<第1154号 2022年9月25日(日)> のぞく かくれていて ふっとかおをだす わすれていて ぽっとおもいだす みていなくて じっとみつめる とおりすぎて そっとふれる そこにいるかぎり わたしがいるかぎり ふりむくと のぞいている だれ * 挿一輪 * あれは何だろう、そう思って、なにげなくのぞくことがあります。 ふと気になったこと、興味があること、小さな穴! のぞくのと同時に、反対側からのぞかれているのかもしれません。 もしも、目が合ったなら・・・。 もうひとりのわたしだった、なんて、ホラーでしょうか。 <第1153号 2022年9月18日(日)> みがく わたしだけにできる たったひとつのこと みがくこと わたしのてで わたしじしんを ただただみがくこと ピカピカになるまで まわりがうつるまで それはむりとあなたはいう それはむりとわたしもうなずく だからこそひたすらみがく てをやすめることなくみがく いっしょうかかってできること ほかになにができるだろう わたしがいるからできる わたしをみがくこと * 挿一輪 * 夏目漱石の「吾輩は猫である」を、何度も読んでいました。 「ねこじゃねこじゃ」を踊る猫に、惹かれたのかもしれません。 わたしの猫好きの源のひとつは、この小説なのでしょうか。 登場人物もまた、魅力ある癖人たちが揃っています。 中でも、研究のためにいつも球を磨いている人物が好きです。 磨き続けて、球は小さくなり、ついにはつぶしてしまうまで磨く。 それでも、真の球は得られず、また新しい球を淡々と磨き続ける。 不思議と癒される人物なので、印象に残っています。 ひとはなぜ、生き続けるのか。 「自分の道を/まっすぐゆこう/時間をかけて/磨いてゆこう」 坂村真民さんの詩の一節です。 それだけの価値があるいのちを生きているからだと、わたしは思います。 <第1152号 2022年9月11日(日)> おくる わたしからあなたへ いきをはくように おくる わたしからあなたへ てにのせるように おくる わたしにとっても あなたにとっても ささやかなもの わたしにとっても あなたにとっても ありふれたもの けれど わたしからあなたへ わすれないうちに おくる わたしからあなたへ いつくしむように おくる * 挿一輪 * どうしても、わたしが伝えたいこと。 どうしたら、あなたに伝わるのでしょうか。 ふっと力を抜いて、呼吸するように手渡しするように、そっと。 いつか、風を感じるように、気がついてくれるのなら。 <第1151号 2022年9月4日(日)> ささやく みみをよせると ささやくように はながゆれる わたしはにおいできらわれます かおをあげて くびをかしげて なきわらい わたしはなまえできらわれます あなただって どこかのびじょのおはかに まきついていたなら であいがすべてをきめるのです あめあがりのそら みあげるとほら あきのくも * 挿一輪 * テイカカズラは名前の由来や可愛らしい花良い匂いなど、人気の花です。 一方、ヘクソカズラは匂いのせいか悲しい名前をつけられました。 もし匂いが良く愛する人のお墓にからみついたら、好かれたのでしょう。 花は可愛いので、わたしは好きなのですが、厄介者のようです。 ちなみに、どちらも毒性があるので、草の液には注意とのことです。 花には罪はないので、耳をかたむけて、慰めたい気持ちになります。 |
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