<第0889号 2017年8月27日(日)> おもい くろあげはのように ひらひらと ふようのはなのように ぽっかりと すんだそらのように ひっそりと こぼれるえみのように しっとりと * 挿一輪 * だれかを思い、だれかを思いつづける。 だれかを見つめ、だれかを見つめつづける。 たったそれだけのことで、あなたが生きていることを感じます。 なぜならば。 あなたは、だれかとだれかの、思いのなかで生まれたからです。 <第0888号 2017年8月20日(日)> かなしみ かなしみは まなつの ひるひなかのかげのように あしもとに はりついて きがつかない ときがすぎ あしもとのかげがのび ふっと ふりむいたときの ながいながい かなしみ やまのはの あのいただきに すいこまれるまで ずっとずっと つづいてゆく くっきりとしたかげ * 挿一輪 * かなしみは、しばらくたってからしみてくるといいます。 目の前のかなしみを受け入れるのには時間がかかるからでしょうか。 そのかなしみが、いつか透明な涙をへて、自らのこころになるとき。 静かな笑みが思い出のページに昇華されるのかもしれませんね。 <第0887号 2017年8月13日(日)> て つかむための て なげだすための て ねむるための て つつむための て おもいでの て あたためるための て またくるよの て * 挿一輪 * 自分の手、だれかの手。 しみじみと、じっと、見たことがありますか。 この手が、何を求めているのだろう。 この手が、何を触りたいのだろう。 手に触れているだけで、様々な想いが広がってゆきます。 <第0886号 2017年8月6日(日)> かなしみは かなしみは おしえてくれるのだろうか かなしみは にげてはいけないのだろうか かなしみは かなしみは ほんとうは ほほえみのたねなのだろうか * 挿一輪 * かなしいことは、だれにでも、おこることです。 かなしみから逃げられないときには立ち向かうしかありません。 でも、もし、かなしみがなにかをうみだすもとになるのなら。 それはずっとずっと先に花ひらく 小さな種なのかもしれませんね。 |
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