継続のなかにこそあるものなのですね。 <第0843号 2016年10月9日(日)> うろこ雲 とっても おおきな 魚なんだ あたまも しっぽも はるか先 ぴしっと はねたら 雨になる * 挿一輪 * 秋の空は雲の展覧会です。 すっと筆で掃いたような絹雲や、小さなふわふわが集まった羊雲。 どこまでも大河のように続くうろこ雲。 じっと見あげていると、自分まで雲になるような気持ちです。 <第0842号 2016年10月2日(日)> 招待状 カレンダーの 今日の余白いっぱい 大きな文字で 一行 予定を書きこんだ 大きな文字の予定は 終わって消してしまえば あとは 空間だけが残っている 忘れていた招待状が 引き出しから 見つかったようで 真っ白な 時間の笑顔がまぶしい * 挿一輪 * スケジュール帳は大きすぎても小さすぎても使いづらいものです。 大きいものは予定が詳しく書き込めますが、持ち運びがかさ張ります。 小さいものは持ち運びに便利ですが、書くスペースが限られます。 小さいスペースいっぱいに予定があると、 それだけでその一日が埋まってしまったような錯覚に陥ります。 ほんとうは24時間その予定にとらわれているわけではないのに、 スケジュール帳に隠された余白の部分が見えません。 ふと視点を変えると、一日という時間はとても長いものです。 気持ちを切り替えて、真っ白な時間を見つけ出し、 招待された自分のために使いたいですね。 |
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